19年13チームのキャリアを締め切ったキム・スンヨン「まだサッカーがすごく好き…後悔のないキャリアに自負心」
スポーツ京郷



※一部要約

プロ19年間で何と13チームのユニフォームを着た。
「サッカーが今でもすごく好き」とサッカー愛を告白したキム・スンヨンが現役を退く。

2020年から香港の大埔FCと理文でプレーしていたキム・スンヨンは1日、京郷新聞と電話インタビューで「ありがたいことに最後まですごく幸せに選手生活をした。コロナ19の拡散で今シーズンはリーグとカップ大会が取り消され、AFCカップだけに出場していたが、クラブが小さな引退式まで用意してくれた」とした。
キム・スンヨンは前日、19年のキャリアの締め切りを公式発表していた。

キム・スンヨンは「私はサッカーを愛しているので長くやりたいとだけ思っていたが、これほど長くやるとは本当にわからなかった」と笑った。
彼は続けて「引退後に"現役のときにもう少し頑張っていれば"と後悔する選手が多い。けど私は毎瞬間頑張っていたので、今は後悔や心残りがない。私が自負心を感じている部分」と語った。

すべての選手は長い現役生活を夢見るが、全員が享受することはできない。
年齢や負傷のため、あるいはプレーするチームがなくて引退する選手がほとんどだ。
事実、キム・スンヨンは華やかなキャリアを誇る選手ではない。
20歳、23歳以下の年代別代表を経たキム・スンヨンは2004年にFCソウルでデビューし、Kリーグだけで光州尚武、全北現代、蔚山現代、江原FC、仁川ユナイテッドでプレーした。
その他にガンバ大阪(日本)、セントラルコースト(オーストラリア)、青島(中国)、ブリーラム・ユナイテッド、スパンブリー(タイ)に香港リーグまで、合計13クラブでプレーしたキャリアの持ち主である。
主にウインガーでプレーして通算376試合に出場する粘り強さをアピールし、52ゴール56アシストという秀でた成績を残した。


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多くのチームでプレーしたことを否定的に見るなら、一つのチームで確固と定着できなかったと言える。
キム・スンヨンは「"チームに残ってもっと競争していればどうだっただろう"と思ったこともあるが、多くの試合でプレーしたかったので常に挑戦した。私がプレーしにくい状況なら、早く認めて受け入れた」と説明した。
それとともに「幸い私を欲しがるチームがいてチャンスを得られた」と明かし、「今振り返るとそれだけ多くの試合でプレーしたから長くやれたみたいだ」とした。

キム・スンヨンの"ロングラン"は小さな差から作られた。
酒を受け付けない体質も、ウェイトトレーニングを好む普段の徹底した自己管理も無視できない。
キム・スンヨンは「ソウルに入団したときに良い先輩を真似したことが、時間が過ぎて自分のものになった」とした。
彼はまた、現役のときに"リ・マリオ触覚踊り"など、話題になるゴールセレモニーでまだ自分を覚えているファンが多いという点に、「インパクトなしに引退する選手も多いけど私は幸せ」として、「今そういうセレモニーをしたらもっと話題になるのでは?」と愉快に笑った。

彼にとって最高の瞬間は、蔚山現代所属でアジアチャンピオンズリーグの頂点に上がった2012年である。
当時、決勝で1ゴール1アシストの活躍で優勝に貢献したキム・スンヨンは「あのときの蔚山はメンバーが本当に良かった。どんな試合でも負けそうになかった」と思い出した。
2013年まで蔚山でプレーしたキム・スンヨンは、2013シーズンの最終戦の"東海岸ダービー"で浦項スティーラーズに敗れて優勝を譲った惜しさも覚えており、「その後蔚山が優勝できなくて申し訳ない気持ちがある。蔚山が今年こそはぜひ優勝するよう願っている」と古巣を応援したりもした。

ひたすらサッカーだけを考えていた19年をまとめたキム・スンヨンは、自身のキャリアを「90点」と自評して「多くの方々が助けてくれたおかげ」と感謝の挨拶も忘れなかった。
彼は「選手生活をしていて休息はすべて次の試合、来シーズンのためのものだった。しばらくはコロナ19のため香港でプレーしているとき一緒にいられなかった妻との時間を過ごす。その後は指導者ライセンスの挑戦を準備する」と計画を明かした。
キム・スンヨンはインタビューの最後にも、サッカー愛だけは変わりないと強調した。
彼は「引退はするが私は今でもサッカーをするのがすごく楽しくて幸せな人間」として、「これからもサッカー中継はずっと見るだろう」とした。



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