「どこどこのチャン・ヒョンスではなく、ただのチャン・ヒョンスとして記憶されたい」
フットボールリスト



※一部要約

チャン・ヒョンス(いわてグルージャ盛岡)はプロの舞台にデビューした後、ずっと"どこのチャン・ヒョンス"と呼ばれた。
ワールドカップまで経験した代表出身のチャン・ヒョンス(アル・ヒラル)がいたので"水原のチャン・ヒョンス"や"富川のチャン・ヒョンス"、"Jリーガーのチャン・ヒョンス"など所属チームが前についてこそ説明できる選手だった。

チャン・ヒョンスは現在アル・ヒラルでプレーするチャン・ヒョンスと直接的な縁もある。
2人は小学校のときに先輩後輩の間柄だった。
フットボールリストとのインタビューを行ったチャン・ヒョンスは「我々は1歳違いだった。当時はヒョンス兄が"クンチャン"、私は"チャクチャン"と呼ばれていた。大きいチャン・ヒョンスと小さいチャン・ヒョンスという意味だった。名前が同じでヒョンス兄が私を特別に気遣ってくれたことを覚えている」とエピソードを紹介した。

成人になってからは坡州サッカー代表トレーニングセンター(NFC)で再会した。
チャン・ヒョンスは「2014年にトゥーロンカップを準備するU21代表に招集されたことがあった。成人代表も坡州NFCに来ていたときだった。そのときヒョンス兄と最後に連絡した。兄が海外で長くプレーしていて、会ったり連絡することはほとんどなかった」と説明した。

チャン・ヒョンスは「いつも"どこどこのチャン・ヒョンス"と呼ばれてきた。皆が知っている通り、ヒョンス兄は私よりはるかに有名な選手だろう」として、「サッカーファンの方々もただのチャン・ヒョンスなら、私ではなくヒョンス兄と認知される。すべて理解している。名前が同じで紛らわしいのは当然である。今は私もただのチャン・ヒョンスとして記憶されたい。チャン・ヒョンスという名前を言えば私が浮かんでくるように。なのでサッカーをもっと上手くやりたい」として笑った。


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チャン・ヒョンスは今年、富川FCを去ってJリーグ2のいわてに移籍した。
初の海外進出である。
チャン・ヒョンスは「韓国では私がどういう選手なのかについてのイメージが定着していた。日本は私をよく知らない。新たに評価されたい」と覚悟をあらわした。

続けてチャン・ヒョンスは「あっ、ヒョンス兄も日本でプレーしたことがあった。Jリーグファンが"チャン・ヒョンスが戻ってきたのか?"と勘違いするかもしれない。先程言ったように私、チャン・ヒョンスが誰なのかを刻印させたい」と付け加えた。

チャン・ヒョンスはコロナ19の余波で日本出国が難しい状況である。
日本大使館は拡散防止のためビザ発給業務を中断した。
原則的に2月末まで新規の入国を禁止している。

チャン・ヒョンスは「Jリーグ連盟が日本政府とコミュニケーションしているとは聞いた。けどすぐに入るのは難しいかもしれない。去年、Jリーグのクラブの数チームが外国人監督を新たに選んだが、入国を阻まれて開幕し終えてから合流したらしい。これくらいしか言うことがない。現在は知人のチームで練習している。ところが人工芝で、蹴ろうとすると足首と膝が痛かったりする」と語った。

日本行きを選んだ理由は秋田豊監督の積極的な求愛のためだった。
Kリーグクラブからもチャン・ヒョンス獲得を打診されたが、いわてがより確信を持ってアプローチした。

チャン・ヒョンスは「秋田監督がビデオミーティングを申し込んだ。日本サッカーを考えると、浮かんでくるイメージはパスと技術ではないだろうか。秋田監督は守備とカウンターのサッカーを好む。サイドから攻撃に出ていき、早く下がっていける機動力を望まれていた。いわては今年、Jリーグ2に昇格した。どうしても守備をたくさんしなければならないので、サイドを多く活用しようとしているみたいだ。私のハイライト映像や実際の試合もたくさん見ていた。本気が感じられた。ミーティングが終わってすぐ心を決めた」と明かした。


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