[単独インタビュー] "韓国代表"チュ・セジョン「使命感を感じる…大学院進学も考え中」
SPOTVニュース
※一部要約
「韓国サッカーの発展に役立ちたいです」
去年、日本Jリーグのガンバ大阪で活躍したチュ・セジョンにとって、昨シーズンは何よりも心残りな時間だった。
チュ・セジョンは「比較的遅い年齢で海外に出ていって競争し、適応してみると、1年があまりに早く過ぎ去った。早く適応して多くの試合をプレーしたかったが、そうはできなかった。何よりもチームが良い成績を出せなかったのがすごく残念」と伝えた。
彼は2020シーズンが終わった後、FCソウルとの同行を終えた。
Kリーグだけでなく日本や中東、中国など多くのリーグが彼に関心を示し、すでにずっと前から彼に良いオファーをしてきたガンバ大阪が彼の心を動かした。
チュ・セジョンは先月30日、SPOTVニュースでJリーグでの初シーズンを振り返った。
「より良いリーグに行ける足場にできると思いました」
彼が日本行きを選んだのは2018年のロシアワールドカップの影響が大きかった。
ワールドカップに行った後、彼は海外リーグ進出という確固たる目標ができた。
彼は「メキシコ戦に先発でプレーした後、"私がこれまでやってきたのは何でもないみたいだ"と思った。Kリーグでしてきたことなどに自負心があったし、上手くやれると思っていたが、そうではなかった」として、「もっと大きなところに行って学びたいと思った。そうしてこそ次のワールドカップでは、後悔なくこの選手たちを相手にできそうだった」と熱望をあらわした。
欧州リーグをモデルとするJリーグは彼の良い選択肢の一つだった。
日本でも彼の強みが余すことなくあらわれた。
精巧なキック力や正確なロングパスは彼の最大の強みの一つに挙げられる。
彼はロシアワールドカップのグループリーグ3次戦のドイツ戦で、ソン・フンミンに正確なロングパスで楔のゴールをアシストして勝利に貢献したりもした。
昨シーズンの彼は試合平均4.2本のロングパスをして、チーム内の同ポジションの選手の中で最も高い71.7%の成功率を記録した。
チュ・セジョンは「日本でも監督が(パスを)多く望まれていた。初めてキャンプに行ったときから(宮本恒靖)監督が私を守備型MFのポジションに立たせて、サイドチェンジしたときに試合を解いていく方法についての練習をされていた。監督が信頼してくれるので、選手としてそういう部分をたくさんすることになった」と語った。
Kリーグで9年間活躍したチュ・セジョンにとって、Jリーグは多くの部分で違っていた。
チュ・セジョンは「率直にKリーグでプレーしていて本当に大変だと感じたことはない。ところが日本ではとてもたくさん苦労した」として、「Kリーグは線の太いサッカーを多くする反面、Jリーグはワンタッチ・ツータッチのパスでプレーを作り出す。Kリーグでは攻撃の状況で1人が突破すれば上がってきて管理する時間があるけど、日本ではそういう時間が多くないので体力的に大変だった。テンポが早くて息をつく余裕がなかった」と差異点を説明した。
「何が変わっったのかをお見せできないことが大変でした」
多くの期待とともに日本へ向かったが、不慣れな異国の生活は容易ではなかった。
チュ・セジョンはコロナ19確診判定を受けた3月を最も大変だった時期に挙げた。
3月はじめにガンバ大阪の選手団内集団感染の余波で、リーグ5試合が取り消されたこともあった。
彼は「キャンプでたくさん努力したし、日本サッカーに適応しながら自信もかなり生まれていた。シーズンはじめに初先発する予定だったのに、確診判定を受けて試合が最初から取り消しになった」と当時を振り返った。
彼はまた、3月末に約10年ぶりに実現した親善試合次元の韓日戦を控えてパウロ・ベント監督の招集を受けたが、出国前日にコロナ19確診判定を受けて代表から落馬した。
チュ・セジョンは「日本に移籍してから初めての代表戦だった。変わった姿をお見せしたかったのにできなかった」と心残りをあらわした。
シーズンはじめに別の悪材料を迎えた。
積極的に獲得を推進し、彼を活発に起用した宮本監督がシーズンはじめの成績不振を理由にリーグ開始2ヶ月で更迭された。
宮本監督時代にリーグ10試合中9試合に出た一方、新たに指揮棒を取った松波正信監督代行の就任以降は28試合で13試合の出場に終わった。
チュ・セジョンは「(宮本)監督は私をかなり信頼しておられたし、良いお言葉も惜しみなく下さったのでなおさら残念だった。新しい監督が望む方向に再び合わせなければならないというのが大変だった」と語った。
「代表にはずっと行きたいです」
減少した出場時間により代表での彼の位置づけも自然と下がった。
チュ・セジョンは「ずっと予備リストにだけ入っていてすごく残念だった。また、(キム・)ヨングォン兄と同じチームなのに、ヨングォン兄はずっと行って私が行けないので、物足りなさがさらに大きかった。考えてみると、試合でプレーしてこそ体の状態がどうかを監督も確認できるのに、そうじゃなかった」として、「最初は残念だったがその後は早く試合でプレーして代表に復帰しなければならないという考えだけだった」と心境を伝えた。
それでもベント監督はチュ・セジョンに変わらない信頼をあらわしている。
ベント監督はMFとしてチュ・セジョンが日本行きを選んだことが、難しい選択であったという点を理解している。
だが最高の競技力を見せなければならない代表監督として、試合出場の少ないチュ・セジョンを抜擢するのに難しさがあるというのがベント監督の立場である。
ベント監督はチュ・セジョンに「厳しい挑戦をしていて大変であっても、君が乗り越えなければならない」として、「乗り越えればチャンスを与えられる」と言ったりもした。
「日本で成功した韓国MFがいません」
Jリーグの解説者はチュ・セジョンが試合に出るとき、彼を"韓国代表選手"と説明する。
それについてチュ・セジョンは大きな責任感を感じている。
彼は韓国代表選手として、日本で成功した韓国MFになるという目標とともに来シーズンの残留を選んだ。
チュ・セジョンは「(日本行きを)一度も後悔したことはない」として、「昨シーズンにお見せしたのは多くないので、来シーズンにもっと多くのことをお見せしたい」と理由を打ち明けた。
続けて「韓国にもこのように日本で上手くやれる選手がいるというのをお見せしたい。私が見せてこそ他の後輩や同僚がJリーグに来られる」と力を込めて語った。
来シーズンからは片野坂知宏監督がガンバ大阪の指揮棒を手にする。
ガンバ大阪で選手として活躍したこともあるトモヒロ監督は2016年から5シーズン大分トリニータを率い、チームをJ3からJ1まで上げたりもした。
チュ・セジョンは「話をたくさんしてのど飴の会社がスポンサーをするほど情熱的で声もかなり叫ばれる方だと聞いた」として、「戦術的にも日本で有名な方である。監督と一緒にやれば面白くすることができそうだ」と期待感をあらわした。
チュ・セジョンは2022カタールワールドカップアジア地区最終予選を控えて、12月に発表されたトルコキャンプの参加リストから外れた。
それを彼は、新たに指揮棒を取った(トモヒロ)監督のサッカーを最初から一緒にする良い機会と感じている。
彼は「悪く考えないことにした」として、「(ガンバ大阪で)新しい監督が披露するサッカーで良い活躍をすれば、ベント監督が呼んで下さると思う」と伝えた。
来シーズンにチュ・セジョンが持っている別の目標は得点だ。
Kリーグで189試合に出場して13ゴール25アシストを記録したチュ・セジョンは、まだJリーグでの得点がない。
得点への欲はないのかという質問に、彼は「大学以降は得点への欲があまりなかった。試合を上手く作り、自分たちのチームの選手がゴールを多く決められるように助けようという考えを一番している。日本でも見えないところで私が犠牲となり、チームが上手くいけるように助けようと思った」と首を横に振った。
だが続けて「韓国に来ると家族の意見は違った。妻は、息子もいるのだからもうゴールをちょっと決める姿を見せてほしいと言った。なので来年はチャンスがあるときはシュートの欲を出してみる」として笑ってみせた。
「韓国サッカーが上手くいってほしいですね」
日本リーグを経験して以降、チュ・セジョンは他のリーグがかなり気になるようになった。
彼がサッカーシューズを脱ぐ前に必ず成し遂げたい夢はアメリカ進出である。
チュ・セジョンは引退後に指導者だけでなくクラブ運営、マーケティング、放送など様々な分野に進出する可能性を残してある。
彼は「英語圏に進出して色んな経験を積みたい。大学院にも行って勉強をたくさんしたい」として、「私はずいぶん遅れて悟った。私の経験を基に、他の選手に早く一番良いことを伝えて良い環境を作りたい」と決意した。
続けて「私の世代はみんな同じような夢を持っているようだ。(ク・)ジャチョル兄や(チョン・)ソンリョン兄もそうだし、代表出身選手は韓国サッカーがもっと上手くいってほしいという望みを持っている。海外に行っている(ソン・)フンミンや(ファン・)インボムも同じように、本人がもっと発展して多くのことを学ぼうとしているが、そこで学んだことを後々韓国に来たとき韓国サッカーの役に立ちたいと思っている。みんな使命感を感じている」と力を込めて語った。