[オ・ジェソクインタビュー①] 仁川に来た理由「監督の真心の込もった呼びかけに心が動いて」
スポータルコリア
※一部要約
ずっと日本の舞台でやってきたオ・ジェソクが9年ぶりにKリーグに復帰して1シーズンを消化した。
偶然にも仁川ユナイテッドは彼が合流したシーズンで注目に値する成果を上げた。
仁川は今シーズンに半分の成功をおさめた。
毎年最終戦で残留を確定させていたが、今回は2試合を残した時点で笑った。
成功と言うには惜しいが、明らかに例年とは違っていた。
だが"仁川1年目"オ・ジェソクは手放しで満足してはいない。
チームの勢いは良かったし、ファイナルA、同時にAFCチャンピオンズリーグ進出まで夢見ることができる位置にも上がっていたからだ。
明らかなのはオ・ジェソクが仁川の変化に大きな一役を買ったという点である。
守備の安定化に貢献し、副主将としてキャプテンのキム・ドヒョクを手助けして1シーズンを上手くやった。
それでも自ら"50点"という辛い点数を与えた。
よくやったことも、補完すべき点もあるという冷徹な評価だった。
オ・ジェソクは"スポータルコリア"との有線インタビューでKリーグ適応期、仁川に入団した理由などの国内で過ごした約1年の歳月を率直に伝えた。
彼はさらに良い仁川を夢見ていた。
─早期残留おめでとう。気分はどうか?
例年に比べて早い時期に残留が決まり、嬉しい気持ちが半分ほどある。望んでいたファイナルAとACL進出を達成できなくて惜しい気持ちが半分だ。
─9年ぶりにKリーグに復帰した。難しい点はなかったか?
韓国の人間だが外で過ごした時間が長かった。グラウンドのコンディションやサッカースタイルの部分で難しい点があった。幸い、選手がかなり助けてくれたし、監督も配慮してくれて思ったより早く適応した。
─韓国サッカーと日本サッカーはどういう点で違うのか。久しぶりに戻ってきたKリーグの適応に苦しんだ部分はなかったか?
韓国は結果中心の文化があり、日本は良い過程があってこそ結果があるという考えがある。過程がなく作られた結果は偶然、運に近いと考える面がある。韓国はどうしても勝つことが最重要なリーグで、日本は勝つことも重要だが"当人たちの哲学が運動場で上手く表現されたか"がより重要に評価されるリーグだ。
日本で最初に適応しにくかったのがその部分だ。日本に長くいると韓国に来ても適応しにくかったが、昔のことを思い出した。日本に行く前、江原FCにいたことが大いに役立った。
─仁川入団の前、チョ・ソンファン監督の求愛があったと聞いた。移籍を決心した決定的なキッカケか?
監督の電話が最も大きかった。韓国に行きたいという気持ちがあっても、心を動かすほどの良いオファーがなければ来られないが、監督の真心の込もった呼びかけが心を動かす助けとなった。
─真心の込もった呼びかけとは?
当時、監督は手強いチームを作ろうとされていた。選手は劣悪な環境で頑張っているが、一番前で導いてくれる選手が必要だとおっしゃった。監督の真正性に心がすごく動いた。
偶然にも去年チョ・ソンファン監督が就任し、大邸遠征試合で最後に残留が確定した試合をライブで見た。日本で見るのは面倒だが、不思議と目が向いた。このチームに一緒に行って一度やってみたいと思ったが、5日後に監督から電話が来た。運命なのかと思って電話に出た。
─結婚の準備のために国内復帰を推進したという話もある。
時期が来れば申し上げようと思っていた。去年は日本にいて最も大変なことがたくさんあった。一番長くいたチームで最後に良くない終わりをした。選手として懐疑感が湧いた。妻になる人が私をすごく支持してくれた。仁川に来るときもそうだし、来ても精神的に力になってくれた。サッカーもサッカーだが、1人の人間として韓国に来て結婚する人に出会えて幸せだ。
─これまで26試合プレーした。満足しているか?
試合数とは別に、チームが望む目標を達成したかが最も重要だ。完璧にはならなかったので惜しい。前半期に鼻骨が折れたときはやむを得ず試合に出場できなかった。後半期に筋肉を負傷したときは他の選手がより良い姿を見せていたので、チームとしてバランスは取れていたのではないかと思う。
─仁川合流後にすぐ副主将を引き受けた。どういう理由でリーダーの役割を任されたのだろう?
年齢ではなかったと思う。監督が(キム・)グァンソク兄と(オ・)バンソク兄に主将をオファーしたが、2人とも断った。(キム・)ドヒョクが主将職を受諾して、ドヒョクを手助けする人間が必要だった。年齢的に見れば私が最も近かった。そして韓国に来るとき、ドヒョクがかなり助けてくれた。今度は私がドヒョクを助けるタイミングだと思って副主将職を受諾した。
─副主将としてどういう役割をしたのか。点数をつけるなら?
副主将としては特にない。今までの経験からチームが良くないときはどうすべきか、チームがまとまるにはどういう文化が必要なのかなど、些細な部分を伝えようとした。後になって選手がその部分を理解し、一体感も生まれたようだ。
点数をつけるなら50点だ。前半期のときはチームが反転を成し遂げて自分も満足した。ところが後半期のときはチームの期待値も上がり、個人的に振るわないこともあった。チームが最も重要な時期に勝てなくて、そういう部分に責任を感じた。良い点数は与えられないだろう。
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