[Interビュー] 「無条件に来てくれと言った」キム・ドヒョクが引っ張り出したオ・ジェソクの"仁川行き"
インターフットボール
※一部要約
オ・ジェソクが仁川ユナイテッドに移籍するまでにはキム・ドヒョクの説得があった。
オ・ジェソクは2010年、水原三星でKリーグデビュー戦を行った。
翌年に江原FCへ移籍し、たゆまぬ出場を知らせてオリンピック代表に乗船した。
2012ロンドンオリンピックの英国単一チームとの8強戦で負傷したキム・チャンスに代わってグラウンドを踏んだ。
続けて4強戦のブラジル戦、3-4位戦の日本戦で優れた活躍を繰り広げて銅メダル獲得に貢献した。
オリンピックから復帰した後、オ・ジェソクはJリーグに移籍した。
ガンバ大阪に7年間身を置いて公式戦174試合で16アシストを記録した。
それとともにJリーグ優勝1回、Jリーグカップ優勝1回、スーパーカップ優勝1回、日王杯優勝2回を手にした。
オ・ジェソクはFC東京、名古屋グランパスでも生活した後、今年1月に8年ぶりにKリーグに復帰した。
行き先は仁川だった。
左右のSBをどちらも消化できるオ・ジェソクだったし、守備の補強を目標にしていた仁川にとっては卓越した獲得だった。
オ・ジェソクはクラブとのインタビューで「久しぶりにKリーグに戻ってきて嬉しい。特にそのチームが情熱的なファンを持つ仁川なのでさらに幸せだ。仁川がより高いところへ上がる手助けをする選手になれるよう努力する」と所感を明かした。
合流してすぐオ・ジェソクは2021シーズンの副主将に選任された。
"主将"キム・ドヒョクとともにチームを導き、骨惜しみない闘志プレーでチームの早期残留に尽くした。
現在までに26試合2アシストを記録しているオ・ジェソクは、今シーズンの仁川になくてはならない資源だった。
オ・ジェソクの仁川行きは実際のところ簡単ではなかった。
"インターフットボール"キム・ドヒョクはとの電話インタビューで移籍の秘話を聞くことができた。
キム・ドヒョクは「ジェソク兄から聞いたところ、周囲がかなり引き止めていたようだ。反対したという事実に胸がすごく痛かった」と切り出した。
続けて「私はジェソク兄に"無条件に来なければならない"と説得した。サッカー人生において学ぶ点も多く、師匠もすごく嬉しいだろうし、素晴らしいチームだとお伝えした。私の話を聞いていただいて感謝している」と付け加えた。
キム・ドヒョクはオ・ジェソクと親交はなかった。
しかし運命的な出会いと、予測できないつながりで連絡をつけることができた。
キム・ドヒョクは「大阪キャンプで練習試合のときに一度訪ねたのが最後だった。連絡先もなかったが、不思議にも延世大学の先輩とジェソク兄が高校の先輩後輩の間柄だった。モバイルメッセンジャーで連絡がついて電話することができた」と説明した。
オ・ジェソクの合流が一方では心配になったりもしたキム・ドヒョクである。
「チームの成績が良くなかったとき、ジェソク兄のことをかなり考えた。私がジェソク兄に"来てもできる"と言ったのに、"もし間違ってたらどうしよう"と心配した。ジェソク兄が来たシーズンが最近で最も良い成績をおさめて幸い」として安堵のため息をついた。
キム・ドヒョクは感謝も忘れなかった。
「ジェソク兄は私にかなり配慮してくれたし、副主将だが主将と同じ役割を果たしてくれた。来年は2人とも上手くやってファイナルAに行けるよう願っている」と伝えた。
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