「すでに韓国語も学んでましたよ?」日代表出身ユウキのプロの姿勢、ソウルEが期待する理由
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※一部要約

ソウルイーランドFCが1日、日本代表出身MF小林祐希の獲得を発表した。
Kリーグ2の移籍市場に残ると評価されるユウキは、個人トレーナーとシェフの管理を受けて地道の体を作っている。
ソウルEのユニフォームを着てグラウンドに出るのは遠くない。

1992年生まれのユウキは2011年に東京ヴェルディでキャリアを始めた。
2012年から2016年夏までジュビロ磐田でプレーして技量が急成長したユウキは、オランダ・エールディビジのヘーレンフェーンで3シーズン主戦として活躍した。
101試合プレーして3ゴール8アシストを記録した。
2020-2021シーズンにはカタールリーグのアル・ホールSCでも主戦でプレーした。

ユウキは2016年6月の親善試合のボスニア戦で日本代表デビューし、合計8試合に出て1ゴールを記録した。
直近では2019年6月のエルサルバドルとの親善試合でプレーした。
マサ(大田ハナシチズン)やツバサ(大邸FC)のように、Jリーグに定着できなかったがKリーグに挑戦して成長した選手とは異なり、すでに日本代表のキャリアを備えてヨーロッパで主戦としてプレーし、カタールリーグで少なくない年俸を受けていた選手という点で軌跡が異なる。

2020-2021シーズンが終わるとユウキはアル・ホールとの再契約、Jリーグ1の複数チームとの契約について議論しているところだったが、ソウルEが素早く動いた。
ソウルEは前半期の成績が良くなかったため、チョン・ジョンヨン監督とキム・ウンギョン事務局長が額を寄せ合って選手補強について議論していたが、1順位は攻撃型MFだった。
チョン監督はアジアクォーターで日本MFを望み、最終的にユウキを選定した。
このときから熾烈なスピード勝負だった。


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キム局長は「何人か候補がいた。クラスはある程度Jリーグであっても代表であっても、ヨーロッパキャリアのある上級選手を探そうとしていた。2人に絞って監督が先に見た。ユウキが我々のチームに適した選手だと最終結論を出し、すぐに素早く動いた」と振り返った。

だがユウキのキャリア、高い年俸に2部リーグのソウルEのポジションまで、障害物は多かった。
キム局長は「卵で岩を叩く挑戦だと思ったが、監督と話したのは我々の心、ビジョン、意志を示して選手を説得してみようと言った。エージェンシーも最善を尽くした。最終的にはスピード勝負だった。母ブループが意思決定を素早くしてくれた。クラブ、エージェント、母ブループが三位一体となって目標のために走って合致した。オランダリーグで一緒にプレーしたブルタイスやカタールリーグで一緒にプレーしたチョン・ウヨン、ナム・テヒらを通じてKリーグと韓国選手への肯定的な認識を持っていたのも獲得に役立った」と付け加えた。

ユウキがグラウンドでプレーするシーンも早く見ることができるものとみられる。
ユウキは10日には自宅隔離が終わる。
カタールリーグが終わってから日本で短い休暇を取り、個人トレーナーとシェフの助けを受けて体の管理を始めた。
韓国に入国する前は元所属チームのジュビロ磐田で体を作っていた。
現在の体調は70%くらいだという。

キム局長は「とにかくプロフェッショナルな選手だ。ソウルイーランドの試合を分析し、適応するために様々な資料をすでに共有した。すでに韓国語も学んでいる。トレーナーは事情があって来られないがビデオチャットで対処する予定で、もうすぐシェフは韓国に入ってくる予定」と語った。




ソウルイーランド、"心のこもった手紙"で小林祐希を抱えた
OSEN



※一部要約

夏の移籍市場で新選手の獲得に挑戦したソウルイーランドは、ネームバリューの高い選手を探した。
強いカリスマを基にチームを導く選手が必要だったからだ。
フロントの噂をたよりに探した末、小林の獲得を打診した。

小林の獲得を繰り広げたエージェントも、もともと選手と特別な関係はなかった。
だがJリーグで良い活躍をしてから自分の夢を叶えるためヨーロッパに挑戦した小林について関心を持ち、噂をたよりに探した末に関係を結んで連絡をつないできた。
ソウルイーランドの選手獲得の努力について話を聞き、小林をクラブに推薦した。
だがすべて半信半疑だった。
アジア最高級レベルの選手がKリーグ2に進出するのは簡単ではないからだ。

ソウルイーランドのキム・ウンギョン事務局長は小林獲得のため、直々に自筆で手紙を書いた。
小林のチャレンジ精神について驚きを表現し、ソウルイーランドがサッカーを通じて社会貢献活動をしているという話も伝えた。
また、最高のオファーではないが最善を尽くしたと説明した。
エージェントも日本語に手紙を翻訳してから小林に渡した。

小林も悩んだ。
関係者は「小林はソウルイーランドの移籍オファーを受けたときにかなり調べてみたようだ。Kリーグ2進出について負担もあったが、クラブの絶え間ない説得で移籍を決心することになった。選手も新たな挑戦について強い意志を持っている」と説明した。

ソウルイーランドのオファーは大層なものではなかった。
アル・ホールから受けていた年俸とは比較にならない金額を提示された。
半分より少し上の金額だった。
だが小林はキム・ウンギョン事務局長の自筆手紙と積極的な動きで移籍を決心することになった。

キム局長は小林の入団が確定し、国内に入国して再び手紙を送った。
伝統韓菓とともに「本当にありがたい、夢を一緒に叶えよう」という内容の手紙を送った。
小林側の関係者は「選手も2通目の手紙を受けてさらに驚いた。良い成果を上げるという意志が強い」と説明した。



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