ベント号が与えた様々なギフトセット、風楽響いた日本
ベストイレブン

※一部要約
韓国の立場では到底思い出したくない試合だが、日本はそれこそ祝祭の雰囲気だ。
大勝だけでなく様々な記録が量産されたおかげで、韓日戦の喜びを満喫している。
パウロ・ベント監督が率いる韓国サッカー代表は25日夜7時20分、横浜の日産スタジアムで繰り広げられたAマッチ親善試合で日本に0-3で惨敗した。
言及した通り、この試合は最近の日本サッカー代表の雰囲気を急激に引き上げる最高の勝利となった。
日本はこの日の3-0の勝利で1974年の4-1の勝利、2011年の3-0の勝利とともに、歴代韓日戦の通算最多得点差勝利のタイ記録を作った。
スコアに隠れただけで、試合内容は歴代最高だったと言っても差し支えない。
もし後半に韓国のゴールを守ったキム・スンギュが好セーブを続けてしなければ、日本は韓日戦の最多得点勝利を作り出すこともできたからだ。
何人かの選手は幸福感を感じるだけの記録が与えられた。
GK権田修一は無気力な韓国の攻撃のおかげで、Aマッチ8試合連続クリーンシーツを続けることになった。
これで2000年代に日本の看板守門将だった楢崎正剛が持っていたAマッチ7試合連続無失点記録を破り、日本サッカー史上最高のGKの1人にそびえ立つことになった。
それだけではない。
韓国を相手に初ゴールを成功させた山根は、Aマッチデビュー戦デビューゴールという喜びを味わった。
日本サッカー史上で34番目にデビュー戦デビューゴールを成功させた選手として名前を残すことになった。
眩しいデビュー戦を行った山根は、今回の対戦で今後の日本の主戦右SB競争で優位を占めることができるとみられる。
大勝をはじめとして各種ギフトを贈ったベント号のおかげで、日本は今、風楽を響かせている。
スポンサーリンク
徹底して利用だけされた韓日戦、得たものは"何も"ない
スターニュース

※一部要約
何の所得もない。
むしろ日本に利用だけされたまま終わった。
歴代80回目の韓日戦は歴代最悪の韓日戦としてだけ残ることになった。
ベント監督の不明な戦術で、選手の闘志まで消えたまま無気力に跪いた試合だった。
この日のベント監督はイ・ガンインを最前方FWに置き、ナ・サンホとイ・ドンジュン、ナム・テヒを2列目に配置する変則戦術を出した。
だが170センチ台序盤のFWを前方に布陣して"ロングパス"だけを繰り返す戦術に終わった。
前半のシュート数がわずか1本に終わったのも同じ理由だった。
選手の闘志まで見つけられなかった。
日本は強力なプレスを前面に出して韓国を苦しめたが、韓国はそんな日本を相手に何の力も発揮できなかった。
負傷やコロナ19の余波で代表の構成が正常ではなかったが、闘志まで消えた姿にサッカーファンも溜息をつくしかなかった。

残ったのは凄惨な結果だけではなかった。
今回の韓日戦は成立当時から言葉が多かった。
コロナ19の状況の中、あえて日本遠征が推進された上、日本が韓日戦を東京オリンピック開催の示範ケースにしようとする意図が明確だったからだ。
しかも韓日戦が行われた日、東京オリンピック組織委員会はオリンピック聖火リレーを始めた。
大韓サッカー協会とサッカー代表が"日本に利用されるのではないか"という疑問がずっと出ていた。
挙句の果てに、"韓日戦を取り消すべき"という青瓦台国民請願まで登場した。
代表構成の過程でも雑音が続いた。
ベント監督はハムストリングを負傷したソン・フンミンをあえて韓日戦で活用しようと努めたが、結局出国前日に諦めた。
所属チームでコンディション不良だったホン・チョルの代表抜擢について、ホン・ミョンボ蔚山監督がコミュニケーションの不在について惜しさを指摘したりもした。
また、すでに3月はじめにコロナ19確診判定を受けて自宅隔離までしていたチュ・セジョン(ガンバ大阪)を代表に選抜し、招集前のPCR検査で再び陽性判定を受けると、慌てて代替選手を探す"寸劇"まで起きた。
このような雑音をそれでも静められるのは、韓日戦での闘志溢れる試合だけだった。
だがそれすらも韓国は一貫して無気力な競技力の末、3ゴール差の惨敗を喫したまま頭を下げた。
東京オリンピックの聖火リレーが始まった日。
韓日戦で3-0の完勝をおさめた日本はそれこそ祝祭の雰囲気となった。
そんな日本に利用だけされたまま、韓国サッカー史にはもう一つの"惨事"と"屈辱"だけ追加された。