[インタビュー] "頑固で粘り強いGK"パク・ソンス「大邸出身代表の系譜を夢見る」
スポータルコリア



※一部要約

パク・ソンスは大邸FCの代表守門将の系譜を継ぐという気持ちで韓国の地を踏んだ。
あるいは彼のサッカーは今が始まりだ。

大邸は11日、GKパク・ソンスの獲得を発表した。
事実、彼の名前を知る人は多くない。
高校のときも目につく選手ではなかった。
卒業後に日本でプロ生活を始めたが、ほとんどの時間を下部リーグでプレーしたため、大きな関心を集められなかった。
すでにプロ7年目に入ったが、まだ無名である。
だが知っている人は知っている。
身一つで日本に渡った彼が、不慣れな地でポジションを取るために、どれだけ厳しい戦いをしてきたのかを。
大邸がパク・ソンスを獲得したのには明らかに理由があるだろう。

パク・ソンスは14日、"スポータルコリア"との電話インタビューで大邸に入団した所感を明かした。
彼は「大邸は日本にいたときから印象深く見ていたチームだ。特に去年、コロナの状況の中でJリーグよりもKリーグが先に始まった。そのときに大邸のサッカーを見て、やってみたいと思った。Kリーグは初めてだが、大邸で始まることになって光栄に思う。大邸は今シーズン、アジアチャンピオンズリーグに出るチームでもある。すべての選手が夢見る舞台だ。そのチャンスがあるということを光栄に思う。大邸を知らしめ、韓国を知らしめるチャンスだと思うので、より責任感を持って臨む」と伝えた。

続けて「大邸は3バックを駆使して守備を堅くするチームだと感じた。速いカウンターで得点を炸裂させる。日本にいたときもそういうサッカーが好きだった。そういう意味で大邸のサッカーを印象深く見ていた。大邸の競技場の雰囲気とファンの情熱的な応援は、Kリーグ内でもホットだという消息を聞いた。一日でも早くコロナ19の状況が静まり、ファンも競技場を訪れてくれて、私も競争を勝ち抜いてからファンの前でプレーする姿をお見せしたい」と固く誓った。

実は最初の挨拶をして驚いた。
韓国語がぎこちないというのか。
まるで在日僑胞の選手と対話している感じだった。
もっとも、日本の生活だけで6年である。
韓国語を使うことはほとんどなかっただろうし、6年を日本語だけ使っていたので、日本語のほうが慣れているのは当然だ。
一方では不憫さも感じられた。
異国の地で生き残るために汲々と日本語を学び、日本でプレーするサッカー選手になるため努力した彼の6年が、一語一語から感じられたからである。

これほどであれば、日本生活のほうが彼にとって楽でもあったはず。
あえてKリーグで新たな挑戦に向かう理由が気になった。
ちなみにパク・ソンスはプロ2年目に入る頃、十字靭帯破裂の負傷で軍免除の判定を受けた。
彼は「率直にかなり悩んだし、日本生活にかなり適応して、韓国に来ることに対して恐れがあった。でもJリーグの2部でずっとプレーするとしたとき、注目されることができるのかと考えた。Kリーグ1でプレーするのとは違うと思った。大邸のような良いチームが呼んでくれたので、韓国に来ることを決めた」と答えた。


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パク・ソンスは幼い頃から他の人と違う道を歩んできた。
始まりから遅れた。
中学1年のときから正式にサッカーを学んだ。
同年代より数年遅れてサッカーを始めた。
GKグローブをはめることになったのも、単に背が高いという理由からだった。
高校進学後の選択も特別だった。
学校のサッカー部ではなく、クラブチームでサッカーをした。
さらに注目されなくても、良いサッカーを学ぼうとしたからだ。

パク・ソンスは高校卒業後も大学ではなく日本行きを選んだ。
本人が優れた選手ではないことを認識していたのでもっと早く、もっと多く学びたかった。
大学進学もできたが、彼は他の人より先にプロに足を踏み入れるべきと思った。
パク・ソンスは「河南FCで同年代の選手が日本Jリーグに行くのを見て、すぐプロに行くなら日本のほうも大丈夫だと思って熱心にやった。3年のときに当時のエージェントの方が日本に行ってみようと言い、悩んだ末に日本行きを選んだ。目標がプロ選手になることだったし、最終目標が代表なので1年でも早くプロ生活をしたほうが良いと思った」と説明した。

日本行きの飛行機に乗り、代表になって帰ってくると誓った。
彼の恩師であるイ・キュジュン監督、ユ・ジェソクコーチがどちらも同じ話で応援してくれた言葉だった。
ロールモデルをキム・ジンヒョン(セレッソ大阪)とした。
もちろん、未だにその夢は実現されていない。
彼は「率直に高校のときも、日本でも有名じゃない選手だった。結局、代表の夢はまだ実現できていない。でもこれからが始まりだと思い、私の名前を知られるように努力する」と改めて歯を食いしばった。

回り回って帰ってきた。
誰かが彼について失敗だと言うかもしれない。
だが自分ではそう考えていない。
別の道に進んだ選択に後悔はないからだ。
「私は一つも後悔しない。一瞬一瞬で大変だったときは多かったが、そのたびにサッカーを遅れて始めたので、他の人よりもっと努力して、もっと耐えなければならないと思った。なので日本で良いチャンスを貰って、たくさんプレーすることができた。最終的に、誰もが来たがる大邸に来ることになったじゃないかと思う」

再び白紙からの始まりだ。
まずは主戦争いで生き残らなければならない。
大邸はまだ主戦GKが決まっていない。
代表GKク・ソンユンが去ったし、"キバノロ(※叫び声が似てるという理由)"で話題を集めたチェ・ヨンウンをはじめとして、ともに大邸に入団したムン・キョンゴンと競争しなければならない。
イ・ビョングン監督は3選手を競わせた後、開幕戦でプレーするたった1人の守門将を選ぶ予定である。
強いてパク・ソンスの長所に言及するなら反射神経だ。
192センチの長身と長い腕を活かした好セーブが逸品である。
強いて比較するならチョ・ヒョヌのような"好セーブ型"GKだ。
日本では身体条件とプレースタイルで、ダビド・デ・ヘアと似ているという声をかなり聞いた。

パク・ソンスは「他の2選手も上手な選手で、私が考えても誰がプレーしてもおかしくない。でも私自身はこれまでのプロ生活6年間と、7年目に入ってやってきたことがあるので、自信はあると思う」として、「長所の反射神経を活かし、一対一やミドルシュートなどすべての状況でしっかり防ぐ自信がある。試合数でも経験が最も多いだろう」と自分をアピールした。



パク・ソンスの1次目標が大邸の主戦守門将なら、2次目標は大邸出身の代表守門将の系譜を継ぐことだ。
彼は「幼い頃から代表になりたいと思っていた。太極マークをつけて試合でプレーする光栄さを感じたい。国を代表するのは本当に光栄なことだと思う。日本で暮らして愛国心も格別になったようだ。家族にも喜びを与えられ、恩返しができると思う。大邸がチョ・ヒョヌやク・ソンユンら代表GKを保有していたチームなので、その系譜を継ぎたい」と語った。

一言一言から根拠のある自信がにじみ出ていた。
成功への意志もいっぱいに見えた。
それだけ自分に対する哲学も確固としていた。
パク・ソンスは「まずサッカー選手人生は短い。後悔を残さず、一つ一つ与えられたことに最善を尽くすのが最も重要だと思う。私は常に100%で臨んできたので、これまでのキャリアに後悔はなかった。大邸でも同じ気持ちで臨み、目標にしていた部分を一つずつ成し遂げていく」と主張した。

パク・ソンスは"テパク(※大邱銀行パーク)"でファンの前に立つその日を夢見ている。
彼は「もし私が試合に出られるなら、競技場で最大限無失点に防ごうと努力する。防ぐことには自信がある。私の長所である反射神経を最大限に活かし、大邸のためにプレーする。一日でも早くファンと会いたいし、私も競争で生き残って大邸のゴールを堅く守りたい」と競技場でファンと会うことを約束した。


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