マラドーナを蹴飛ばしたホ・ジョンム…"テコンサッカー"新造語誕生
文化日報



※一部要約

ディエゴ・マラドーナは韓国と特別な縁を結んでいる。

マラドーナは1986年のメキシコワールドカップA組1次戦で、主将としてアルゼンチンを陣頭指揮して韓国を3-1で下した。
当時、ワールドスターだったマラドーナを防ぐために、韓国はホ・ジョンム(大田ハナシチズン理事長)を専門担当のマークマンとして投じ、ホ・ジョンムは激烈にマラドーナを扱った。
特にホ・ジョンムがボールをクリアしようとしてマラドーナの太ももを蹴飛ばし、いわゆる"テコンサッカー"という新造語が誕生した。
マラドーナはメキシコワールドカップでアルゼンチンに優勝カップをもたらしてゴールデンボール(最優秀選手)に選ばれた。

24年後の2010年にマラドーナとホ・ジョンムはまた会った。
南アフリカワールドカップでマラドーナはアルゼンチン、ホ・ジョンムは韓国代表の監督として再会した。
当時、B組2次戦でアルゼンチンが韓国を4-1で退けた。
そこでマラドーナはそのときタッチラインまで出てきて、大声で叫んで韓国を刺激した。
マラドーナは選手の激しい競り合いが出るたびに韓国ベンチに向けて大声を上げ、ホ・ジョンムはマラドーナに静かにしろというジェスチャーをすると同時に、待機審を呼んでマラドーナを静止しろと要請した。

マラドーナは2017年にホ・ジョンムとの古い悪縁を晴らした。
マラドーナは2017年3月にFIFA20歳以下ワールドカップの組み合わせ抽選のために訪韓、ホ・ジョンムと会って和解した。
マラドーナは組み合わせ抽選の前に行われたイベント、ミニサッカーゲームでホ・ジョンムと抱擁した。
特にマラドーナは、メキシコワールドカップ当時のホ・ジョンムの深いタックルシーンが入った写真を渡されて豪快に笑った。
マラドーナは「ホ・ジョンムはすべての面で立派な方」として、「(タックルの状況は)世界的な舞台のワールドカップで出たので覚えている」と明かした。


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韓国サッカーの伝説が記憶しているマラドーナは?
スポーツ京郷



※一部要約

ホ・ジョンム大田ハナシチズン理事長は選手と監督でマラドーナと対決した珍しいケースである。
1986年のメキシコワールドカップのグループリーグでは"テコンサッカー"と呼ばれる忘れられないシーンを作るなど、マラドーナを専門担当でマークし、2010年の南アフリカワールドカップでは韓国サッカー代表を率いて参加し、グループリーグでマラドーナが司令塔のアルゼンチンと対決を繰り広げたりもした。

ホ理事長は26日に記者との通話で「あまりに早い年齢で亡くなったので残念だ。サッカーでは全世界を合わせて伝説的な選手だった。冥福を祈りたい」と語った。

ホ理事長が記憶しているマラドーナはそれこそ"天才"だった。
ホ理事長は「私がホタルならマラドーナは太陽のように輝く選手だった。選手としては誰よりも尊敬に値した」として、「ボールが足にくっつくドリブルの腕前と、パスをする視野があまりに卓越していた。背は低いがガッチリした体格と生ゴムのようなバネを誇っていた。サッカー知能は疑いの余地なく世界最高だった」と振り返った。
続けて「それでも当時の大会では我々としたときが最も不出来だった。逆にベルギー、イングランドと会ったらワンマンショーをした。我々がやや荒っぽく対応したの部分も影響があったのだろう」と付け加えた。

マラドーナは選手時代に積み上げた業績に比べ、指導者としてはあまり成功できなかったという評価を受けている。
だが南アフリカワールドカップで知略対決を繰り広げたホ理事長の考えは少し違う。
ホ理事長は「指導者として成功できなかったのは残念ではある。それでも南アフリカワールドカップのときの戦いで多くのことを学んだ」として、「我々との試合を前に、韓国サッカーは荒くてテコンサッカーをするとアピールした。これは審判に対する無言のプレッシャーで、一種の心理戦だった。そのような戦いができる勝負師だった」と評価した。
韓国は当時、アルゼンチンに1-4で完敗した。

チェ・スンホ元浦項スティーラーズ監督が記憶しているマラドーナも、ホ理事長と大きく変わらない。
1979年にアルゼンチンが優勝した世界青少年サッカー選手権大会のとき、韓国19歳以下代表に選ばれて出場した。
当時は同組ではなかったのでぶつかる機会はなかったが、外から見守っただけでも格別なインスピレーションを与えられた。
メキシコワールドカップのときはホ理事長とともに代表に選ばれ、アルゼンチン戦に出場して対決を繰り広げた。

チェ元監督は「1979年のときはあどけない顔の新星だったし、1986年のときは円熟味が感じられる代表だった。2回ともグラウンド上で完璧だった」として、「マラドーナという人物を凌ぐ選手はいなかった」と振り返った。
それとともにマラドーナこそが本当に"天才"という声が惜しくない選手だと絶賛した。
チェ元監督は「最高のサッカー人だった。同時代を生き、同大会でぶつかってみて、本当に天才というものがわかった」として、「天才なら当人は恥ずかしがらず、他人は認めなければならないが、マラドーナがまさにそういう選手だった」と語った。




"驚きの出会い"チェ・ガンヒ、故マラドーナ哀悼「偉大なスターが去って全世界が悲しみに沈んだ」
OSEN



※一部要約

チェ・ガンヒ監督は「マラドーナは韓国のファンだけでなく全世界のファンに偉大な印象を残したサッカースター」として、「この年齢で亡くなるのは非常に残念なこと」と語った。
続けて「今、全世界が今回のことで悲しみに沈んでいる。私もやはり非常に残念だ」と付け加えた。

チェ・ガンヒ監督とマラドーナの縁は2015年に遡る。
チェ監督が全北現代を率いてUAEドバイでキャンプをしている間、マラドーナがキャンプをサプライズ訪問した。

当時、マラドーナは「アジアの名門クラブである全北のチェ・ガンヒ監督と選手に会うことになって光栄であり祝福だ」として、「2015年も幸運とともに優勝するよう祈っている。今年は全北の応援のために韓国を訪れる」と語った。

チェ・ガンヒ監督もやはり選手団全員のサインが入った背番号10のユニフォームをプレゼントして「応援のために訪れてくれてありがとう。選手にとって大きな喜びとなった」と応えた。



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