「久保-中井もSONのようになれば」…"SON"の活躍に驚いた内田
スポータルコリア



※一部要約

日本代表出身でブンデスリーガを走っていた内田篤人が後輩の成長を望んだ。

日本"サッカーダイジェスト"は23日、サッカーシューズを脱いだ内田のインタビューを伝えた。
彼は大韓民国の主将ソン・フンミンの活躍に驚きを伝え、日本代表にもソン・フンミンのような選手が現れることを願った。

右SBの内田は2010年にシャルケ04のユニフォームを着てドイツ生活を始めた。
シャルケだけで7シーズンの間、153試合に出て主軸選手として活躍した。
その後、古巣の鹿島アントラーズに復帰してプレーし、8月に引退を宣言した。

ドイツで成長した彼は、ソン・フンミンをよく知っていた。
特に日本代表で活躍しただけに、ライバル意識も隠さなかった。

内田は自分が相手にしたソン・フンミンの成長の勢いに驚いた。
彼は「ソン・フンミンはすごい。ドイツで会ったときはあれほどの選手じゃなかった。もちろんシュート力は優れていた」と磨かれていなかった原石時代のソン・フンミンを思い出した。

彼は「ソン・フンミンはイングリッシュ・プレミアリーグに移籍した後、見違えるほど成長した。おそらく金もたくさん稼いでいるのだろう。羨ましい」とソン・フンミンの成長を機転を利かせて伝えた。

内田はレアル・マドリード所属でビジャレアルにレンタル中の久保建英と、レアルユースにいる中井卓大に言及した。

内田は「久保と中井が技量を磨き上げてヨーロッパで活躍してほしい」と後輩選手がソン・フンミンのようにそびえ立ってほしいという願いを伝えた。


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"札幌ショック"から出た一言、「韓国が何年間か勝てなくさせろ」
スポータルコリア



※一部要約

日本代表の主軸として活躍した内田篤人が、大韓民国とのライバル戦を思い出した。

2006年に鹿島アントラーズでプロの舞台に足を踏み入れた彼は、2010年にドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04に入団して全盛期を迎えた。
目立った外貌とは裏腹に、積極性とタフさで右サイドを死守した。

ドイツだけで8年過ごした彼は、日本代表でも大活躍した。
年代別代表を経て2010年の南アフリカワールドカップと2014年のブラジルワールドカップに出て、合計74回のAマッチに出場した。
2011年にはカタールアジアカップの頂点に立ったりもした。

日本を代表した内田は、韓国との対決も避けられなかった。
"サッカーダイジェスト"は23日、「ダービー関係について語った彼は、日本の最大のライバルに韓国を挙げた」と彼の言葉を伝えた。

内田は韓国と日本の最も印象深い試合として残っている、"東京大勝"と"札幌ショック"の話を順に取り上げた。

メディアは「内田は最も記憶に残る韓日戦に、1997年に東京で行われたフランスワールドカップアジア地区最終予選と言った。彼は幼い頃から山口素弘のチップショットを真似ていたと明かした」と伝えた。

当時、韓国は山口に先制ゴールを許したが、後半終盤のソ・ジョンウォンとイ・ミンソンの連続ゴールでスカッとする2-1の逆転勝ちをした。



内田は「僕もやはり韓国とのライバル戦では負けたくなかった」と2011年の対決の話も取り上げた。

光復節を前に札幌で行われた試合で、日本は一貫して優位な姿を見せて韓国を3-0で下した。
韓日戦で出た3点差のスコアは37年ぶりだった。
日本にとっては大きな喜び、一方の韓国にってはショックだった。

内田は「当時、代表の司令塔だったアルベルト・ザッケローニ監督は、僕たちのライバル意識が足りないと思ったようだ。彼はハーフタイムに"韓国が何年間か勝てないと思うようにさせろ"と言った」と自分たちを覚醒させる司令塔の一言を思い出した。



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