"仁川は他と違うところ"…2年目、今や堂々とした2年目、成熟した"監督"キム・ジョンウ
ベストイレブン

※一部要約
選手時代に声もなく強いMFとして名を馳せた"骨ジョンウ"のキム・ジョンウ大建高監督が、2年目の指導者として体験する所感を伝えた。
2003年から2012年まで韓国サッカー代表の主軸MFとして活躍したキム・ジョンウ監督は去年、仁川ユナイテッドU18大建高の監督として現場に姿をあらわした。
キム監督は大建高の指揮棒を手にした新年、全国体育大会の高等部優勝とKリーグジュニアリーグ前後期でそれぞれ3位の成績を上げて、指導者としての芽を見せた。
大建高は14日から慶北の浦項市一円で行われている2020KリーグU18チャンピオンシップに参加中である。
主軸が負傷で大挙外れた大建高は、14日午後6時に行われた開幕戦で、富川FC1995U18に1-3で完敗した。
上位圏を狙う仁川にとってはPKだけで2ゴールを奪われるなど、やや心残りのある結果となった。
心残りがあるのはキム監督も同じだった。
キム監督は15日、大建高が宿舎に利用している浦項市内のあるモーテルのロビーで取材陣と会い「内容と結果とも非常に残念だ。コロナで運動場の使用が滞り、規格の小さい学校の運動場で練習するなど、上げていくのに難しさがあった。負傷の選手は試合でプレーできなかった」として惜しんだ。
スポンサーリンク

しかし、はっきりと新人監督の気配を脱した余裕が感じられた。
キム監督は去年に大建高の指揮棒を取った。
そして今年2年目を迎えた。
初心者っぽさを脱して余裕が見えたが、キム監督は「1年目のときより考えることも多くてもっと難しい」と笑った。
状況に合わせて子供たちに理解させ、直接できるようにさせなければならないが、思ったほど上手くいかないということだった。
彼は「攻撃や守備、ポジションも状況によって言うことが変わる。それを一つ一つ説明するのは容易じゃない。子供たちはそれを理解してこそ発展するのだが…」と笑みを浮かべ、2年目の若手監督としての苦衷を打ち明けた。
それでもキム監督は、大建高の弟子の底力に地道に信頼を送り、大建高を国内トップに飛躍させるため、最善の努力をすべて行っている。
キム監督は「子供たちは話をよく聞き、守ることをしっかり守っている。情熱もある」と語った。
2年目を迎えた大建高でのスタイル的な変化としては、「去年は下がって守備をする状況が多かった。今年はそれより少し前で相手に負担を与え、プレスしようと試みている」と言及した。
これはどうしてもキム監督が現役時代に多く走るMFだったという、出身的な要因が作用した結果である。
キム監督は痩せた体型だったが、誰よりの旺盛にグラウンド全域を走るMFだった。
彼は「なので私たちのMFはたくさん走る(笑)。たくさん移動してプレスしろと子供たちに注文している。そうしていると体力的にも良くなった」として、チームスタイルの変化について明かした。
キム監督は現役時代、一歩さらに走ることで有名だったが、子供たちの前では"柔らかいカリスマ"で教えを伝えている。
キム監督は開幕戦で敗北を喫したが、声を高めなかった。
彼は「子供たちの前で語調は強めない。そうしても怖がらない。落ち着いて話をしても、腹が立っていることを子供たちは感じる(笑)。それでも話はたくさんする。状況によってこうしろと言ったとき、状況に合わないことがあって混乱することもあり得るが、ハーフタイムになればフィードバックくらいは与えるほうだ。必要なときは出ていって話もする」と自分の指導哲学について語った。
キム監督は仁川出身である。
仁川にある学院サッカーの名門・富平高を出た。
なので大建高で取った指揮棒の意味は格別だ。
彼は「サッカーを始めたところが仁川で、指導者もここで始めた。なので意味は格別だ。チームが成長するのに役立てるよう努力したい」と語った。
子供たちとともに語り、彼らが変わっていく姿を見たとき、面白くてやりがいがあるというキム・ジョンウ。
彼の目標はプロや代表の監督ではない。
今いる位置で最善をつくすことだ。
彼は「特に計画や目標を定めていることはない。一つ一つ状況に合わせてしていれば、良い機会が来るだろうと思う」と未来を歌った。
はらだ みずき KADOKAWA 2019年06月14日頃