パク・チソン、「最も惜しい瞬間?2011年の韓日戦のPK戦敗北」
インターフットボール



※一部要約

パク・チソンは個人のキャリアを合わせて最も惜しい瞬間に、9年前の韓日戦のPK戦を挙げた。

2002年に満21歳の年齢でヒディンク監督が率いる大韓民国代表に選出されたパク・チソンは、韓日ワールドカップ4強神話を導いた英雄である。
翌年、オランダのPSVアイントホーフェンに移籍すると、2005年から2012年までイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドで全盛期を過ごした。

現在、国内で家族と時間を過ごしているパク・チソンが、大韓サッカー協会(KFA)が運営するK3-K4リーグ放送に出演し、"LAN線サイン会"に参加した。
"コロナ時局"に合わせて、事前にファンからの様々な質問をまとめていたK3-K4リーグの関係者が、ゲストのパク・チソンと質疑応答の時間を設けた。

ソウル麻谷地区のあるスタジオに参加したパク・チソンに、"現役に戻って再びプレーしたい試合はあるか?"という質問が伝えられた。
パク・チソンの返答は確固としていた。
彼は「2011年のアジアカップ4強戦の韓日戦」と答えた。


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当時、チョ・グァンレ監督が率いていた韓国代表は、カタールで行われた2011アジアカップ4強戦で、キ・ソンヨンのPKゴールで日本に1-0のリードをしていた。
だが同点ゴールを許し、1-1で延長戦に入った。
細貝に逆転ゴールを許した韓国は、延長終了直前のファン・ジェウォンの劇的な得点により、2-2の引き分けでPK戦に突入した。

PK戦の結果は凄惨だった。
韓国の1番・2番・3番キッカーだったク・ジャチョル、イ・ヨンレ、ホン・ジョンホが連続でPKシュートのキックに失敗した。
主将パク・チソンはPKキッカーに出なかった。
韓国は日本に0-3で敗れ、決勝に上がった日本は大会優勝カップを抱えた。

パク・チソンは韓日戦のPK戦を残念がった。
彼は「時間を戻すことができるなら、2011年のアジアカップ4強戦のPK戦を私が蹴りたい。あのときは、私はPKを蹴られないと思った。私より後輩のほうが上手く蹴るという考えで譲歩した。後で聞くと、後輩らは負担をかなり感じたと言っていた」と振り返った。

続けて「私が再びプレーしたい試合はその試合一つ」と付け加えた。
司会者のパク・ムンソン解説委員が「マンU時代に惜しい試合はなかったのか」と尋ねると、パク・チソンは首を左右に振った。
彼はひたすら代表時代の韓日戦のPK戦だけを思っていた。

それより10年余り前、パク・チソンは2002年の韓日ワールドカップ8強戦で、スペインを相手にPK戦のキッカーに出たことがある。
当時、スペインのゴールはイケル・カシージャスGKが守っていた。
韓国の2番キッカーとして出た末っ子のパク・チソンは、スペインのゴール右隅に決めた。
PK戦の結果、韓国が5-3でスペインを退けて4強に安着した。

スペイン戦を振り返ったパク・チソンは「2002年のワールドカップのときは、PK戦を蹴れと言われて蹴った。末っ子なので何もわからずに蹴った。あの状況でどうやって蹴らないと言うのか」と笑ってみせ、「カシージャスGKがセーブしなかったおかげで、運良くゴールを決めることができた」と20年余り前の思い出を振り返った。





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