[2019同門インタビュー①] コンサドーレ札幌のキム・ミンテ「A代表乗船が先」
光云大学校アルマス
※一部要約
光云大学校出身のプロ選手を調べる時間!
その最初の主人国は"Jリーグ5年目"コンサドーレ札幌のDFキム・ミンテ選手!
アメリカには"My success depends on my efforts"という名言がある。
自分の成功は自分の努力にかかっているという言葉で、目標があるなら熱心に努力しろということである。
キム・ミンテもこの言葉を肝に銘じている。
より高いところへ行くために絶えず努力しながら。
キム・ミンテは2012年に光云大に入学し、"2014Uリーグ・キングオブキング戦"優勝の一助となり、学校史上初優勝という業績を成し遂げた。
大学の舞台での活躍は、プロ入団の足場となった。
キングオブキング戦の優勝後、キム・ミンテはJリーグのベガルタ仙台に入団してプロデビューに成功した。
最初のシーズンは順調ではなかった。
"負傷"という悪材料にぶつかったのだ。
だが地道なリハビリと言語の学習によって、自分だけの突破口を見つけた。
現在は所属チームで着実に出場し、Jリーグのファンと韓国のサッカーファンに印象を植え付けている。
キム・ミンテは「A代表に乗船して人々に強いインパクトを植え付けるのが目標」と明かした。
簡単な事項紹介をまずお願いします。
─私は光云大学校出身でJリーグの"コンサドーレ札幌"というチームでプレーしているキム・ミンテといいます。
最初に質問は光云大時代に戻ってみます!どのポジションをして、自分で考えてどんな選手でしたか?
─今はCB、MFを一緒にやっています。最近はCBをする状況が多いが、その中でリベロとして立つ回数が多いです。光云大時代は中央MFを主にしてました。守備でも攻撃でも積極的にたくさん加担し、試合を思い通りにするポジションでした。
そのときオ・スンイン監督が特に注文したことはありましたか?
─そのときは守備に弱点がありました。(監督に)守備についての指摘を多く受けましたね。練習で細かい要求を受けました。
それではそのとき監督から学んだことが、JリーグでDFを引き受けるとき大いに役立っていますか?
─はい、役に立ちました。最初に守備をしたときは不慣れでしたが、(守備を学んだ)経験が役に立ったのではないかと思います。
光云大時代で最も記憶に残る試合はありますか?
─当然Uリーグのキングオブキング戦の決勝戦でしょう!ゴールを多く決めましたが、どうしても光云大史上(Uリーグ)初優勝で最も記憶に残っています。
光云大時代を経て、Jリーグで初めてプロに進出しました。どうしても海外だったので適応が難しかったようですが、最初はどうでした?
─最初は言語、文化的な部分が難しかったです。さらに日本に来てすぐ負傷しました。3~4ヶ月休むと精神的に大変でした。最初の1年は大変でしたが、日本選手の文化や考え方などを理解しょうと努めました。そうするうちにどんどん適応しました。特にコンサドーレに来てから選手を親しく接しています。
日本に来てすぐ負傷したとき、リハビリ治療以外に何をしましたか?
─日本語の勉強を主にしました。勉強するという目標で、日本のドラマや漫画を多く見ました。聞き取りの練習になりました。もちろん面白くてたくさん見たりもしましたが(笑)
異国での生活で大変なとき、役に立ったことは何ですか?
─試合に出場することが最も大きな慰めでした。特に1年目のときは、試合でゴールを決めれば、それ自体が慰めでした。
言語的な困難も大きかったと思います。今は日本選手とどうコミュニケーションするのですか?
─日本人だけではないですが、日本に長くいると、問題なくコミュニケーションしています。
それでは初期に日本語が未熟だったときは、どんな方法を使っていたのですか?
─わからない部分はボディランゲージや翻訳機を使いながら選手とコミュニケーションしました。
休みの日に何をして過ごしているのか気になります。札幌は韓国でも有名な観光地じゃないですか。なので旅行や美味しい店を探訪するのですか?
─主に家族との時間を過ごします。でなければソンユン(ク・ソンユン、コンサドーレ札幌GK)と美味しいものを食べに行き、遊びに行ったりもします。
JリーグではCBを担っています。以前は中央MFでもプレーしてましたが、どのポジションがやりやすいですか。
─監督がMFのようなCBの選手を望んでいます。パスの配給が重点にあるのでしょう。そのような点で、私たちのチームの戦術では、CBとMFは似ています。どのポジションが良いのかはわかりませんが、私は体格が良いのでCBは悪くないと思います。でも心の片隅にはMFを最もしたいです。なので常にMFでプレーできるように準備しています。
探してみた記事によると、ペトロビッチ監督はキム・ミンテ選手をよく見ているようだし、キム・ミンテ選手も監督の教えに満足しているようですが、監督が特に要求している事項はありますか?
─攻撃的なことを多く要求します。"ドリブルして奪われても構わない。前に行け"と攻撃的なプレーを注文します。攻撃的なDFとして、攻撃の起点になることを望まれます。他チームのCBよりビルドアップをより重視していると見ることができます。
Jリーグでプレーして感じた、韓国サッカーと日本サッカーの差異点は何ですか?
─韓国のプロであるKリーグを経験できてませんが、差を感じられる部分があることはあります。私が感じるのは、日本サッカーはもう少し細かいです。例えばボールをどう動かし、パスをして、コントロールするのかを重視します。一方、韓国サッカーは明確な目標があるサッカーです。大きな枠組みをはっきり備えてやります。韓国と日本のサッカーは互いに長短所があると思います。
Jリーグには世界的な選手が多いです。イニエスタのような場合は中央MFなので、キム・ミンテ選手も関心を持って見守っているのではないかと思いますが、ワールドクラスの選手は本当に違いましたか?
─ええ、そうです。イニエスタは本当に違うと感じました。でも試合でプレーし、サッカーは1人でするものではない、チームスポーツだということを感じました。それでもレベルの高い選手は、レベルの高いサッカーを見せました。
チームメイトのうち、小野伸二は日本を代表していた選手で、ソングラシンは現在のタイを代表する選手じゃないですか?その選手と一緒にプレーしてどんな感じなのか気になります!
─小野伸二は技術や視野など、サッカーについてたくさん教えてくれました。ソングラシンは私と同い年だが、ものすごいスターです。タイのソン・フンミンですから。そういう部分で常に刺激されています。試合で一緒にプレーすれば"ヨーロッパに行っても通じるのではないか"という考えになります。実力が良いのです。性格も良いです。
ソン・フンミン選手に少し言及されましたが、リオオリンピックでソン・フンミン選手とのエピソードはありますか?
─16強のメキシコ戦の前日練習をいい加減にして、兄たちに怒られました。そのときフンミン兄さんが「お前8強に行ったのか?」と刺激を与えました。翌日メキシコに勝ち、本当に8強に行きました。フンミン兄さんが試合後のミーティングですごく浮き立ってました(笑)。なので私たちの1人が「4強に行った?」と言いました。まだ大会が終わってないことを遠回しに言ったのです。おかげですごく楽しかったです。
今後のキム・ミンテ選手の個人的な目標は何ですか?
─最も近くの目標はA代表に行くことです。最近は試合でずっと出つつあって、コンディションも悪くありません。十分可能だと感じてます。(代表で)強いインパクトを植え付ければ、ヨーロッパのようなより高い舞台にも行けると思います。そのためにこの目標を持ち、毎日毎日最善を尽くしています。
インタビューの終わりに、キム・ミンテ選手とプレーした光云大の選手に一言お願いします。
─今プロでプレーしている選手が多いんじゃないですか。光云大という名前で一緒にプレーした同僚なので、みんなもっと上手くいってほしいという気持ちです。私だけでなく、誰かが上手くいっていれば、互いに刺激になります。みんな自分の席で熱心に臨んでほしいです。
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