[インタビュー] 翼「韓国人は日本人をあまり好まないと…」
NEWSIS




※一部要約

プロサッカーKリーグ1の大邸FCでプレーする西翼(29)のキャリアは独特である。
日本熊本県熊本市で生まれて大学まで日本だったが、日本プロサッカー(Jリーグ)でプレーしたことがない。
大学を卒業する彼にラブコールを送ったチームが一つもなかったからだ。

サッカーで生活するため、翼は東欧に突破口を見出した。
ポーランド4部リーグでキャリアを始めた彼はポーランド2部、1部リーグなど、様々なカテゴリーを経た。
ヴィジェフ・ウッチ、レギア・ワルシャワなどポーランドの名門クラブも経験した。
昨シーズンにスロバキア1部リーグでプレーした後、去年6月15日に大邸のユニフォームを着た。

チョ・グァンレ大邸社長は「映像を見て、パスに長けているうえに競り合いも可能な日本人選手なので、獲得することにした」という。
ソン・ホサン強化部長が当時スロバキアに行って諸般の事情を確認し、移籍が実現した。

韓国はもちろん、日本でも知られたことがほとんどないMFは、1年も経たずに大邸の中盤の核心選手になった。
今シーズンのリーグ11試合に出て1ゴール1アシストを加え、AFCチャンピオンズリーグでもアシストを1つ記録するなど、活躍を続けている。
日本チームのサンフレッチェ広島との試合でもプレーした。
「プロの舞台にデビューしてから初めて自国で自国チームと対決した」として笑った。

アジアの舞台での活躍のおかげで、日本メディアも翼に関心を持ち始めた。
メルボルン・ビクトリーとの試合では、元日本代表の本田圭佑と対決したりもした。
29歳の年齢で、アジアで少しずつ名前を知らしめているところだ。

独特なキャリア、秀でた実力の土台には、サッカーへの深い愛情がある。
自ら「サッカーが好きだったし、諦めなかったのでここまで来た」として、「運が良い」という。


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─サッカーを始めたのはいつなのか。どんなキッカケだったのか気になる。

「5歳のときである。親戚の兄がいた。何歳上だったのか記憶はあまりない。その兄がサッカーをしていて見に行ったことがあり、何だか面白そうだった。両親に頼んでサッカーを始めた。町内にあったリベルタ北熊本というクラブに入って本格的にやった。おそらく初めて聞く名前だろう。だが全日本少年サッカー大会(13歳以下の幼少年全国大会)に出るかなり大きなチームだった。その後に熊本にあるルーテル中高等学校を卒業した。ずっとサッカーをしていた」


─ポジションは幼い頃からMFだったのか。

「幼い頃から攻撃的なポジションが多かった。中盤の攻撃型MFやセカンドトップをすることが多かった。サイドもやった。かなり多くのポジションを消化した」


─今は中央MFをしているが、このポジションに定着したのはいつ頃なのか気になる。

「今は6番(守備型MF)のポジションでプレーすることが多いが、このポジションは実はポーランドで初めてやった。その前まではサイドでも攻撃的なポジションが多かった。考えてみるとほとんど消化したことがないようだ。(それにしては完成度が高い)そうだろうか?率直によくわからない。楽しくやっている。(高評価する人々が多い)ありがたいことだ。だがチームにはジョン・スンウォン、キム・デウォンのような若い選手もいて、エドガーやセシーニャのような優れた選手もいるから可能なことである。私はバランスを取るだけだ」


─熊本を離れて大学は東京にある専修大学に行った。どういうサッカーをしていたのか。

「源平貴久専修大学監督に学んだ。監督はいつも美しいサッカーを強調していた。それがチームの哲学だった。攻撃的サッカーを楽しむ方だったので、私とも上手く合っていた。楽しんでサッカーをした。実際に先輩の世代ではリーグ4連覇を達成したりもしたが、私の世代のときは優勝できなかった。最初は自分自身、1軍メンバーと見るのは難しかった。日本の大学リーグは前期・後期があり、いつも後期になってからリーグ戦に出てたので。起伏が激しかった」


─同窓の中にはかなり良い選手が多い。仲川輝人(横浜Fマリノス)のようなJリーグの主戦級選手もいる。

「そうだ。中川は2年後輩である。1年後輩は現在、川崎フロンターレでプレーしている下田北斗、ドイツのケルンでプレーしていた長澤和輝(浦和レッズ)らだ。先輩の中では町田也真人(松本山雅)や庄司悦大(京都サンガ)が有名である。彼らはみんな大学時代からすごかった。(翼はどんな選手だったのか)うーん。試合に出る機会そのものがなかった。試合でプレーできないので、人々の視線も自然と遠ざかった。4学年の最後になって試合に少し出たくらいなので、簡単に言えば目につかなかった」


─プロになるべきか、就職するべきか悩んだりもしただろう。

「日本では普通、大学3年から就職戦線に飛び込む。そうしてこそ4学年の卒業後にすぐ働くことができる。私もプロに行くか、就職するかで悩んでいたが、中高等学校の先輩の中に秋吉泰佑(ヴァンラーレ八戸)という選手がいる。その先輩が当時ブルガリアでプレーしていて、"エージェントを紹介できないだろうか"と言った。(日本からはオファーがまったくなかったのか)まったくなかった。もちろん日本の実業リーグ(JFL)に行くこともできたが、それは納得できなかった。サッカーをするならサッカーだけ、働くなら働くのが正しいと思っていた。ヨーロッパに出ていけば、ある程度の生活ができる環境の中でサッカーができるだろうと思った。そうやってヨーロッパに渡った」


─最初に入ったチームはグバルディア・コシャリンというチームだ。ポーランド4部リーグだが。

「テストを通じてチームに入団した。エージェントがポーランド4部を勧めた理由があった。ポーランドは1部チームの2軍が4部リーグにいる。ドイツ・ブンデスリーガと同じようなシステムだ。1部リーグにいるチームがこの2軍を常に見ていた。(上がる可能性が高いということなのか)もちろんその可能性は高いものではないが、それが0になることはない。そのようにテストを受けてコシャリンに入ったが、コシャリンの1軍チームであるレヒア・グダニスクが試合などを見て"練習に参加しろ"と言った。一週間練習して契約した。そうやって1部リーグのチームに行くことになった。日本代表だった松井大輔もいた。(上手かったか)クラスが違った」


─それだけ聞いても面白い。

「ヨーロッパ時代の話をするとものすごく長くなる。実際、私は運が良かったと思う。(運だけでこうやって上手くいくと思うか)考えてみてくれ。当時はコシャリンに日本選手が3人いた。ポーランドは2部リーグの下では、EU国籍の選手を除けば、外国人の出場が1人に制限される。そういう中でああやって機会を得たので、運が良かったのではないか」


─それではポーランドで学んだことは何なのか。

「最初に4部チームに移籍したとき、監督から聞いた言葉が"戦え"だった。戦術的に動けというものではなく、球際の競り合いのシーンで無条件に当たれということだった。いったい何を言ってるのか最初は理解できなかったが、徐々に身についていった。そういう部分のおかげで、韓国では少し適応が簡単だった。(大邸でもそういう部分を評価しているようだが)フィジカル的な面で実際は不足している。それでも評価される部分は感謝している」


─4部から始まってポーランド最高のクラブであるギア・ワルシャワでもプレーしたことがある。

「色んな意味でポーランドは最高だったと思う。施設、環境、一緒にする選手などのことで。私は2軍に主にいたが、サポーターの熱狂的な部分や、クラブ内での競争などが、他のクラブに比べてとても強かった。だが自分にチャンスさえ与えられれば、ここで十分に勝ち抜けるという自信があった。けれどそのチャンスが来なかった。それでスロバキア1部リーグのMFKミハロフツェにレンタルで行った。ちょうどオファーが来て、プレーしたくて先にクラブに出ていくと言った。すごく小さい、率直に言えば何もない都市だった。美しい風景だけが記憶に残っている。だがそのおかげで韓国に来ることができたと思う」


─そのおかげというのはどういう意味なのか。

「結局、ポーランドで私がプレーしたのはほとんど2部だった。1部でプレーしたことはほとんどなかった。2部でプレーしていても、実際に目につくのは難しい。その国の1部リーグでプレーすることはかなり大きな意味があった」





─そうして昨夏に大邸に来た。キッカケはあったのか。

「ソン・ホサン大邸強化部長と、韓国で私の仕事をするエージェントが少し親しいと聞いていた。どうやって私を見に来たのか、具体的にはよくわからない。シーズン最終戦が終わってソン部長と少し話をした。私も去就を悩んでいた時期だった。ポーランドに戻るのか、どこかへ行くのか考えていたが、そのときにオファーが来た。ヨーロッパでずっとプレーすると思っていた。なのですごく驚いた。まさか韓国から獲得オファーが来るとは思いもしなかったからだ。その当時はいくつか選択肢があったが、私がサッカー選手としてさらに成長できるところ、そして新たな挑戦があるだろうと思って韓国を選択することになった。韓国を選んだのを心配された。スロバキアの同僚もそうだったし、日本にいる家族や友人もだ」


─そのときも日本からオファーはなかったのか。

「なかった。だが海外でずっとプレーしたかった。海外で暮せば、やはりサッカー以外の部分で学ぶことが多い。なので日本でするより、海外でしたいという思いがさらに大きい。今でも同じだ。日本からオファーが来たとしても悩むだろう」


─最初に大邸に来たときの印象はどうだったか。

「率直に言う。政治的に韓国と日本の関係は良くないだろう。ニュースのコメント欄だけを見ても、互いにものすごいコメントをやり取りしていた。そういうのだけを見ると、"韓国人は日本人をあまり好まない"と考えたりした。だが実際に来てみると、同僚はみんなすごく私に親切に接してくれた。なのでチームの雰囲気は本当に良かった。(誰が一番良くしてくれたか)みんな。本当に誰彼関係なくみんな良くしてくれた。ファン・スンミンやハン・ヒフンのように日本語を話せる選手もいたし、エドガーとは英語でコミュニケーションをする。おかげでチームに適応するのにまったく問題がなかった。都市も同じだ。大邸は思ってたよりすごい大都会だ。来る前までは大邸についてまったく知らなかった。日本人によく知られている都市はやはりソウル、釜山じゃないか。ところがすごく大きくて驚いたし、良いと感じた。韓国第3の都市じゃないか。生活するのもすごく楽だ。リラックスして休める。(不便な点はないか)苦しんでる部分はやはり言語だ。メニューが読めなくて翻訳アプリを愛用している。韓国語を学んでいるが、できる言葉は"こんにちは"や"ありがとうございます"くらいである」


─去年の大邸の前期は悲惨だった。ところが後期にフォームが上がってくると、FAカップ優勝まで達成した。そんな中にいてどういう感じを受けたか。

「前期になぜあんなに負けたのか上手く理解できなかった。だが後期にエドガーが来たのが大きかった。ジョゼも良いプレーをした。若い選手もどんどん試合をして自信をつけたと思う。後期にチームとしての形が少しずつ作られたと言うべきか、それとともに勝利を続けられたのだと思う。FAカップ優勝は出来すぎだったという気がする。前期最下位のチームがFAカップで優勝すると誰が想像しただろう」


─翼本人にとってはどういうシーズンだったのか。結果をしっかり出せなかったようだが。

「負傷に足を引っ張られた。ハムストリングの負傷だけで4回した。2週くらいの軽傷が繰り返された。戻ってきたらまた怪我をして、戻ってくればまた怪我をした。新たに移籍してきたうえ、外国人選手として結果を出さなければならないということを深く理解していたので、精神的にすごく難しかった。(それでも再契約したが)短期間の中で私を高く評価してくれた部分についてはありがたく思う。今年はもっとチームを助けられるようにしなければという覚悟を固めることができた」


─今シーズンから使っているDGB大邸銀行パークはどうか。完全に新しいスタジアムだが。

「サッカー専用球場はやはり違うという感じを受けた。競技場の雰囲気のおかげで、サッカーのやりがいがあるというか。ヨーロッパのサッカー専用球場の感じである。ホームアドバンテージがすごく大きいという印象を受けた。(ファンの応援も相当だが)ホームで強いのはファンの応援のおかげというのもあると思う。その部分は大きい」


─大邸で今や欠かせない核心的な選手に成長した。他の選手と差別化される部分は何だろうか。

「うーん。むしろ私が聞きたいくらいだ。あえて挙げるとするなら周囲を活かすプレーじゃないかと思う。私が主導的に何かをするというよりは、周囲にいる選手を活かすプレーを多くする。私がプレーすることで攻撃陣の自由度もさらに大きくなり、守備の方でも穴が出ないように気を使う。先程も言ったがバランスを取ることに神経をかなり使う方だ」


─バランスを取れるというが、蔚山との試合でセシーニャにアシストしたシーンはすごく印象的だった。ポジションをかなり上げていたが…。

「あのシーンではちょうど前に上がっていた。選手交代で守備型MFが入ってきて、私が前進できる状況が作られた。セシーニャがこれから走ってくるのがわかっていた。絶対に来ると信じていた。そういうところでブラジル国籍の選手と合う部分がある。絵がピッタリ合致してすごく嬉しかった。(前線の陣地に配置されれば役割そのものが変わるのではないか。そちらのほうがより気楽なのか)必ずしもそうではない。守備型MFでも、前方でもどちらでも良い。役割が変わるだけだ。いつもは中盤でバランスを取って、上がったらもう少し得点に気を使おうとしている。8ラウンドの浦項との試合でゴールを決めたのも、前線の陣地に配置されたときだった」


─翼がボールを持てば、前線で進入の準備をする動きがかなり見える。

「そういう練習をたくさんしている。サイドチェンジとか、相手によって異なるだろうが、相手が中央指向的であればサイドにスペースがかなりできるので、そういう部分に神経を使って練習している方だ。かなり割愛しているが、選手全体でそういう絵が共有する部分がある」


─一緒にするとき一番気楽な選手は誰か。

「エドガー、セシーニャが気楽だ。またキム・デウォンやジョン・スンウォンも、ますます自分たちがどうするべきかをわかってきている。なのですごく気楽だ。チョン・ソンホもサッカーを理解していると思う。余談だが、チェ・ウォングォンコーチは今現役に戻っても十分なくらいだ。練習してみて驚いた」





─ACLでは日本チームとしたが、感慨は格別だろう。

「日本チームとするのも、日本でプロとしてサッカーをするのも初めてだった。何だが不思議な気持ちだった。(日本で記事もたくさん出たが)いくつか読んだ。実際かなり嬉しかった。何より家族が競技場で私の試合をライブで見ることができた目新しくて良かった。サンフレッチェ広島と試合をするときも両親が来た。(ポーランドには来たことがないのか)どうしてもすごく遠かったので来られなかった。大邸は近い。熊本と直航で繋がっていたりもする」


─ACLで1回だけさらに勝てば、新たな歴史を作ることになるが。

「期待している。自分自身、競技場で実際にプレーしているが、毎試合、毎瞬間成長している感じを受ける。若い選手も多いからそうなのだろう。肌で感じる成長ぶりはかなり大きい」


─Kリーグで最も優れた選手は誰だと思うか。

「率直に邦本だ。MFにとってすごく難しい選手である。去年は私が負傷だったのでできず、今シーズン初めてやってみた。本当に良い選手だと思った。(韓国人の中にはいないか)尚州の14番(ユン・ビッカラム)だ。才能を持っている。視野も広く、キックも正確だった。尚州のキム・ミヌも挙げたい。実は個人的に感謝していることがある。尚州と初めてやった試合だった。試合前にキム・ミヌが先に来て、日本語で"韓国の生活はどうか"と聞いてきた。試合後にありがとうと言おうとしたが、すでに宿舎へ帰っていた。SNSでメッセージを送ったが、キム・ミヌも"私も日本で外国人選手としてプレーしたことがあるので、君をよく理解している"と言っていた。人間的にすごく大きな感動を覚えた」


─韓国に来た日本人選手のうち、何人かは"日本人は韓国で必ずプレーしてみるべき"と言う。この言葉に同意するか。

「Jリーグだけでプレーしている選手はおそらく、Jリーグ側のクラブのほうがより堅実だと考えているだろう。選手のためのケアや支援などは、韓国よりさらに良い部分があると言える。だが海外でプレーすることはまったく違う問題だ。もちろん私はJリーグでプレーしたことはないが、韓国で学べる部分も確実に多いと思う」


─他の日本人選手に、Kリーグは推薦するだけのリーグだと思うか。

「その選手が何を望んでいるかによって違うのではないか。金や生活など、色んな面があると思う。だが新しいことに挑戦してみたいなら、来てみる価値はある。自ら経験してみないとわからないのではないか。(翼にとってはどうか)私にとっては価値のある挑戦だった。私が歩んできた道にはすべて意味がある。韓国で新しい刺激を常に受けている」


─韓国での目標、そして今後のサッカー選手としての目標があれば。

「サッカー選手としてより高いレベルのサッカーをしたいという考えは常にある。ACLも本当に良い経験をしている。だがそうするためには、自分自身がもっと成長しなければならない。代表になりたいという思いよりは、ただサッカーが上手くなりたい。現状に満足しないことが最も重要だろう。自分自身、大学からプロにも行けなかった選手だったじゃないか。そんな選手が海外生活を通じてどこまで行けるのかを見るのも、かなり面白いことだ」


─これから成し遂げたい、より大きな目標はあるか。

「当然ここで終わりだとは思わない。さらに成長したい気持ちが大きい。サッカーをもっと上手くなりたいという欲が私をここまで導いた。何より私は本当にサッカーが好きで、今後もっと好きになりたい」


─"サッカーが好き"という言葉の響きが良い。

「4部リーグ時代は月給が30万ウォンくらいだった。家と昼食くらいは提供されていたが、少ない金額だ。オフシーズンに日本へ行く金すらなかった。レヒア・グダニスクからポーランド2部のヴィジェフ・ウッチにレンタルで行ったときは、ヴィジェフ・ウッチが破産することも起きた。私は契約上、月給の半分はレヒア・グダニスクが負担していたので大丈夫だったが、ヴィジェフ・ウッチ所属の選手は3ヶ月くらい月給が滞ったりした。ポーランドサッカー協会が支払い命令を下したが、社長がそれを拒否してクラブは5部リーグまで落ちた。もともとはUEFAチャンピオンズリーグにも出ていた名門チームだった。そういうことを経験した」


─普通の韓国人や日本人が簡単には経験できなことだ。

「けれどそれでも幸せだった。サッカーで生活できるということ自体という話である。私を望むチームがあり、そこでサッカーをして生活を続けられるというのが、私にとってはありがたいことだ。今でも楽しいが、そのときも同じように楽しかった」



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