[スポーツタイムインタビュー] "Jリーグ5年目"キム・ミンテ、「生涯最高のサッカーを学んでます」
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※一部要約

"Jリーグ5年目"のコンサドーレ札幌DFキム・ミンテが幸せな毎日を過ごしている。
ミハイロ・ペトロビッチ(愛称ミシャ)監督の下で「強いチームを破る」攻撃サッカーを学んでいるからだ。

9日、日本北海道で会ったDFキム・ミンテの表情は明るかった。
この日に行われたJリーグ3ラウンドの試合で後半に交代出場し、17分ほどプレーしたキム・ミンテは、清水エスパルス戦でチームの5-2の完勝を助けた。
コンサドーレ札幌はリーグ2次戦のJリーグの強豪・浦和レッズ戦での2-0の完勝に続いて清水戦まで大勝をおさめ、Jリーグ3ラウンドを終えた状況で4位に上がった。

9日、日本北海道で会ったキム・ミンテはいつの間にかJリーグ5年目になり、Jリーグ移籍後で今は選手として最も嬉しい瞬間だと言った。





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2012年に光云大に入学したキム・ミンテは、すぐに主戦MFでプレーした。
3年生だった2014年、光云大の史上初のUリーグ・キングオブキング戦優勝に力を加え、大学最高級の選手に成長した。
彼はすぐJ1のベガルタ仙台に移籍した。

ベガルタ仙台はスピードが速く、攻撃的なパスを供給できるDFキム・ミンテへの期待感が大きかった。
新人にもかかわらず彼に背番号6を与えたほどである。

簡単ではない出発だった。
キム・ミンテは初めての冬季練習を前に右膝を負傷した。
その後5月に浦和レッズを相手にJリーグプロデビュー戦をプレーし、デビューゴールまで記録した。
大活躍したキム・ミンテはリーグ6試合連続出場をはじめとして、17試合で4ゴールを記録して軟着陸した。
序盤の困難とは異なり、それなりに成功したプロ舞台のデビュー初シーズンだった。

「最初は練習生の身分で仙台に行きましたが、(仙台の選手が)ボールを渡しませんでした。私は上手く処すべき状況で"どうすればパスを貰えるか"と考え、仙台の選手の名前をすべて覚えてしまいました。試合でプレーするため"ボールくれ"と名前を呼んだんです」

「(仙台とのプロ契約から所属チームに)来てすぐ3日で負傷しました。なので3~4月はプレーできませんでした。冬季キャンプに行けませんでした。それでも意志を持って日本語の勉強を続けてコミュニケーションをして、1年目にそれでも試合でプレーしたようです。"やればできる"というのを感じた瞬間でした」

そんな彼にも試練が訪れた。
繰り返される負傷、そして2016年には彼の頭の中はもっぱら"リオオリンピック出場"だけだった。
「当時は"無条件にオリンピック"でした。チームよりオリンピックに選ばれて行くことが重要だと思っていたのが失敗でした」

キム・ミンテは初めてのJリーグチームであるベガルタ仙台で多くのことを感じ、失敗もしながら成長した。





2017シーズン、当時J2所属だったコンサドーレ札幌に移籍したキム・ミンテは、チームのJ1昇格を助けた。
2018シーズンは彼のサッカー人生の転換期でもあった。
日本Jリーグの強豪チーム・浦和レッズを率いていたミシャ監督が、コンサドーレ札幌の監督に就任したのだ。

札幌はミシャ監督就任後、守備的な3バックから"攻撃的3バック"にチームカラーが完全に変わった。
9日の清水エスパルス戦でも、札幌3バックの左右のCBが果敢に攻撃する、"攻撃的3バック"サッカーをしているという点を確認できた。

キム・ミンテは「私が(ミシャ監督から)最も聞く単語は、ドイツ語で発音が合ってるのかわかりませんが、"ケ"と言います。"前へ行け、ドリブルしろ"と言います。一度試合中にドリブルして奪われても、それをミスと考えず"良かった"と言いました。また、ドリブルしてチームが失点しても、監督が"これはミスじゃない、良い、こういうこともある"と言いました。指導者がそういう言葉をしてくれるので、(選手は)負担なしにもっと攻撃的にできるようです。また、"私の言う通り攻撃的にしろ、ミスして他人が何と言おうと、私はそんなことに関係なくお前を起用するつもりだ"と言いました。選手が確信できるようです。怖くないんです」とミシャ監督の攻撃的サッカーを説明し、自分の信じる監督の下でプレーできることが楽しいと説明した。

DFと守備的MFでプレーする選手だが、攻撃性が良くスピードに優れていて、攻撃を頻繁に試みる選手だ。
キム・ミンテは「ここでほとんどサッカーをすべて学んだようです。もう私の中はミシャ監督の哲学がすべてみたいです。攻撃的であり、冒険的なサッカー。恐れることなく、真っ向から攻撃するので負担も少なく。打ち勝ったときの爽快感もあり。守備をして勝つより、強い相手と正面からぶつかって勝ったときの感情が良いです」として、ミシャ監督のサッカーへの満足感をあらわした。





キム・ミンテはサッカーを始めてから最も多くのことを学んでいると自負している。
また、プロ所属として最も多くの試合をプレーし、体調が上がっていると自信ありげに語った。

「(2018シーズンには)リーグ27試合プレーしました。交代で3試合プレーして。残りはすべてフルでプレーしました。退場を2回して3試合プレーできませんでした。初めて退場したら1試合プレーできず、2回退場したら2試合プレーできません。ベンチでそのまま試合をプレーできなかったのは2試合だけでした」

「私はまだ韓国では無名なので。知らせなければ代表に行けない状況です。DFなのでファン・ウィジョ選手のように得点してずっと名前を知らせることもできないからです。でも去年に(チョン・)スンヒョンの試合を見ると、すでに代表なので注目を浴びたりもしてましたが、鹿島で韓国チームとの試合を上手くやっていたから(国内で)スンヒョンへの肯定的な反応が多かったんです。私も"ACLに出て、来年プレーして自分を知らせよう"というのが目標でした。代表でプレーしたいです。でも残念ながら最後に引き分けてACLに出られませんでしたね」

コンサドーレ札幌は2018シーズンにリーグ4位を記録した。
シーズンのリーグ最終戦でサンフレッチェ広島と2-2で引き分けたため、3位の鹿島アントラーズに1点差で押された。
勝てばリーグ2位で終えることができた。
惜しくもACLのチケットを逃したわけである。
2019シーズンはさらに攻撃的、堅い戦力でJリーグの勢力図を揺さぶっている。
キム・ミンテは自信ありげにリーグ優勝を語った。

「できるだけ多くの試合をプレーしてチームに貢献し、ACLに出られるようにします。最近の試合を見れば、優勝もあるのではないかという期待感と自信もできました。そのチームの一員として、試合でたくさんプレーしたいです。そして代表にも挑戦したいです」


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