[単独インタビュー] トルシエ①2002年以降の韓日サッカー、「コンプレックスを破った」
スポTVニュース
※一部要約
韓国と日本は東アジアサッカーをリードしてきた。
そして韓日両国のサッカーは2002韓日ワールドカップ以前と以後に分かれる。
両チームはこの大会で初めてワールドカップでの勝利を達成し、グループリーグ突破に成功した。
16強で止まった日本より、4強神話を作った韓国のインパクトが大きかった。
本戦の前に日本が成し遂げた成果も侮れなかった。
日本は2002韓日ワールドカップを準備する過程で1999FIFAワールドユースチャンピオンシップ準優勝、2000シドニーオリンピック8強、アジアカップ優勝、2001FIFAコンフェデレーションズカップ準優勝を順に達成した。
韓国サッカーを変えた主役にフース・ヒディンク監督がいたなら、日本にはフィリップ・トルシエ監督がいた。
4年のプロジェクトを引き受けたトルシエ監督は、ヒディンク監督の4強に隠されたが、この時期に日本サッカーの画期的な成長を成し遂げた主役である。
熱い韓日ワールドカップから16年。
60代に入った2人の韓日サッカーの英雄は、相変わらず現場にいる。
ヒディンク監督は最近、中国オリンピック代表を引き受け、トルシエはベトナムに向かった。
2026ワールドカップ本戦進出という長期計画を持ち、有望株の育成に投資しているベトナムのPVFアカデミーが、トルシエを総監督兼技術委員長に選任した。
トルシエ監督は南北スポーツ交流の場になっている江原道開催の第5回アリスポーツカップに参加したベトナム15歳以下選抜チームに同行し、10月末に韓国を訪れた。
スポTVニュースは短い日程の中、トルシエ監督との単独インタビューを行った。
─2002韓日ワールドカップから久しぶりだ。当時、韓国代表監督だったヒディンクは中国オリンピック代表を引き受けた。あなたはクラブサッカーや代表ではなく、ベトナムのアカデミーを選んだ。
2002年のワールドカップが終わって、家族的なパーティーがあった。韓日両国の会長とヒディンク監督、私が参加して、とても親しいパーティーをした。去年に当時の大韓サッカー協会会長とU-20ワールドカップ決勝戦の現場で会い、懐かしんで挨拶もした。
ヒディンク監督が中国に行ったのは知っている。リッピ監督も中国にいて、ヒディンクも行った。互いにシナジーが出るかはわからないが、その事実はよく知っている。ヒディンク監督のコーチだったパク・ハンソ監督が現在、ベトナム代表を率いている。パク監督はベトナムで多くの成功をおさめている。
─ベトナムに監督ではなく技術委員長として行った理由は?
なぜなら私は常に挑戦に応えてきた。挑戦のレベルは問わなかった。私のキャリアを見てくれ。私はナイジェリアと1998フランスワールドカップ・アフリカ予選を突破した。それからブルキナファソに行った。アフリカネイションズカップのために行ったのだった。名声のために仕事をしなかった。私にとって重要なのは、どんな挑戦なのか、どんな人たちと仕事をするのかだ。サッカーは私の情熱でもあるが、私が仕事をするところでもそういう情熱を感じたい。
ベトナムの何人かの要人が3月に接触して、私にPVFアカデミーの技術委員長をオファーした。私の経験を基に考えて、良い挑戦だと判断した。ベトナムと連絡しているときに、ヴィッセル神戸とも契約するところだった。イニエスタを獲得した三木谷会長は、私が最終的に断ったので気分が良くないだろう。
─東南アジアサッカーは急成長している。それで関心があったのか?
そうだ。以前は知らなかった地域だ。この地域を知ることになって嬉しい。真のエネルギーと潜在力を見た。ベトナムの人々の情熱、純粋な潜在力を見た。その潜在力はまず、この前行われたAFC U-23チャンピオンシップ準優勝であらわれた。当時のベトナム現地の反応を見るとすごかった。まるでワールドカップに行ったようだった。ベトナムはそのような基盤と哲学を持っている。ベトナムではサッカーがとても人気がある。長らくそうだった。ベトナムではイングランド・プレミアリーグやヨーロッパチャンピオンズリーグの人気もすごい。視聴率もかなり高い。ベトナムには本物のサッカー文化がある。
最近、代表が好成績を出しているのも事実だ。2026年のワールドカップでは本戦参加国が48ヶ国に拡大する。自ずとベトナムにとっても大きなチャンスになるだろう。9~10のアジアチームがワールドカップに出ることになれば、今のベトナムは十分10位以内に行ける。私のミッションはベトナムサッカーを発展させ、2026年のワールドカップに出られるようにすることだ。非常に興味深いことである。
─ベトナムは最近善戦しているが、相変わらずアジアの強国、特に韓国と争うときは力の差があった。フィジカル的にも課題は明らかだ。どう改善できると考えるか?
私たちは韓国や日本と比較する必要はない。韓国と日本はアジアのTOP2に入る国だ。私たちがそのレベルじゃないことをわかっている。だが1試合ならすべてが可能だ。アジア大会で私たちは日本に1-0で勝った。ベトナムが日本を破り、グループリーグを1位で突破した。私はその試合を見た。1試合ならすべてが可能である。
私たちがすぐ韓国や日本と同じレベルになることはできない。だが私たちのターゲットは、サッカーの水準を韓国や日本のレベルに上げることではない。彼らと同等のレベルになって争うのではなく、ワールドカップアジア予選を突破することだ。まずはタイ、UAE、カタール、ウズベキスタン、イランなどのチームと争って差を縮めることである。
もし私たちを日本と比較するなら、私は日本をよく知っているが、ベトナムと日本は技術的には大きな差がない。大きな差があるなら、ベトナムは自分たちがやれるということを今まで悟れなかったことだ。ベトナムはイラン、日本、韓国と試合をするときにコンプレックスがある。試合前に自分が勝てないだろうと思っていればチャンスはない。私はベトナムをメキシコと比較したりする。メキシコは南米のブラジルやアルゼンチンと比較すると落ちるが、ブラジルが簡単には勝てないチームである。
私はベトナムを説明する際、比較する長所と短所は必要ないと思う。技術が優れているという長所?フィジカルが弱いという短所?違う。それより"アイデンティティ"が重要だ。誰にも自分だけの長所と短所がある。自分のアイデンティティを信じなければならない。サッカーは11対11で試合をする。昨日の真実が明日の真実ではないこともある。コンプレックスをなくし、自分自身を信じて進めばできる。それがポイントだ。自らを信じるようにすること。私が発展させたいことだ。
競技場では私たちもボールをコントロールでき、パスができ、走ることができる。韓国や日本と同じ距離を走ることができ、同じプレーができる。コンプレックスなしに試合をすれば成し遂げることができる。日本や韓国と試合をするとき、外国に出て試合をすればホームで試合をするのとは違う。そういう心理的な面と、その差を発展させなければならない。
─韓国と日本も2002年のワールドカップ前はそうだった。ヨーロッパ恐怖症があり、ワールドカップで1勝もできなかった。ワールドカップ以降に両国は完全に変わった。当時は何をどう変えたのか?
簡単な問題だ。変えやすかった。変化は"コーチング"から来るものではない。ヨーロッパクラブが韓国と日本の選手をどう考えているのかから来る。当時の日本はヨーロッパでプレーする選手が1人だけだった。今は25~30人がプレーしている。ヨーロッパクラブは今や、アジアにもサッカーがあると感じ始めた。韓国も13人くらいの選手がヨーロッパでプレーしている。そういう選手は自動的にマンシティ、マンUを始めとしてドイツ、フランスなどでハイレベルな選手とプレーし、ハイレベルな監督と仕事をする。そうなると自動的にその選手が違った態度を取るようになる。選手を変えさせる。その過程は、彼らが代表に来たときに再び作用する。バイエルン・ミュンヘン、オリンピック・マルセイユでプレーして代表に来れば、違った姿勢を見せることになる。再びその国に来れば責任感も変わってくる。
日本がなぜ発展したか?選手がヨーロッパに出ていったからだ。私に日本サッカーをどうやって発展させたのかと尋ねるなら、20人余りの選手がヨーロッパに行ったからだと言える。日本サッカー協会(JFA)や大韓サッカー協会(KFA)の技術政策で発展させたのではない。KFAがしていること?すでに十分である。サッカーを指導し、教育する、そういうのはすでに強い。だが韓国に残っていれば?発展できない。ヨーロッパに行けばもっと発展するだろう。今の韓国のクオリティ、日本のクオリティは90%がヨーロッパ進出のおかげだ。ただそれだけである。
─けれどあなたが日本の青少年チーム、オリンピックチームで成績を出したときはヨーロッパ派がいなくなかったか?当時の国際大会ですぐに成績を出した。短期間でどうやって変えることができたのか?
それはコーチングの問題だ。もちろん特別なプロセスがあった。コマンドー(特殊部隊)のように運営した。20人余りのコマンドーが集まり、昼夜に登山して人々を攻撃する特攻隊のプロセスだ。3-4週間合宿訓練をして一つになり、チームワークに集中し、心理的に武装した。私は選手に、パートナーを信じ、互いを信じろとマネジメントした。もちろん戦術的、組織的な面からもしっかり準備した。フラット3も使った。
当時、フィジカル的に弱い日本が挑戦的なサッカーをするのは難しかった。守備戦術にかなり気を使った。だがサッカーは柔道ではない。体が強ければ相手を外に押し出せるが、人を防ぐか、ボールを防ぐかを決めることもできる。人を防ぐには、私たちの選手はあまり小さく軽かった。ボールを追って守備をしなければならなかった。ボールが来るのを待って戦ったら負ける。
私は日本選手に説明した。私たちの中では誰もユベントス、アーセナル、バイエルンでプレーすることができない。だがまとまればドイツ、イングランド、イタリアに勝つことができる。それが私のメッセージだった。私たちが通じ合い、組織され、規律があれば、1試合は勝てる。そして驚くべき結果を出した。私たちはワールドユースチャンピオンシップでアメリカ、ポルトガル、メキシコ、ウルグアイに勝った。スペインと会った決勝戦では負けた。だが良かった。スペインにまで勝つと、人々はむしろこの大会を良い大会だったとは思わないだろう。私たちが勝っていれば、むしろあまり記憶されなかっただろう。
─過去15年間でサッカーはどのように発展してきたと思うか?戦術的・戦略的な発展、あるいはフィジカル的な発展がサッカー強国との差を縮めたと思うか?
ギャップが少なくなったのはフィジカルのためではない。審判の判定基準のためだ。当時、私たちは日本サッカーを愚かで、あまりにナイーブだと言った。FIFAのルールでは、ボールを持っている相手にタッチしてはならないとなっているが、ヨーロッパでは気にすることなく肘を使っていた。ペナルティエリアでダイブした。日本はそうではなかった。私がワールドカップを準備しているとき、日本選手にヨーロッパチームに会ったらFIFAのルールを忘れろと言った。FIFAのルールだと、愚かでは勝てないだろう。相手は足を踏み、殴り、服も引っ張って挑発するだろう。それに備えなければならない。今日では新たな基準が適用されている。以前のように激しいタックルができず、相手選手にそれほどタッチできず、肘を使うことはできない。今はサッカーになった。よりサッカーらしくなった。今はボールを扱うことにもっと集中することになった。
それで日本にチャンスがさらにできるようになった。判定基準が変わったからだ。今の審判はファールをより厳格に取る。シミュレーションにも警告を与える。なので今のサッカーは、ボールをより上手く扱えるチームが有利だ。日本はその点で世界的なレベルである。パス、コントロール、シュート、クロス、規律…この前のワールドカップのベルギー戦を見てくれ。日本はベルギーを壊した。だが最後の5分で逃した。
私は田嶋幸三JFA会長に言った。またナイーブな姿のせいでやられた。当時の日本は非常に上手くやったし、ベルギーを事実上破壊した。85分支配した。ただ最後の5分が問題だった。そのときにベルギーが挽回して日本を撃破した。その前は完全に壊していた。日本は速く好戦的で、コミュニケーションも良く、創造的だった。だが最後にそれを忘れた。それが日本だ。愚かな失敗をした。試合を統制しなければならなかった。ところがずっと攻撃ばかりしていた。2-0になったのに攻撃した。そうするうちに2-3で敗れた。
経験が十分でなかったからだ。特にコーチ陣にそういう経験が不足していた。これは日本人指導者の経験の問題だった。彼らは相手よりさらにサッカーを上手くやろうとした。ときには勝つために、サッカーをあまりしない必要もある。だが日本はそれを知らなかった。勝つためには、必ずしもサッカーを相手より上手くする必要はない。バルセロナと試合をして、サッカーをもっと上手くやれるか?勝ちたいなら別の方法を見つけなければならない。日本はその問題を少しずつ改善しているが、ベルギー戦の失敗はすべてそこから始まった。それでもアジアサッカーは発展している。
─韓国代表の発展の姿についてはどう思うか?一部からは2002年以降に発展し、最近停滞したと言われたりもしている。
私が注目する点は、どれだけ多くの選手がヨーロッパでプレーしているかだ。十分である。毎年私たちは、韓国選手がヨーロッパで成功するのを見ている。2つ目に見る部分は、韓国が毎回ワールドカップ予選を突破しているという点だ。それがサッカーの発展を測れる唯一のポイントである。毎年新しい韓国選手がヨーロッパに行き、毎回ワールドカップで本戦に行く。これで十分だ。韓国サッカーが発展している証拠として十分である。ワールドカップ優勝チームが4年毎にいつも勝てると思うか?誰もそんなことできない。スペイン、フランス、ドイツを入れても誰もできない。
ワールドカップやユーロカップ、FAカップのようなトーナメント大会の特性である。韓国は2002ワールドカップで4位、フランスが28位だった。それが韓国のレベルであり、フランスのレベルなのか?これはトーナメントでのレベルだ。良い準備、幸運、対戦表、そうした様々な側面が作用する。それで出た順位は、その大会では明らかに事実である。だが実際に韓国が世界4位になったわけではない。
韓国がずっとワールドカップに出て、ずっと良い選手を輩出し、ユースが発展しているという点を見てもらいたい。韓国と日本の本当の位置は24~25位圏だと思う。ときには50位圏、30位圏に行くこともあるが、通常は20位圏を維持していると思う。
サッカーの発展は容易ではない。韓国はヨーロッパと8時間の時差がある。ヨーロッパサッカーの情報をリアルタイムで得るのは容易ではない。明け方4時に起きて試合を見るのは、若い選手にとって簡単ではない。モダンフットボールのエボリューションをリアルタイムで見るのは難しい。ヨーロッパには世界最高の選手がいる。ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、コロンビア、日本、韓国など、最高の選手はみんなヨーロッパにいる。ハイレベルのプロセスとはこういうものだ。ヨーロッパにある。
韓国に住んでいれば、このようなチームを親善試合のために連れてくることも難しく、試合をしに行くのも難しい。明け方の時間に情報を続けて得ることも難しい。韓国人であろうと日本人であろうと、その過程の中に入るのは容易ではない。だが韓国サッカーのレベル、日本サッカーのレベルは優れている。4年毎のワールドカップに出ているから。それがキーポイントだ。それが確かな事実である。
─選手は発展しているが、指導者は相対的により難しい状況だ。韓国と日本の指導者の発展はどう思うか?
私はローカル監督のレベルも高いと思う。問題は彼らをどう考えるかにある。ビッグリーグから来た選手が韓国や日本で働いている指導者を見てどう思うだろうか。例えばヨーロッパでグアルディオラと働いてから来た選手だと、ローカル監督が選手を扱うのは難しい。ローカル監督は選手を十分に尊重するが、選手はそうではない状況になる。選手が監督を恐れない。選手が必ずしも監督やコーチを恐れる必要はないが、尊重はしなければならない。特別な関係にならなければならない。
君はここでプレーしなければならない。君はプレーし、君は今回プレーできない。そういうのを決めるのが監督だ。そのような決定は容易ではない。ローカル監督は新聞も読んで様々な反応を見ることになるが、外国人は見ないこともある。毎日そういう環境だ。メディアや世論の反応を自動的に把握することになる。観客の反応も同じだ。そこでローカル監督は自然と影響を受けることになる。外国人なら理解できないので、気にしないことができる。
─日本にいるときはメディアと世論を見てなかったのか?
勝ったときだけ見た(笑)。負けたときは何も見なかった。だがローカル監督は読みたくなくても聞こえる。それは簡単ではない。私の考えでは、ビッグクラブがローカル監督をあまり使わない理由の一つだと思う。PSGもフランス人を使わない。マンUも英国人を使わない。アーセナルもそうだ。レアル・マドリードはジダンの後にスペイン人が来て問題を抱えている。
ハイレベルなクラブはローカル監督を使わない。常に外国人だ。なぜなら外国人は中立的である。誰もが彼を攻撃できる。ハイレベルだと外国人のほうが上手くやる。これは能力の問題ではないと思う。私は韓国にも優れた監督がいると確信している。だが私は韓国と日本の場合、外国人監督が働くべきだと思う。
特に日本の場合、ユースの発展過程で日本のコーチしか使わない。なので日本サッカーが発展できないのだと思う。日本の教育は酷い。君はこの席に座り、あそこに行き、じっとしていなさい。そういう形で受動的な態度を持たせるように教える。だから15歳、17歳の段階で外国人コーチが必要だ。これが変えなければならないポイントである。もっと多くの外国人がユースシステムに関与しなければならない。成人になってするのでは遅すぎる。
─ハリルホジッチ監督は外国人だったが、日本で問題を抱えていた。
一番目の理由は結果だ。ワールドカップの準備試合でJFAは、ピッチ上の結果が良くないと考えた。二番目の理由は、会長が監督と選手の間に問題があるというのを認知した。特に年をとった選手、本田や香川らがワールドカップに行けるか確信できなかった。ハリルホジッチをよく知っている。私もやはりそのような性向なのだが、ときには選手とも駆け引きをしなければならない。監督は人を反応(reaction)させる人間だ。選手が反応するようにしなければならない。アクションは「私は君が好きだ。一緒に働こう。やってみよう」、こういうものだ。リアクションは「私は君が好きじゃない。このままなら君はワールドカップに行けない」、こういう攻撃的なメッセージで選手の反応を引き出そうとすることだ。監督はそういうのが必要なときがある。選手が準備できているのか、できていないのかを把握して引き出さなければならない。
私も中田とそういうことがあった。2002年のワールドカップを残り6ヶ月にして、イタリアと東京で試合をした。イタリアでプレーしていた中田が来たが、私は彼を呼んで君はベンチだと言った。当時の中田はローマでプレーしていて、イタリア代表にも選手が多くいた。私が与えたかったメッセージは、日本でプレーするローカルプレーヤーに与えたいものだった。(中田でもベンチにいるのを)見ろ。私は君たちを信じる。なぜなら多くの場合、選手は責任を負いたくないからだ。Jリーグの選手は中田にその責任を押し付けようとした。そうじゃない。君が責任感を持たなければならない。中田は私たちにとってボーナスだ。中田の後ろに隠れるな。私はそれを見せたい。中田じゃなくても責任を負うべきなのだ。この状況は戦略である。
この戦略は運営するのが簡単ではない。想像してみてくれ。中田がイタリアとの試合でベンチにいる?メディアは問い詰めないだろうか?たくさんのことがあり得る。だが私たちはハーフタイムでイタリアを相手に1-0でリードしていた。中田に言った。後半戦は君がプレーしろ。中田は非常に強いモチベーションを持って競技場に出た。中田もあのときはすごく悔しかったのだろう。私たちは結局1-1で引き分けた。私がこのプロセスの勝者だった。
ときに監督はチームを"タッチ"しなければならない。監督はペーパーワークをする人間じゃなく、チームを"タッチ"しなければならない人間だ。ハリルホジッチ監督もやはり、私のようにチームを運営しようとしたようだ。だがJFAは何人かの選手が本当にワールドカップに行けないのではないかと思い、かなり憂慮した。日本のシステムがそうなのだ。最終的に彼らは決めた。大会1ヶ月前にリスクを甘受することにした。ハリルホジッチがずっと監督であればどうだったかはわからない。だが代わりに引き受けた西野監督は大会後に辞めた。
─日本は再び日本人監督を選んだ。
新たに来た森保監督は非常に優れた指導者だ。若く、成果も出し、何より普通の日本人のような決定をしない。日本人ができない決定をする人物だ。前の試合で本田や香川らを呼ばずに新たな血を輸血した。大きなビジョンを持っている。彼は日本サッカー界の外のシステムがどうなのかよくわかっている。好戦的な面もある。彼もプロ選手だった。広島でもタイトルを3つ取った。ワールドカップで西野監督のコーチとして働いた。そういう経験がある。
森保監督はオリンピック代表も受け持っている。2チームを同時にしている。最近の成績も良い。だがアジアカップ以降は代表とオリンピック代表の運営が分離されることもあると思う。森保は東京オリンピックを準備しなければならない。両方ともするのは不可能だ。
─あなたは成功裏に兼任してなかったか?
私はしたが、当時はオリンピックが日本で開催された大会ではなかった。東京で開催される2020年は特別だ。私はシドニーオリンピックのチームを、ワールドカップ2002年大会のための準備過程に活用した。当時と今は同じプロセスではない。私はあのとき20歳、23歳のチームをやって、A代表チームをやった。私は80~100人余りの選手と働いた。1999年に私はワールドユースに出た。そこで最高の選手をオリンピックに連れて行った。そこで最高の18人の選手を成人代表に連れて行った。最終的に2002年のワールドカップで、17人の選手が私が以前に引き受けた下の段階のチームから来た。新しい世代を作ったのだ。
もちろん森保もそうすることができる。だが2020年大会はもっと集中しなければならない。することもできるだろうが、難しいものになるだろう。田嶋会長も森保がトルシエのようにすることを願うと言ったが、どうなるかわからない。だがアジアカップがすぐに行われるので、この時期に新しい監督を連れてくるのは難しいだろう。アジアカップ以降は違った状況が展開されるかもしれない。
─過去のJリーグには有名な外国人監督が多かった。最近のJリーグは日本人監督が増えた。韓国も同じである。
経済的な問題が先である。チームの財政上、ハイレベルの監督を連れてくる水準ではない。二番目の理由は政策的に優れた国内監督が上手くやれると感じ、彼らにチャンスを与えているのだ。日本の目標がAFCチャンピオンズリーグ優勝を最優先していない状況もある。ヨーロッパとは違う。ヨーロッパチャンピオンズ優勝はとてつもない金になるが、アジアはそれほどの水準ではない。日本の戦略はこれまでACLではなく、Jリーグだった。リーグビジネスと内需市場のほうが重要だ。
そして何より、今はビッグネームを連れてこられない。外国人であっても無名では魅力的ではない。人々が誰なのかも知らないのに高給なら、日本人監督のほうが良いということだ。ベンゲル、モウリーニョ、グアルディオラならともかく、そのような監督の給料に耐えられるのは楽天くらいだ。最大500万ユーロくらいを使えるだろう。韓国の事情もそうだろう。外国人監督を連れてくるには予算が合わないのだろう。もちろん代表は違うだろうが、クラブ次元では中国のように金を使えないのではないか。中国は監督に2000万ユーロを使う。リッピ監督が2000万、ペジェグリーニやカペッロ監督は1000万ユーロを貰っていた。
─初めて日本に行ったとき、ベンゲル監督が推薦したと聞いた。当時、初めてのアジア挑戦に躊躇しなかったか?
私はベンゲルと友人だった。そして当時、私は南アフリカ代表の監督だった。1998年にフランスがワールドチャンピオンになり、日本はフランスの監督を探していた。私はフランス人だったし(笑)。ベンゲルが日本に私を推薦し、私にも尋ねた。躊躇はまったくなかった。電話の連絡を受けた。日本で会いたいと言われ、私は嬉しかった。そうやってアジアで私の物語が始まった。
─日本を去ってから韓国代表、Kリーグのチームに嘱望されたりもした。韓国で働くことに関心はあるか?
ベント監督も中国で大きな成功はできなかったが、韓国代表に来なかったか。私にも電話が来ないだろうかと待っていたが、連絡がなくて失望した。なぜ電話しなかったんだ(笑、注/冗談のニュアンス)?3~4年前にも首都圏のKリーグチームと話があった。だが韓国と私の関係は深くつながらなかった。本当の接触はなく、噂だけだった。公式的なオファーは受けられなかった。私が日本で働いていたので敬遠したようだ。
日本での評判もあったのでは。あなたも知っているのではないか?私の性格がどういうもので、気難しい人間で。そういう話だ(笑)。そして韓国では日本で働いていた外国人監督を使わないという話もあった。私はよくわからないが、韓日両国間の歴史的な理由もあるようだ。だが今の韓国と日本の関係は良いと理解している。だがスポーツをするときは、韓国と日本が互いに試合をすれば敗北を容認しない雰囲気だ。私は韓国に常に関心を持っていた。今はかなり歳をとった。だが未来は誰にもわからない。