[パク・コンウォンのサッカー現場] Jリーグを号令する"境界人"司令塔チョウ・キジェ監督
ベストイレブン
※一部要約
パク・ハンソベトナム監督の例で示しているように、韓国人指導者はアジア各国で大きな成功をおさめている。
強靭な精神力や立派な勤勉性、サッカーへの見識を遍く備えており、アジア各国でトップクラスの指導力を持っているという評価を受けている。
中国スーパーリーグや日本Jリーグなど、他のアジアリーグでも韓国人指導者を見つけるのはかなり多い。
韓国指導者が外国で高評価を受けるのは、韓国サッカーにとっても大きく恵まれている。
それでは在日韓国人指導者はどうだろう?
国籍は韓国だが生まれ育ったところは日本という人々というドライな言葉で彼らを紹介するには、彼らが経験した苦衷は非常に辛く悩ましい。
チョン・テセ、リ・タダナリ(韓国名:イ・チュンソン)の事例で見られるように、彼らは韓国と日本のどちらか一方に属するのが容易ではない境界人だ。
どちら側でも、持っている実力を認められ、成功するのは難しい。
だが日本Jリーグに、その限界を越えて指導者として成功街道を走っている人物がいる。
2012年から日本クラブの湘南ベルマーレを率いているチョウ・キジェ監督である。
韓国指導者が韓国チームでも5年持ちこたえるのは難しいのが現実なのに、"境界人"のチョウ監督は日本クラブを何と7年も率いているという点はかなり驚くべきことだ。
なんで平塚に行ってチョウ監督と直接会った。
Q.会えて嬉しい。韓国ファンが知りたいと思っているのでまず自己紹介から頼む。
A.「チョウ・キジェ監督だ。日本の京都出身で、1989年に柏レイソルの前身である日立サッカーチームで選手生活を始めた。その後、浦和レッズやヴィッセル神戸で選手生活をして1997年に現役から引退した。ドイツのケルン体育大学で指導者の授業を受け、湘南ベルマーレは今年で14年目を勤めている。ユース指導者として4年、プロチームの首席コーチとして3年、そして2012年から年数で7年目のプロチーム監督を引き受けている」
Q.一つのチームで14年も勤めているというのは容易なことではなさそうだ。
A.[もちろん私もこんなに長く留まるとは思ってなかった。湘南ベルマーレの政策のおかげだろう。湘南ベルマーレは金があまりないチームなので、選手の育成で生存しなければならない。厳しい条件でも若い選手を育てる味のあるチームだ。勝ち負けは重要ではない」
Q.湘南ベルマーレのユース育成政策について聞きたい。ユース指導者時代から身を置いているので誰よりもよく知っているだろう。そして困難もかなりあったようだが。
A.「クラブが2008年から2015年までの長期プロジェクトを打ち立てた。2015シーズンには1軍選手の半分以上をユース出身選手で埋めようというものだったのだが、その目標を達成した。もちろん簡単なことではなかった。プロチームの指導者になった2012年には、選手の平均年齢が満22歳に過ぎなかった。今では日本代表にも選ばれている遠藤航も私たちが育てた選手の1人である。鹿島アントラーズでプレーしている日本代表の永木亮太もやはり、当時の弟子だった。育てるのが面白かった。ところがプロジェクトの達成直後の2016年に、選手がかなり多くチームを去った。選手団を育成し、自分たちだけの色を持とうとしていたので、他クラブに多くの選手を奪われたのはとても残念だった」
Q.2回のJ2リーグ降格を経験しても、3回のJ1リーグ昇格を達成している指導者というキャリアはかなり興味深い。通常、降格を経験すれば成績の責任を取って退くのが茶飯事だからだ。
A.「他チームの監督はおそらく想像もできないだろう。おっしゃるように、降格すれば監督が解雇されるのが一般的な常識だ。私もやはり辞めたかった。だがクラブが引き止めた。クラブが若い選手を立派に成長させたという点を認めてくれた。それが今まで私が監督職を維持できた秘訣だと思う。非常にありがたく思っている。クラブとコーチングスタッフの間の信頼は本当に強い。なので私は湘南ベルマーレを自分の心臓のようなチームと思っている。それほど献身する姿勢でいる」
Q.慎重に質問する。チョウ監督は韓国籍を持っているが、正確には在日韓国人である。在日韓国人の身分的特性上、これほど立派に席を占めるのは決して容易ではなかっただろう。
A.「私は韓国人だと思っている。もちろんかなり多くの在日韓国人が名前を日本式に改名したりもしている。だが私はそうしたくなかった。私は韓国人のチョウ・キジェだと思っているからだ。もちろん在日韓国人は他の人たちのように暮らしてはいけないとも思った。認められるためには3倍4倍努力するべきだと思った。私は韓国人と日本人の間に立っている"境界人"だ。私にとって祖国の韓国はとても大切で、日本もやはり私が生まれ育った国なので大切だ。私は他の人たちとは違って中間地点に置かれた人間であり、なのでより熱心にやらなければならないと思った」
Q.韓国人と日本人の強みをどちらも持っているという点を、最大限に活用しようとしているようだ。
A.「そう。韓国の人たちが持っている根性や勤勉誠実さ、日本人の強みであるシステムを上手く組み合わせようと思った」
Q.韓国サッカーをワールドカップをはじめとして、様々な経路から見守ってきただろう。韓国サッカーについてどういう印象を持っているのか?
A.「時々Kリーグの選手を見るたびに、昔と比べて特徴や個性がなくなっているのではないかという気がするときもある。以前には見られなかった自律的なサッカーをするようで、見るのは良いのだが惜しかったりする。例えばソン・フンミンの場合、トッテナムでは申し分なく素晴らしい選手なのに、代表に来たら活躍像が半減しているような感じがする。その原因の一つが、一緒にプレーする選手の個性や特徴がややぼやけているからだと思う」
Q.最後の質問だ。在日韓国人の指導者として、韓国の舞台に立ちたいと考えたりもするはずだが。
A.「もちろん。いつかは必ず韓国で指導者生活をしてみたい。これまで在日韓国人が韓国の舞台で監督として活躍したケースは一度もないと聞いた。なので挑戦してみたい。特に日本で若い選手をたくさん教えてきたからか、韓国の若い選手を育ててみたい。もし機会が与えれれば、選手の意見をまとめて特徴のあるチームを作ってみたい。よく"日本サッカーの聖地"の東京国立競技場で、韓国の若い選手で構成されたチームを率いて日本と勝負する夢を見たりもする。想像するだけで面白い。もちろんそうした夢を実現するには、解決すべき様々な課題がある。例えば、まだ韓国語が下手なのでもう少し勉強しなければならない。けれどそれでも必ずやってみたい。一方、日本にずっと残ることになるなら、湘南ベルマーレにずっと留まるだろう。チームを率いていて、ビッグクラブから招聘のオファーを受けたこともある。だが湘南ベルマーレは私の心臓のようなチームだ」
パク・コンウォンコラムニスト(元安山グリナースFC団長)
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