[現地単独インタビュー] 絶壁の前に立ったチャン・ヒョンスに恐怖はない
スポータルコリア
※一部要約
チャン・ヒョンス(27、FC東京)にとって2018年の夏はいつのときよりも大変だった。
多くの期待を受けて出場した2018ロシアワールドカップで、チャン・ヒョンスはすべての非難の中心に立った。
決定的ミスで失点の口実を提供したことについての非難は、DFとして避けられない宿命のような評価だった。
だが悪質コメントと、それに便乗した一部メディアの報道はチャン・ヒョンスを精神的に苦しめた。
数ヶ月の時間が流れ、チャン・ヒョンスは当時の痛みから少しずつ脱している。
若い頃から各級代表で活躍して、主将を引き受けるほど競技力、精神力がどちらも強い選手だったので心機一転した。
そして彼はパウロ・ベント監督体制で新たに船出した代表でも、守備の重要な資源として選択を受けた。
ベント監督はチャン・ヒョンスが持つ能力を高く評価し、自分の描くビルドアップサッカーを完成させるための資源に選んだ。
チャン・ヒョンスは再び真価を見せるチャンスを掴んだ。
4日、東京都小平市にあるFC東京のクラブハウスでチャン・ヒョンスと会った。
彼は最近読んでいる本から「これ以上落ちるところがないなら恐れるな」という文句を胸におさめていた。
自分のサッカー人生で最も難しい時期を経験しただけに、それを乗り越えるという誓いだった。
─ウルグアイ、パナマを相手にする10月のAマッチに出ることになった。
代表は常に光栄であり、招集のたびに心構えを強くして入る。
最近の(自分に対する)世論と評価が良くないこともあるが、気にしない。
光栄な位置に上がるには、良い選手から学んで得なければならない。
努力している。
─現在、東京はJ1リーグで5位である。だが最近は結果が良くなくて、主将として心配が大きいはずだが?
プロ生活を7年して、8試合無勝は初めて経験する。
以前、広州R&Fでプレーしているときにチームが降格危機で際どかったが、6試合で勝ったことを思い出す。
良かったチームが一瞬にして厳しくなったので、主将として責任感を感じる。
韓国と日本の情緒は違う。
異なる文化の国だ。
私がしたいと思っていることとは違う。
例えば、私が韓国チームの主将なら、一緒に食事をしながら話してチームの役に立とうとするが、日本は選手が退勤してそれぞれ休むのが日常だ。
私が努力して選手を呼び出すこともできるが、ここでは個人的な生活が強い。
私が気をつけなければならず、毎試合勝つために努力しなければならない。
常に希望を持ち、毎週熱心にやっている。
─外国人の主将なのでチームを率いるのに難しさがさらにあるようだ。
長谷川監督から主将を任されたとき、最大の問題がコミュニケーションだった。
簡単な話はするが、深い対話はできない。
キャプテンマークだけつけて試合をするのではなく、モチベーションを起こさなければならない。
コミュニケーションがなければそんなことはできない。
なので監督に「日本語が上手くないのでしないほうが良い」と言った。
だが監督は「コミュニケーションは重要ではない。お前が練習と試合のときに見せる姿が日本選手のモチベーションになる。その点をしっかり見ていたので主将を任せる」とおっしゃった。
コミュニケーションができない短所はあるが、競技場に出るときは誰よりも闘志があるようにしている。
─ワールドカップ後にチームに復帰してしばらくの間試合に出てなかったが?
当時は足首が痛かった。
復帰してから3日くらい練習した。
クラブが点検でMRIを撮ったが、足首があまり良くないと出た。
このままでは練習にならないと相談し、3試合くらい休んだ。
チームの配慮で足首は良くなった。
─ワールドカップの話をしよう。本人にとって良い記憶が残る大会ではなかっただろう。
ワールドカップのときの自分の失敗を認める。
スウェーデン戦は運がなかった。
タックルして自然と手が開き、ボールが私の手に向かった。
もう少し冷静でいるべきだった。
タックルをせず、もう少し落ち着いて試合をしなければならなかった。
─チャン・ヒョンスのサッカー人生における黒歴史という表現も登場するほどだった。
どうしてもそうなのではないか?
すごく応援したのに私がミスをして期待に達することができなかった。
とても苦しかった。
今は乗り越えている。
─これまで各級代表ですべて重用されてきた。多くの指導者がチャン・ヒョンスという選手を選ぶのは、明らかに長所があるからではないか?
コスタリカ、チリとの9月のAマッチを見ると、全体的に試合内容は悪くなかった。
チリ戦の終了直前のバックパスを除けば大丈夫だった。
競技場に入るときは常に監督が望むサッカーをするために努力する。
練習のときも同じだ。
監督がどういうサッカーを追求するのかすごく考える。
監督のサッカーに合わせていく点が目に留まったようだ。
─今はベント監督のサッカーをするために努力している。
監督は几帳面で細かいプレーを強調する。
それをするために努力している。
ミスをしないなら完璧な選手だ。
ミスをするのは仕方ないが、努力が重要である。
─9月のAマッチのときも最多パス(117本)を試みた。ボールカットも8回あった。ベント監督が望むビルドアップサッカーに相応しい活躍のようだが?
監督は後方からのビルドアップに神経をかなり使う。
チリ戦の後半のときに(キム・)ジンヒョン兄さんがゴールキックをする前までポジションを取っていた。
キックしたらスプリントで上がることを注文された。
後方からビルドアップを要求されるので、パス本数も多くなったようだ。
─守備型MFのポジションのほうがむしろ良いという評価もある。ドイツ戦のときはそうだったし、9月のAマッチでも45分プレーした。自分の考えは?
以前にもインタビューで言ったが、個人的な考えではMFならもう少し猪突的な守備ができて、自分が抜かれても後ろからカバーできる。
DFでは私が抜かれてはならない。
どのポジションが気楽だと言うことはできない。
それぞれ長所短所がある。
それでも体はDFが気楽だ。
ポジションを取って移動するのが身についている。
─ベント監督就任後、チームはモチベーションが上手くいっているという感じを受けた。選手の考えは?
雰囲気が良い。
大きな大会をした後で自信がついたし、世界的な選手と試合をして経験を得た。
その経験が自信になっている。
─下半期のAマッチは来年1月に開催されるUAEアジアカップのための準備過程である。アジアカップ優勝という目標に近づけるだろうか。
できれば良いだろう。
最近になって感じたのは、いくら準備しても1試合に勝つことは大変だ。
代表と所属チームは違うが、最近所属チームが8試合連続で勝ててないので、なおさら感じる。
アジアカップで優勝するには7~8試合勝たなければならない。
チームが一つになり、試合でプレーする選手はプレーしない選手のために、より熱心にしなければならない。
プレーしない選手はより一層準備をもっとしっかりしなければならない。
準備過程でチームが一つになれば、優勝することができる。
─今回のアジア大会を見て4年前に金メダルを取ったことを思い出しただろう。
金メダルを取ってほしいと思っていた。
私が金メダルと取ったとき、気持ちと目標が変わった。
韓国サッカーがさらに強くなるためには、金メダルを取って多くの選手がヨーロッパに行かなければならないと思った。
4年前は仁川でやってホームアドバンテージがあった。
当時は(パク・)チュホ兄さんが守備型MFで守備加担をすごくしていたし、(キム・)スンギュ兄さんがGKだったので堅固だった。
スンギュ兄さんが北韓との決勝戦のとき、「引き分けで構わない。PK戦は自分が止める」と言って大きな力となった。
今回も(チョ・)ヒョヌが立っているだけで安定感が生まれた。
私はマレーシアとのグループリーグで負けたとき、良かったと思った。
その試合の敗北で優勝すると見ていた。
─所属チームの試合でも邁進しなければならないだろう。3位圏に再び入らなければならないが?
結果が出ないだけで内容は良い。
ところがゴールが入るときに入らず、失点しない状況で失点している。
結局は選手が乗り越えなければならない。
毎週1試合のために汗を流している。
残り6試合の準備をしっかりやって3位以内に入る。
─今年は本人にとって多事多難だった。どうシーズンを終えたいか?
2018年は私にとって忘れられない年になるだろう。
特に6月は忘れられない。
最近読んでいる本がある。
"ただ自分のままでいてもいい"という本なのだが「これ以上落ちるところがないなら恐れるな」という文句がある。
崖っぷちに立ちたくて立っているのではなく押されて立っているのだが、怖いものはないのだから出ていって挑戦して戦えという言葉だ。
6月に崖っぷちまで行った。
良くない瞬間だったが、あえて避ける理由はない。
良くない瞬間を一瞬で変えることはできない。
私がやるべきことを忠実にしていけば変わることになる。
多事多難だったが、これから先にある道を作っていくことのほうがさらに重要だ。
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