[鳥栖LIVE] サガン鳥栖のトーレスエフェクト、必ず伝えたい実体②
ベストイレブン




※一部要約

羨ましがるだけでなく、日本のようにワールドスターを獲得しなければならないという声は韓国内でも少なくない。
Kリーグで有名な選手がプレーすれば、明らかに効果があるという期待の心理を持っているファンはかなりいる。
だが今の韓国文化、より正確にはコンテンツに関する消費文化とスポーツを眺める認識が改まらない限り、誰かが巨額を投資したとしても、何も残らないだろう。
その投資額はその(※スター)選手が去ってしまえば、為す術もなく空中に蒸発する金に過ぎないだろう。

韓国では現場観戦でなければ、スポーツを有料で視聴するという概念がかなりぼやけている。
最近、某スポーツ専門チャンネルがエル・クラシコを有料中継をしたとき、ファンの反応がとても抵抗的だったと記憶している。
それは当然のことである。
そんなことはほとんどなかったからだ。

もちろんスポーツを離れれば変化はあるだろう。
歌手は音源の収益を上げており、映画はIPTVで有料決済する時代が来た。
十数年前まで"不法複製"は金のない人のための必要悪という認識があったが、今は"犯罪"と誰もが認識している。
要するにコンテンツに金を払って買う文化が生まれた。
幸いなことである。

だが特にスポーツに限っては相変わらず違う。
様々な文化コンテンツの中でプロスポーツ中継は、人々にとって無料で見ることができ、当然そうするべきであり、あるいは意味のない水準に過ぎない少しの視聴料くらいで済ませられるものという雰囲気が強い。
Kリーグだけでなく、韓国のプロスポーツが資金力を基に発展するには、そのような文化はなくならなければならない。
ファンが至近距離から、あるいは部屋で世界レベルに相応しい試合を見たいのなら、金を出さなければならない。


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だがKリーグに外国と同じ消費的物差しを突きつけるのは、現実的に非常に危険だ。
サッカー競技を消費する文化ができるには、また喜んで小遣いを投資する大企業や放送企業が現れるには、かなり分厚いファン層が先に存在していなければならない。
ファンや投資家は決して慈善事業家ではない。
サッカー発展のためにKリーグへの関心と愛情を請い、哀願に近いアピールをするのも、マーケティングという観点から見れば説得力がない。
Kリーグがサッカー競技というコンテンツを売ろうとするなら、ファンの目の高さに合った何かをまず提示しなければならない。

韓国では日本Jリーグが地域の縁故地や社会貢献活動などでブームを作ったという認識が強い。
1993年に始まったときにスター選手の獲得に専念し、財政の健全性が脅かされてリーグが門を閉じそうだったところを、試合の外的なイシューで挽回したという話は、サッカーファンなら一度くらい聞いたことがるだろう。
正しい。
だが一部だけである。


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現在Kリーグが重点的にしている社会貢献活動は、Jリーグと比べて一つピントが合ってないものがある。
Jリーグの社会貢献活動は、地域社会のコミュニティの一環として当然するべき義務を遂行しているものに近い。
人気があろうとなかろうと、名門でも弱体でも、地域社会の一員であるサッカーチームがするべき社会的義務だと感じている。
それがすべて。
一方、私たちは社会貢献活動を観客動員の重要な手段の一つと感じている。
不足しているコンテンツを奉仕活動で埋めている感がなくはないが、これは間違っている。
Jリーグで実質的にファンを集めている要素は、最終的にファンの期待に応えるサッカーだ。
Kリーグもそうするべきである。

日本は野球の国であり、今でも野球人気のほうがサッカーより熱い。
高校野球という根本があるが、プロ野球が長く盛んに行われているのは、リーグを支えるスーパースターという火種があったからだ。
Jリーグもやはり同じである。
ヴェルディ川崎の緑色のユニフォームを着て勢いよく駆けていた時代の"キングカズ"三浦知良が、鹿島アントラーズの"魂"と言われるブラジルサッカーの英雄ジーコを相手に真剣勝負をする、そのときの姿を記憶しているファンが今でもJリーグファンの絶対多数を占めている。
彼らは歳月を経て忠誠心をさらに強くしたし、彼ら以上のスーパースターがJリーグにいなくてもずっと競技場を訪れる。
そして成長して購買力を持っている絶対的な消費者として位置づけられた。
彼らはJリーグを今でも支えている。

要するに"バブル"と評価されても、スーパースターを相次いで獲得したJリーグ草創期時代の遺産は相変わらず生きている。
そのときのファンが今でも絶えずに金を使い、自分のサッカー愛とクラブへの愛情を示している。
そのおかげでJリーグは世界的スターを懐に抱えることができた。


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Kリーグの現実は"消えた着火炭"と同じである。
過去に火がついた時期がなくはない。
ワールドクラスの選手はいなかったが、アン・ジョンファンやコ・ジョンス、イ・ドングを前面に出して興行を追求した1998年から、ワールドカップ熱風が吹き荒れた2002年前後までの約3~4年間、Kリーグはなかなか大きな興行をしたりもした。
"ルネサンス"と言われるほどの当時の人気は、Jリーグにかなり肩を並べるほどだった。
おそらく現在Kリーグの競技場を訪れているオールドファンは、まさにその時期に"ハマった"人たちだろう。

だがそのときに膨らんだファン層は完全に崩壊した。
あの多かったファンは、そしてKリーグの大切な資産にならなければならなかったあのファン層は、声もなく消えた。
利点がKリーグとJリーグの最大の差異点である。
悲しいかなKリーグはリーグの人気に火がついて爆発させるだけのチャンスを十数年前に逃し、その余波が今も及んでいる。

20年前に私たちは最高のスターに熱狂したかもしれないが、今の韓国サッカーファンは適当な選手に簡単には熱狂しないほど、ものすごい目の高さを備えている。
おそらくサッカーに盲目的に狂った大金持ちが現れ、中東の容易にスーパースターの獲得に金を湯水のように使わない以上、以前のように簡単には火がつくことはないだろう。
これはKリーグの苦しいジレンマである。

再びトーレスのJリーグ進出のイシューに戻す。
何人かのファンは、Kリーグはなぜ投資しないのかと不満の声を上げる。
それに対してKリーグの熱狂的ファンは「AFCチャンピオンズリーグで見せているように、実力はそれでもKリーグが最も優れている」と反論して慰めている。
ところが人気と興行は必ずしも実力と正比例するものではない。
そして他リーグを蔑視したからといって、私たちの現実が彼らより良くなるわけでもない。
おそらくその点をKリーグファンもわかってないわけではないだろう。
もしかしたら自分の好きな、ただでさえ傷ついて厳しいKリーグが、流れ者のファンに厳しい投石をされるのが嫌で吐き出す"駄々"に近いものと見るのが正確なのだろう。
そのような論難を見守っていて、歯がゆく苦々しい気持ちが大きい。

ただし、ファンの間で数年間提起されているこの論難を、Kリーグの実務者は逃してはならない。
もちろんJリーグをはじめとする他のアジアリーグのように、大金を使うのは容易ではない。
実際、現時点では非現実的なものだ。
だとしても最初から脳裏に思い浮かべもしないというのはあってはならない。
遠い未来になるかもしれないが、いつかはKリーグもあんな姿を見せなければならないという目標意識を持って臨むべきだし、そうしなければならない。
そのような論難が提起されるということ自体が、今のスポーツ消費者が何を今望んでいるかがわかる尺度であるからだ。


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