[現場リポート] 4人の韓国人、大阪ダービーの中心に立つ
スポータルコリア
※一部要約
ライバル戦という要素は、試合への興味を一層引き立てて没入させる要素である。
それが"ダービーマッチ"と呼ばれる地元のライバル戦なら、なおさら没入度を高める。
地元のライバルには絶対勝たなければならないという自尊心の戦いが熱気を煽る。
日本Jリーグには多くの地元ライバル戦がある。
その中でもガンバ大阪とセレッソ大阪の"大阪ダービー"は、Jリーグを代表するダービーマッチである。
7月29日の市立吹田サッカー競技場では、両チームのシーズン2回目の対決であり、通算23回目の大阪ダービーが行われた。
大阪は日本の有名な観光地として韓国に馴染みの都市である。
また、大阪には4人の韓国サッカー人がいる。
ガンバのオ・ジェソクとファン・ウィジョ、セレッソのユン・ジョンファン監督とキム・ジンヒョンだ。
試合は午後7時に行われたのだが、2時間前の午後5時にはすでに競技場の周囲は空いているところがないほどファンでいっぱいになっていた。
吹田市立競技場には39694人を収容できる。
そしてこの日、競技場には36177人余りが入場した。
安全のためにセクターの一方を空けているのを考慮すれば、事実上ほぼ全席を埋めていた。
関係者は「吹田市立競技場の開場から初めての売り切れ」と伝えた。
ガンバファンは選手団の出入り口側にガンバ選手団のバスが見えると、すぐに熱を帯びた応援で力を送った。
一方、セレッソ選手団のバスが現れると、すぐにありとあらゆるブーイングを送った。
一部のファンは悪態を意味する中指を上げたりもしていた。
遠征応援に来たセレッソファンが入場する南側スタンドの近くでは、セレッソファンの応援が繰り広げられていた。
警備会社の職員はバリケードを立てて、万一の状況に備えていた。
だが所々で両チームのファンの間で口論が起きたりもした。
地元のライバルであり、首位(セレッソ)と6位(ガンバ)で上位圏にいるチーム同士の対決なので、ファンも神経戦が激しくなるほかなかった。
大阪ダービーだがガンバは大阪市がホームではない。
正確には大阪府吹田市がホームである。
韓国で言えば京畿道水原市の概念である。
なのでセレッソファンはガンバに向けてブーイングを送るとき、「大阪にあるチームですらない」と扱き下ろす。
ガンバとは違ってセレッソは大阪市がホームだ。
一方、ガンバはセレッソに向けて優勝回数を取り上げて言う。
ガンバは去年までJ1リーグ2回、リーグカップ2回、日王杯4回、ACL1回を占めた。
一方、セレッソは日王杯優勝3回がすべて。
この3回の優勝もプロ化する前の1968、1970、1974年である。
セレッソファンにとって優勝は一種のコンプレックスというわけだ。
セレッソファンがいるスタンドの前方に"LEGEND OF CEREZO"という文面が書かれた垂れ幕が一つあった。
ユン・ジョンファン監督を応援する垂れ幕だった。
ユン・ジョンファン監督は2000年から2002年までの3年間、セレッソで選手生活をしていた。
そして15年ぶりの今年、監督としてセレッソに帰ってきた。
セレッソファンにとってユン・ジョンファン監督は、最高の外国人選手の1人として記憶されている。
そして監督としてセレッソを現在、J1リーグの1位に上げた。
セレッソファンの絶対的支持を受ける他ない。
また、セレッソには2009年からこれまで主戦GKのグローブをはめているキム・ジンヒョンがいる。
キム・ジンヒョンは桜の守護神と呼ばれている。
セレッソがJ2リーグに降格したときも、チームを去らずに義理を見せた。
セレッソで占める比重もすごい。
外国人選手だがセレッソ関連の広報ポスターやグッズには、間違いなくキム・ジンヒョンと彼の背番号21が登場する。
セレッソファンの絶対的支持も当然である。
城南FCからガンバに伊勢kしたファン・ウィジョは、大阪ダービーでガンバデビュー戦を行なった。
そして彼は高い期待値を満たす活躍をした。
右SBで出場したオ・ジェソクでは強い圧迫守備で勝利の一助となった。
セレッソの左サイドアタッカーの柿谷曜一朗をカチコチに縛り、セレッソの攻撃の力を抜いた。
ファン・ウィジョは試合のMVPに選ばれた。
2人の韓国選手が大阪ダービーの主人公になった。
ガンバファンは起立拍手で彼らの活躍に賛辞を送った。
オ・ジェソクは「大阪ダービーの前に2連敗中だったので、試合はなおさら重要だった」と勝利を喜んだ。
ファン・ウィジョは「緊張したが自分のゴールで勝てて嬉しい」と所感を伝えた。
ライバルに痛恨の一撃を食らったユン・ジョンファン監督は「私の判断が遅れた。多くの方々が期待していたのにしっかりできなかった」と語った。
大阪ダービーは日本国内で、ジュビロ磐田-清水エスパルスの"静岡ダービー"とともに代表的なライバル戦である。
だがガンバはその名声だけに頼ってはいなかった。
吹田市立競技場で初めて行われた大阪ダービーという点で、ガンバの親企業パナソニックを前面に出した"パナソニック・パートナーデー"というマーケティングがすべてだった。
その他の一回性のイベントはやめた。
ただ大阪ダービーというコンテンツに集中した。
試合前には電光掲示板で主要選手のインタビュー映像を流した。
彼らは大阪ダービーに臨む覚悟を明かし、雰囲気を熱くさせた。
競技場に入場するとき配布するマッチデープログラムも、ひたすら大阪ダービーについての内容で満たした。
歴史、関係者の証言、歴代試合など、大阪ダービーが持つコンテンツを最大限に活用したのだ。
そのようなことが23回目の大阪ダービーの価値をさらに高める本質になった。
【関連記事】
・韓国メディア「桜色に染まったキンチョウスタジアム、セレッソ大阪のホームは祭りの現場のようだった」
・韓国メディア「日本に行ったKリーグ出身選手が大活躍」「Jリーグ上位圏クラブであるほど韓国選手の人気が高い」
・韓国メディア「ガンバ大阪の競技場は雄壮、サポーターズは荒い魅力を誇っていた」「日本サッカーは韓国サッカーに多くの教訓」