[インタビュー] イ・ボムヨンの日本1年、「失敗者で戻ったのではない」
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※一部要約

2016シーズン、Kリーグを代表するGK3人(チョン・ソンリョン、キム・スンギュ、イ・ボムヨン)は並んで日本Jリーグの舞台に進出した。
すでにキム・ジンヒョンとク・ソンユンがそれぞれセレッソ大阪とコンサドーレ札幌でプレーしていた中、代表級GKがすべて日本に向かったのである。

彼らの中で2017シーズンに国内の舞台に戻った選手はイ・ボムヨンが唯一だ。
イ・ボムヨンがプレーしたアビスパ福岡は18チーム中最下位を記録して2部リーグに降格した。
江原FCに移籍して1年で日本の舞台を去ったイ・ボムヨンは、失敗者のように見えた。
5日、江陵のシーマークホテルで行われた江原FC始務式の現場で会ったイ・ボムヨンの表情は明るかった。

イ・ボムヨンは物足りなさで終わった1年の日本生活に意味がなくはなかったと言った。
なぜ帰ってくることになったのか、そしてどんなことを得てきたのか、スポットライトの中心にいる江原のナンバー1に選ばれたイ・ボムヨンの話を聞いてみよう。


─釜山とアビスパで連続して降格を経験した。降格したチームの共通点はあったのだろうか?

前半期までは雰囲気の戦いである程度は押されてなかった。一度崩れ始めると回復不可能なまで落ちた。釜山で2014年は降格の危機から一度生き残った。シーズンをしていると再起のチャンスが明らかに来る。その当時を考えると、崩れそうになった瞬間に底まで行ず生き返った。降格したシーズンは再起できるキッカケを掴めずに崩れた。アビスパは後半期の開始と同時に崩れた。古参選手と新人選手の雰囲気をどうやって作るのかが重要である。降格への不安、試合が上手くいかないときに雰囲気をちゃんと作ってこそ抜け出せる。再起する雰囲気が作られなかった。


─失点が最も多いチームだった。個人的な活躍はどうだったのか?

まず降格したチームのGKだったので。私にすごくボールが来る。他のどのチームよりも。Jリーグはシーズンが終わったら選手に関する統計が詳細に出て来る。私は昨シーズン、18チームのGKの中でファインプレー率が6位だった。まあ、失点率は17位。最下位から2番目。記録から見るとファインプレーもたくさんした。それだけボールが多く来たし、GKにとっては失点するしかない部分があった。ファインプレーをしたとき、FWが助けないと。


─アビスパは最小得点チームだった。34試合で26得点。

0-1でリードされているとき。あるいは1-1のとき。このときが重要だ。0-1の状況から0-2になると崩れる確率が高まる。このときFWが得点して追いつくか逆転するか。釜山でもそうだったが後ろでたくさん防いでも、攻撃がチャンスで得点できなければ再び相手の攻撃になる。防ぐには限界がある。60~70分まではよく持ち堪える。このとき1ゴール決めていればという物足りなさがあった。このときに得点していれば、雰囲気は我々のほうにやってくる。GKにとってはできるだけ失点せず、残りの部分はMFとFWの助けを受けなければならない。江原には素晴らしいFWが多い。私たちは十分高い目標を立てるだけのメンバーだ。


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─実際、下位圏チームのGKは多くのシュートを防ぐので、むしろ発展する機会は大きくないだろうか?

それも1~2年くらいなら発展する。3~4年くらいすると率直に"私はすごく苦労してるのに?"という感じがする(笑)。最初の1~2年は"これは私にとって役に立つ"と思った。4年こういう試合をすると極限職業じゃないか?という考えになる(笑)。


─アビスパから1年で出ることになった。外からは失敗したと考えることもできる。チームを出ることになった理由は?

チームが2部リーグに降格して予算上の問題があった。私は行く前からアジアクォーターの選手ではなく、一般の外国人クォーターで入った。アビスパにはすでに韓国人選手が一人いた。実際シーズンを終えて韓国に入る前まで、クラブとミーティングで来年も一緒にするという話を聞いていた。だが韓国に来てから突然話が変わった。レンタルで1年くらいKリーグや他チームに行ってからから来いと言われた。なのでレンタルでプレーするチームを探していたが、江原からオファーが来た。江原からはレンタルは駄目だという。完全移籍で江原と一緒になりたいと言った。江原が移籍金を出して完全移籍が決まった。


─海外進出は容易ではない機会である。先に言ったように、失敗したように見えることもあり、江原移籍を決めるのは簡単なだけではなかっただろう。

多くの方々がそうやって帰ってきたことに失敗者だと考えることもある。だが個人的には日本で過ごす2シーズン目に対する期待が大きかった状況だった。シーズン序盤はわからないまま挑戦して困難も経験した。だが後半期になって私が見ても良い試合をたくさんした。日本の人々も私が言葉も早く学んでいると言った。私自身も適応が上手くいっていると感じていたし、家族も生活面で満足していた。2部リーグに落ちたがそれとは関係なく2017シーズンも上手くやろうと期待していた。もし私が失敗者として帰ったのなら、江原でこのような好待遇を受けられなかった。降格という結果はもちろん失敗と言えるが、江原はそんな私を元気づけ、私を本当に必要としているという気持ちを見せてくれた。


─JリーグはGKからビルドアップするスタイルが一般的だ。下位圏チームにいたが試合のスタイルはどうだったのか?

Kリーグにいたときも下位圏チームだったので守備中心のサッカーをしていた。攻撃するより私たちがやられるシーンがはるかに多かった。Jリーグは全体的に守備的指向のチームがない。互いに打ち合う攻撃サッカーをメインにする。日本でプレーして個人的にかなり変わったと思う。日本選手はGKと相対したとき、GKと一対一の状況で二種類のオプションをさらに考えていた。MFもそうだし、一対一の状況でさらに一回入ってくる。簡単には打たずに完璧なプレーを追求するので、私もやはり2~3種類さらに考えないとファインプレーはできない。そういう部分で自分でさらに研究した。


─別の見方をするとプロ選手として独り立ちの過程にも見える。

韓国のようにクラブハウスであらゆるものをすべて用意している状況ではない。体の管理から食事まで選手が世話しないといけない。練習場と競技場で自分の能力を見せなければならない。韓国では合宿も多いし。今までは中高校のサッカー部で運動していて、今本当にプロになった感じである。


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─GKは防ぐことも重要だが、コールプレーでDFやフィールド選手の位置取りの疎通能力も重要だ。

実際日本に行って最初の3~4ヶ月間で難しかった部分が疎通だった。韓国では簡潔な疎通が重要だと学んだ。多くの言葉より簡単に話して、自分が防ぐことを中心に準備していた。日本に行ったら韓国でもしなかった言葉まで言わなければならなかった。

例えば簡単に"内側を防げ!"という状況を、日本では"左で防いで右に誘え!"式に細かく言わなければならない。"蹴れ!"という部分も具体的に"○○に蹴れ!"と指示しなければならない。"詰めろ!"という場合も"○○が詰めて□□がカバーしろ!"のようにしないといけない。GKコーチ様がこうしろと指示した。


─こんがらがっただろう。効果はあったのか?

そうでなくても言葉が上手くでないのに、難しい言葉をさせるので最初はすごく大変だった。ところがだんだんやっていると実際に選手の組織力が好転していたのが見えた。そのようにするだけで私にボールが来る回数も減った。三語でするのを十語でしないといけなくて首を傾げたが、体験してみるとチームに役立つと感じた。

日本でも最終的にDFと99%まで疎通ができるようになった。もう韓国語ですればもっと気楽で楽しそうだ。もう慣れたやり方で、韓国でもそうするつもりだ。韓国選手とすれば言いたい言葉をすべてできる。楽に言えることになるので幸いだし期待している。サツマイモを食べるのに苦労していたが、今はサツマイモを水と一緒に食べられるという幸福感のように感じられる。


─家族も江陵で暮らすのか?

家を探している。引っ越しは冬季練習が終わってする計画だ。福岡も良いところだったがそれでも外国だ。韓国ほど馴染みで気楽なところはない家族と共にする江陵での生活が期待される。



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