"BVBマン"パク・チュホ、シュメルツァー-香川を超えろ
韓国日報




※一部要約

ドルトムントが29日、HPで「パク・チュホと正式契約を結んだ。契約期間は2018年6月30日までだ」と発表した。
マインツもそうした事実を認めて「新しいクラブで幸運を」とパク・チュホを応援した。

パク・チュホの移籍にはトゥヘル監督の影響が大きく作用したものとみられる。
トゥヘルは以前、マインツ時代にバーゼルからパク・チュホを呼んだ監督である。

パク・チュホの獲得でトゥヘル監督は戦術をより多様に構想できるようになった。
パク・チュホは守備型MFと左SBを行き来できる守備資源だ。
守備での彼の多才さはすでにバーゼルやマインツ時代に証明されている。

パク・チュホは既存の左SBであるマルセル・シュメルツァーと主戦の座をめぐって熾烈な競争を繰り広げることが予想される。

パク・チュホが新たに合流したドルトムントは、バイエルン・ミュンヘンやレバークーゼンとともにブンデスリーガの名門クラブに挙げられる。

パク・チュホはドルトムントの2連覇の主役である日本の香川真司のように、チーム内で確固たる地位を固められるかどうかも注目される。
香川はドルトムントが黄金期を過ごした2010年から2012年まで、MFとして49試合に出場して21ゴールを記録した。
その後の2年間、マンチェスター・ユナイテッドでこれといった印象を残せなかったが、去年にまた戻ってきてチームの勝利に貢献している。
香川は今シーズン2試合に出場し、1ゴールを決めてリーグ得点共同19位に上がっている。

DFはFWやMFに比べて照明をあまり受けられないポジションだ。
だが黙々と自分の役割を果たせば、パク・チュホはドルトムントの成功の主役となれる。


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[ブンデスFOCUS] "名門ドルトムント入団"パク・チュホの絶え間ない挑戦
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※一部要約

「バーゼルに来たときも苦労すると予想した。もし限界に達しても、とりあえず挑戦することを考えた。もし良いチームから良い条件でオファーが来れば移りたい。だが無条件な移籍ではない。私がどれだけ競争力を持っているか、どれだけ私がそのチームについて、リーグについて知っているかを悩む」

2011年9月。
ヨーロッパの舞台に初めて足を踏み入れ、3ヶ月で"星の戦争"チャンピオンズリーグに出たパク・チュホと会って聞いた言葉である。
当時のパク・チュホはスイスのバーゼルでニューフェイスのDFとして活躍していた。
当時プロ4年目を迎えていたパク・チュホは自信が溢れていたが、謙遜もその分だけ溢れていた。
アジアの辺境と言えるJ2リーグでじっくりと段階を踏んでヨーロッパに到達し、"運良く"チャンピオンズリーグまで辿り着いたことを光栄と考えていた。

自信と誠実さを武器にしたパク・チュホは、ヨーロッパ進出2年でドイツに向かった。
マインツ05で時間を過ごし、今はブンデスリーガの"中心"であるドルトムントのユニフォームを着た。
ドルトムントは29日、パク・チュホの獲得を正式発表した。
"本物の名門"クラブに入城したのだ。

パク・チュホにとってドルトムントは挑戦だ。
すでにシュメルツァーなど傑出したDFがいて、MFにはギュンドアン、ベンダーなどがいてパク・チュホにとっては主戦争いが厳しい。
一部ではマインツ残留の方が多くの出場機会を保障されるという視線もある。
だがパク・チュホはためらうことなく競争を選んだ。
プロ8年目、パク・チュホが歩んできた道を見ればその理由が分かる。

パク・チュホはプロ進出を考えていた2008年前後に負傷した。
競技力の回復は簡単ではなかった。
Kリーグ入団は可能だったが、「体が良くないから韓国方面に旋回した」という言葉を聞きたくなかった。
それで選んだところがJ2リーグだった日本の水戸ホーリーホックで、プロの舞台を初めて経験した。
パク・チュホは2部リーグの試合数が多いという点を利用した。
1シーズンの間、特有の誠実さを見せたパク・チュホは、次のシーズンに鹿島アントラーズへ席を移して優勝を導いた。
そして次の年にジュビロ磐田へまた席を移した。

ほぼ毎シーズン自分を望むチームが継続的にあり、無理なく少しずつ幅を広げた。
パク・チュホの新たな環境は、挑戦の障害物ではなくモチベーションだった。
そしてパク・チュホはそれなりに"成功"という結果を、努力の産物としてもたらした。
日本を去り、バーゼルではチーム史上初のチャンピオンズリーグ16強に導く活躍を繰り広げた。
GLではマンチェスター・ユナイテッドを制圧した。
当時のマンUではパク・チソンが活躍していた。

マインツに行くときもパク・チュホは悩みを繰り返した。
「良い条件を受けられるのか、どれだけ競争力を持つことができるのか、チームとリーグについて知っているか」を悩んだ。
ブンデスリーガ中位圏のマインツは適切な舞台だった。
ク・ジャチョル、ホン・ジョンホ、チ・ドンウォン、ソン・フンミンなどが同僚や敵としてドイツの舞台で走っていて、孤独さを振り払うことができた。

マインツで2シーズンを過ごしたパク・チュホは、再び同じ悩みを繰り返してから競争を選んだ。
悩みの主題は同じだが、ヨーロッパに初めて足を踏み入れたパク・チュホと今のパク・チュホは違う。
ふわりと成長した。
今は様々なポジションを消化できるマルチプレーヤーとなった。

同時に体格や体力的にも成長した。
1シーズン継続して90分前後を消化し、激しい体の競り合いを勝ち抜くことができる強靭さを備えた。
そして金で買えない経験を持つことになった。
"トゥヘルの男"ではなく"ドルトムントの男"としての挑戦を、肯定的に眺める決定的な理由である。
もうヨーロッパ最高の名門クラブの一つであるドルトムントのユニフォームを着ることになったパク・チュホの挑戦がどこまで続くのか関心が集まる。


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