[現地ルポ] "市民クラブの完成"ヴァンフォーレ甲府が聞かせてくれる物語
スポータルコリア




※一部要約

最近の東アジアの関心は2015東アジアカップに集中している。(※8月8日の記事)
東アジアカップは国内派で構成されたプランBで、ワールドカップ予選の礎石を固められることができ、さらに中国・日本などと争えるという点で魅力的な大会だからである。

だが東アジアカップという制限的な範囲を剥がせば、最近の東アジアサッカーの流れは中国の莫大な"マネーラッシュ"で大きな話題を吐き出している状況だ。
我が国はともすればセリングクラブになるのではないかという、憂慮の念が混じった言葉まで出ている。

実際に資本の論理で中国の"マネーラッシュ"の余波を避けられないのが現実だ。
だがこれが避けられない現実だとしても、じっとしている必要があるのだろうか。
莫大な資本の流れでも生き残れる方法はないだろうか。
考えてみると、いつから強調されている"自生的"あるいは"地域密着"という言葉がふと思い浮かぶ。
欧州リーグも弛まぬ地域/縁故地密着の形態で観客を集め、そこに企業から後援を受けて生きてなかったか。

あえて遠いヨーロッパではなくても、浮かび上がるところがあった。
それは東アジアを越えてアジア全体で"市民クラブの完成形"、あるいは"地域密着の成功事例"に挙げられる山梨県の代表的クラブ・ヴァンフォーレ甲府だった。
どうしてヴァンフォーレ甲府が市民クラブの完成形と呼ばれるのか。
そこから始まった疑問は、ヴァンフォーレ甲府を直接見に行かせる原動力になった。
さらにヨーロッパに比べて相対的に近い距離は決心に燃料を入れて火をつけ、ヴァンフォーレ甲府のホーム試合がライバル松本山雅と行われるという点は、日本に体を乗せるようにさせた。





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他地での移動は変数だらけだ。
甲府市に行くためには新宿から2時間ほど新幹線急行列車に乗って行かなければならないが、予想より遅れた2時に東京に到着した。
試合開始時間は6時だが、2時に東京に到着したので気持ちが落ち着かなかった。

午後4時45分頃にようやく甲府駅に着いた。
だが到着した安堵感より、ホーム球場にどうやって行くべきかについての不安が先に来た。
遅れた時間のせいで事前に調べていたシャトルバスに乗る暇さえなかったからだ。
なので気持ちを変え、車で15分、タクシーで20分で到着できるという情報を信じ、やみくもにタクシーに乗ることにした。
高い料金を誇る日本のタクシーだったが、仕方のない選択だった。

結果的にタクシーに乗ったのは正しい選択だった。
タクシーに乗ってすぐ、やはり"地域密着クラブのヴァンフォーレ甲府"というものを感じたからだ。
小瀬総合運動場と言うと、すぐにタクシーの運転手はタクシーの上段に置かれたうちわと相手チーム"松本山雅"について語り、ヴァンフォーレ甲府がどんなチームなのか楽しく語り始めた。
J2リーグからここまで来たことについて誇らしく語るのを見ると、チームに対して多くの愛情を持っているようだった。
また、対決することになる松本山雅はライバルチームなので絶対に勝たなければならないという言葉も付け加えた。
タクシーに乗って地域クラブ一つで話になるという点は内心羨ましかった。


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ヴァンフォーレ甲府のホーム球場に初めて向き合ったときに感じたのは、サッカーのための競技場ではないという点だった。

入り口で目を引いたのはヴァンフォーレ甲府を象徴する青の背景の立て看板だった。
内容はヴァンフォーレ甲府を後援する企業のリストだった。

実際、サッカークラブを後援する企業のリストがどうしてこんなに多いのかと考えることができる。
今シーズンにEPL所属クラブのチェルシーの後援企業がサムスンから横浜タイヤに変わったという点、マンチェスター・ユナイテッドの後援企業がアディダスに変わったという点などは、一方ではそれほど大きな事件ではないからだ。
だがヴァンフォーレ甲府が門から誇らしげに(?)掲げているスポンサーのリストは、それらとは少し違っていた。

大きく5つに分けられた膨大な量のスポンサーリストは、メインスポンサーである"はくばく"がユニフォームスポンサーを引き受けているのをはじめ、練習着のスポンサー、地域交流ウェアのスポンサー、チケットスポンサー、ベンチバナーのスポンサーまで羅列されていた。
ここで他のクラブとの特異点が見えるが、それは砂地・担架・ポール台などを後援する企業のリストだった。
また、ほとんどが山梨県にある企業だという点は、近くに住む住民にも興味を抱かせた。(実際におばあさんやおじいさんが立て看板の前で企業を一つ一つ見ていた)


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ヴァンフォーレ甲府はゲートでも新鮮味を与えた。
通常、サッカー場で配られる広報物はクラブ関連のマガジンのようなものが一般的である反面、ヴァンフォーレ甲府はマガジンと一緒にサッカーとまったく関係のないエアコン、レストラン、指輪などのビラを渡していたからだ。
これは先に紹介した立て看板に記載されたスポンサーよりも比重が小さな別の小規模商店街のためのもう一つの広告形態であり、配慮だった。
競技場の外から眺めた"14年連続黒字クラブ"ヴァンフォーレ甲府の地域密着システムと広報戦略は、小さなものから大きなものまで多様になされていることを新たに感じさせた。


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30分前から鳴り響いていたサポーターの応援を懐に抱えて入った競技場は壮観だった。
ヴァンフォーレ甲府の名物"Aボードショー"が目の前に広がっていたからである。
これは2001年に海野一幸会長が就任してから、総合運動場で使い道のない陸上トラックの部分をAボードで一つずつ満たしていき始めたのが発端となり現在まで続いていることなのだが、十分珍しい風景だった。
Aボードで満たされた陸上トラックは、遠く感じられる観客席との距離を狭く見せる効果までおまけでもたらした。
必要のない部分も積極的に活用することにより、クラブの利益創出や見どころを同時に提供するというヴァンフォーレ甲府の考えを伺うことができる風景だった。

"Aボードショー"の他に目を引いたのは砂場だった。
小瀬総合運動場は文字通り総合競技場なので、陸上トラックだけでなく走り幅跳び用の砂場もあったが、ヴァンフォーレ甲府はこの点も逃さなかった。
広告に活用できるすべての場所を活用したためである。
その結果、砂場を布でできた広告で覆う珍しい風景を届けることになったが、これは「大企業に依存しないで黒字を出す」という海野会長の考えと手段が生み出した結果だと解釈できる部分だった。


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観客席の椅子も興味深かった。
ヴァンフォーレ甲府は2002韓日ワールドカップの前に解体危機となったチームだった。
当時、メインスポンサーもないばかりか、J2リーグ26試合連続無勝という深刻な不振を繰り返していたチームだったといことを考えれば納得できる。
だがワールドカップという国際的イベントを前に解体されるとんでもないことが起きてはならないという判断で緊急資金が投じられ、"甲府存続3原則"を与えられてやっと存続できた。
3原則の内容は▲サポーターを最低500人確保▲平均観客を3000人に拡大▲広告料収入を最低4億5000万ウォンの維持が主な内容だった。
だがヴァンフォーレ甲府の当時の平均観客が619人だったという点を考慮すると、これが過酷な条件であるのは間違いなかった。
さらに3原則を守れなかったときは、公式大会の日程を最後に解体しなければならないという条件まで明示された。

そこでヴァンフォーレ甲府が掲げた対策は、地域密着型の広告誘致とあるものを最大限に活用する"固定費用削減"だった。
そこで出てきた対策の一つが観客席の椅子だった。
ヴァンフォーレ甲府が使っている小瀬総合運動場は、よく見れば"椅子"の形ではなく"一文字型"なのが特徴だ。
これに対してヴァンフォーレ甲府は、一文字型の席を白線で区切って番号を付ける画期的なアイディアで危機を克服するが、これは費用的な面で新たに椅子を設置できなかった環境から誕生した"発想の転換"が産んだ結果だった。

ヴァンフォーレ甲府の広告露出戦略を堪能した後で繰り広げられた試合は、前半終了直前(41分)に松本山雅の得点が炸裂するまで多少退屈だったのは事実だ。
だが"試合が退屈でも観客の情熱的な歓声があれば見るに値する試合に変わる"という話をいつか聞いたことがあって、その日の試合がちょうどそうだった。
暑い天候でも"Vamos Kofu"をずっと叫ぶサポーター席の熱を帯びた応援が、爽快な清涼感をプレゼントしたからだ。
もちろん試合は1-0でヴァンフォーレ甲府が負けた。

試合終了後もヴァンフォーレ甲府が与える感動は相変わらずだった。
競技場内のゴミを外に出すファンの姿と、安全のために最後まで残る警察、そして最後までいた案内デスクのスタッフの姿が静かな感動をプレゼントしたからだ。
なぜヴァンフォーレ甲府が成功的なクラブ運営と位置づけられるのかを感じさせる部分だった。

競技場を出て東京への帰路もドタバタだった。
唯一運行されていたシャトルバスが途切れたせいで、タクシーに乗らなければならなかった。
弱り目に祟り目で、タクシーを待つのに終わりがなかった。
だがヴァンフォーレ甲府側のサポーターの方が駅まで来るまで送ってくれるという奇跡のようなことが起きた。
おかげでファンと少し話を交わすことができたが、試合に負けて残念がっている様子にも、ヴァンフォーレ甲府サポーターとしての誇らしい姿はまだ生き生きと頭のなかをグルグル回っている。

ようやく実現したヴァンフォーレ甲府との初めての出会いは、東京への帰路でも多くの考えを投げかけた。
明らかにヴァンフォーレ甲府は車で15~20分以上かかって運行されているシャトルバスも多くなくて、"アクセシビリティ"という項目に関して高い点数を与えられないのも事実である。
だがなぜ彼らはこうして"ヴァンフォーレ甲府"に熱狂するのか。
猛暑でも満員の観客を達成できる原動力は何なのだろう。
きっぱりと定義することはできないが答えがあるならば?
幼い頃に運動会・学校内のサッカー大会で心を一つにして応援したような、"我が地元のクラブ"のために一つの心、一つの意思で動く何か。
まさに"地域密着"ではないか。
地域密着という単語を外しても、資本の流れにも揺れない底辺が用意されなければなないということである。

もちろん彼らの運営がすべて正しいということではない。
厳格にそれぞれ別の環境や文化が存在するからだ。
だがそれでもヴァンフォーレ甲府は、提示された多くの方法論よりも、まず最初に地域民を競技場に連れてくる"戦略"が実行されなければならないということを物語っていた。
隣国のヴァンフォーレ甲府の成功は、もしかしたら私たちのKリーグが抱えているいくつかの問題点を解決する糸口を提供することもできるのではないだろうか。
ただ通り過ぎるには、ヴァンフォーレ甲府は多くのことを示していた。



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