[ソ・ホチョンのキックオフ] キム・ジンヒョン、「No.1ゴールキーパー?私はまだほど遠い」
ソ・ホチョンコラム




※一部要約

キム・ジンヒョンはアジアカップで大韓民国サッカー代表チームの新たな守護神に上がった。
ブラジルワールドカップ後に代表チームが再編される過程で来たチャンスをしっかりと活かしたキム・ジンヒョンは、代表チームに乗船して5年でついに主戦GKを意味する背番号1を確実に与えられた。
キム・ジンヒョン自身の主な舞台である大阪でも絶対的な支持を受けていた。
4月29日に長居スタジアムで行われたセレッソ大阪と京都サンガの試合を観戦して、終始キム・ジンヒョンに対する現地ファンの愛を感じることができた。
セレッソのホームゲームが行われる日なら、キム・ジンヒョンの背番号21を着たファンを見つけるのは非常に簡単なことだった。
彼のためのセレッソサポーターズの応援歌は、一般の観客も簡単に真似るほどだった。

インタビューの後、自分の車で市内まで連れて行ってくれたキム・ジンヒョンは、ナビゲーションの助けがなくても大阪市内で車を止めることなく狭い道を楽に進むことができるほど現地に完璧に適応していた1人だった。





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Q.京都戦の無失点勝利おめでとう。今シーズン初の無失点で勝った試合だと聞いた。

そのためにストレスがありました。
今のセレッソはJ2では最も攻撃力があるので、多くのゴールを決めて勝つが、失点をして守備の選手は物足りなさが大きかった。
1週間前には練習でDFを集めて話しました。
"何が足りなかったかは自分たちが一番良く分かってる。多くのことは言わず集中力だけ持とう。それだけを考えよう"と。
DFが助けてくれれば最後に止めるのは自分の役割なので、それは責任を負うと約束しました。
ちょうど京都戦で望んでいた結果が出て嬉しかったです。


Q.2013年に4位になり観客数も継続して増え、2014年のセレッソは何か実を結んだと思っていたが、降格という痛みを経験した。当惑する結果だったと思うが?

降格が決まったときはこれが事実なのか、私たちに与えられた結果はこれで合っているのかという考えになりました。
2013シーズンに良い成績をおさめてチャンピオンズリーグにも出たし、これまで以上に期待していたシーズンでした。
史上初の優勝も目指していたシーズンにむしろ降格してとても衝撃でした。
明らかにチームにはJリーグでも指折りの選手がいて、ネームバリューのあるフォルランのような選手も来たが、まったく期待を満たせずに私も失望感が大きかった。


Q.さらにライバルのガンバ大阪が三冠までしたのでさらに剥奪感が大きかったようだ。

ガンバが成果を出すのを見守って羨む余裕すらありませんでした。
私たちは下にいた状況でどうにか残留しなければならなかったので、上で誰が優勝して何位になったところで、気を使う暇がなかったんです。
本当に生き残りの時間でした。
シーズンが終わってガンバの成果を知ることになりました。
大阪ダービーはすごく殺伐としてます。
引き分けても両チームのどちらも非難を受ける試合です。
とりあえず羨ましかったが、(オ・)ジェソクにはおめでとうと言いました。
ジェソクにとっては大きな経験となったでしょう。


Q.セレッソは個人能力で言えばJリーグでも上位圏だろう。良い外国人選手、元・現代表、ユースが輩出した選手まで。いったいどうして降格したのだろう?

リーダーの不在が問題だったようです。
有能だがまだ若い選手中心に集まっているので、才能の限界を破ることができないのでしょう。
それがまだ一度も優勝できない理由のようです。
明らかに良いチームで、個人能力も優れているが・・・たとえば3位圏で争っているとき先頭グループに行くには一段階越えなければならないが、そこでいつもつまづきます。
ガンバの遠藤保仁のような選手がいません。
降格圏の争いでも引っ張っていく力がないので、度々チームは低迷します。
日本はあまりにも個人が配慮する国なので、そのような悔しさについて互いに言葉には出しませんが、各々はストレスを受けて。
勝たなければならないという重圧に押されました。
それを克服できずにこのような結果が出たのだと思います。


Q.チーム内での年次や年齢、能力を見ればキム・ジンヒョン選手がそのようなリーダーの役割をすることもできませんか?

私は外国人選手じゃないですか。
いくら言葉ができても外国人としての限界があります。
彼らの人生や選択、やり方について言うのはタブーです。
日本は個人主義が強いので、互いにタッチしないで信じていくしかありません。
することもできるだろうが、他の選手は生意気だと受け取ることがあるでしょう。


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Q.多くのファンが心配している。なぜ2部リーグに降格したのに残ったのだろう?

もちろん去ることもできました。
実際に降格すれば去る選手もいます。
私は自分がその結果に納得できなかったし、昨シーズンの競技力を冷静に評価したとき、私にも結果に対する責任があると思いました。
去年まで6年をともにしたチームなので、愛情や義理の問題もあるでしょうが、それよりは選手として自分が足りなかったことを満たして問題を解消したかったのです。
2部リーグという表面的問題のために競技力の維持を憂慮される方が多いはずですが、まずは試合数がとても多いので1部リーグ以上に難しいところです。
一週間に2試合ずつすることが多いので、コンディション管理もより徹底しなければなりません。
フォルランやカカウのような選手もここにいるので、競技力のレベルに深刻な問題があるとは見えません。
その代わり早く昇格しなければならない。
セレッソはこれまでただの一度も優勝タイトルがありません。
J1はもちろんJ2もです。
チームの歴史で初めての優勝タイトルをもたらしたいです。
何よりプレーオフに行くことになれば非常に大変なので、激戦を行うよりは気楽に1位で上がるのが目標です。


Q.海外でプレーする代表GKはキム・ジンヒョン選手が初めてだが、Jリーグに来た理由が気になる。

理由はありませんでした。
実際、Kリーグドラフトの参加も考えてました。
どのチームに行くのか期待もしたし、私がプロの指名を受けられるのかという圧迫感で緊張していた時期だったが、2008年に学校で良くない状況があって大会に出られませんでした。
ちょうどエージェントが経験次元でJリーグチームの練習に参加してみないかという提案をしました。
練習もして試合感覚も積もうという軽い気持ちで来て、そのチームがセレッソでした。
ところが当時、チームを引き受けていたレヴィー・クルピ監督様が練習の姿勢や技量を良いと見たのか、すぐに契約しようと言いました。
日本は一般的に戦力強化部長が選手獲得を決めるのだが、私の場合は監督様がすぐに契約しろと言いました。
今振り返ると外国人監督だったから可能だったのだと思います。
日本は外国人選手に対するGK禁止条項はないが、暗黙的にGKに外国人を使う必要はないと見ていますね。
韓国人のGKは初めてだったので内部では反発もあったはずだが、クルピ監督様が確信を持って私を連れてきました。


Q.いくら近い国でも日本は厳然たる外国である。多くの部分で韓国とは異なるが、最初はどう適応したのか?

本当に難しかったです。
まず言葉が通じないと何もできませんでした。
出て行くのが怖かった。
最初は宿舎生活をしたのですが、言葉ができないと休み時間に何をするのも不可能でずっと部屋にいるだけでした。
最も好きなサッカーでプロ選手になったので、人生で大変なところは少なかったが、言葉がやはり問題でした。
運動場でより良いものを見せるには互いに理解するべきなのに、私が直に話せないと信頼も確かではなかった。
それを解消するのに6ヶ月かかりました。
本当に熱心に日本語を勉強しました。
会話が可能になると選手は壁もなく接してくれたし、そういう問題を早く克服できました。


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Q.競技場でもそうだし、クラブハウスでもセレッソのどの選手よりも人気があった。

ファンが満足するような試合をしようと努力した結果だと思います。
インタビューでもファンのための話を多くします。
なので自動的に私の気持ちが認められました。
運動場の中での努力も認められたようです。
ファンはクラブハウスや練習場にも本当にたくさん訪れます。
去年のような場合は柿谷選手の人気があって1000人ほどが来ていたが、いつも最後に練習を終えて遅く帰宅するのを見て噂が立って好んでくれたようです。
何より降格してもチームに残留したのでファンが認めてくれたようです。
キム・ジンヒョンはただ通り過ぎて行く外国人選手ではなく、本当にこのチームが好きな選手という風に。


Q.いつかはKリーグでプレーするということを前から言ってきた。だが今Jリーグで成し遂げているのを見ると、簡単に諦めるのは難しいという気がする。

Kリーグには本当に行ってやりたいです。
私にとっては若い頃から夢の舞台でした。
Kリーグを見て育ったし、そこでプレーするのは素晴らしいと思ってたし、それは変わりません。
若い頃から選手として努力し、最後にその舞台に立つ選手は本当に少ないですね。
今すぐにでも行けるなら行きたいです。
だがここでもやらなければならないことが残っていて、突然離れるのは話にもならないので。
J2にチームが落ちた状態で、私にも最も大きな責任もあると思いました。
とりあえずセレッソを1部リーグに復帰させた後で考えてみる問題のようです。


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Q.アジアカップが終わって再び代表チームに招集されたとき、背番号1を受けた。感激だった?

いいえ。
番号は背中などについているステッカーだと思います。
もちろんサッカーで9番、10番、11番のような場合、チームのエースとして優れた技量の選手が受けるものだが、私の場合は違うようです。
セレッソでは明らかな主戦ですが、私がつけている番号は21番ですね。
番号より重要なのは、どれだけ良いものを見せて認められるかが問題のようです。
実際に私はまだ代表チームの主戦GKだと思ってません。
自分に対して不満足です。
まだやらなければならないことが多く、発展しなければならないことも多いです。


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Q.アジアカップでロシアワールドカップに行く有利な高地を占めた。

アジアカップが終わってもワールドカップのことは考えませんでした。
目前でワールドカップに行けるチャンスを逃してみて分かったことのようです。
試合でプレーしようとしまいとブラジルワールドカップに行くこともできたが、結局それができなかったのは遠くを見ていたからだと思います。
絶対に行かなければならないという目標意識が強すぎて、気持ちがすでにブラジルに行っていたのでしょう。
そうするうちに競技力が落ち、集中力も悪くなりました。
重要な経験をしたのです。
一つずつ目の前にある練習と試合で慎重に責任感を持って行動すれば、その場はいつか来ると信じています。
その信念を持って明日ではなく今日を充実させようとしています。


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Q.日本ではあるが海外で生き残ったので、GKとしてヨーロッパにも進出できないだろうかという話も多いが、ヨーロッパ進出の意志もあるか?

もちろん挑戦したいです。
年齢を考えたとき、サッカー人生で後ろを振り返らない挑戦というのは率直に今年と来年のうちに終わらせなければならないようです。
ところが、ともするとそのような挑戦を選んで間違い、ワールドカップがフイになることもあるので慎重でなければならないですね。
ワールドカップに出られるという保障はないが、絶対に出たいですから。
今後の何回かワールドカップに行けるチャンスがあるならば失敗しても挑戦するでしょうが、今はそのような状況まで考慮しなければならない年齢になりました。


Q.常に何かをさらに満たしたがっているようだ。100点のGKになりたがっているかのように。いったいいつ100点が満たされるのだろうか?

サッカー選手として、GKとして100点になろうとするなら、ワールドカップで優勝しなければならないのではないでしょうか?
そうするべきだと思います。
選手生活の最後まで、引退するその瞬間まで100点のために挑戦したいです。
最後に何点と評価されるのかが重要なのではなく、100点に向かって努力したという過程が重要でしょう。
それでこそ切実さを放さないだろうから。

Q.すると今のキム・ジンヒョンは何点?

私は自分自身がしばらく残念です。
アジアカップが終わって10点満点で2点、3点の選手と言ったが、その考えは変わりません。
選手としてすべきことがとても多く、一つずつすべてやってみたいと思います。
自身の満足を継続して成し遂げたい。
選手としての最後の瞬間にすべてのものに満足したい。
それが夢です。


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