日田嶋の歩み、チョン・モンギュ会長のFIFA執行委員挑戦モデル
スポータルコリア
※要旨
チョン・モンギュ大韓サッカー協会会長のFIFA執行委員の挑戦は最低2年後に後回しとなった。
チョン・モンギュ会長は今回新たにFIFA執行委員となった田嶋幸三日本サッカー協会副会長の歩みを参考にしなければならないだろう。
チョン・モンギュ会長は4月30日に行われたAFC総会で、アジアに配分されたFIFA執行委員に挑戦した。
アジアには4人のFIFA執行委員がいて、1人はAFC会長が兼任する。
チョン・モンギュ会長は3人のFIFA執行委員の1席を狙っていた。
そしてチョン・モンギュ会長は落選した。
2人を選ぶ4年の任期のFIFA執行委員に挑戦したが、13得票で3位に終わった。
チョン・モンギュ会長に勝ったのは田嶋副会長だった。
日本サッカーは田嶋副会長の選出で、4年ぶりに再びFIFA執行委員を輩出することになった。
田嶋副会長は4年前にFIFA執行委員選挙で失敗を味わい、彼は二度目の失敗はしなかった。
彼の成功は多様な政策推進と人的ネットワークの結果であった。
彼は日本のサッカー行政の第一線にいる。
技術委員長など様々な役割をこなしていて、日本サッカーの発展を主導した。
日本の長期プラン設定でも田嶋副会長の役割が大きかった。
最も重要なのは、サッカー行政に長く身を置いている点だ。
日本サッカー協会で様々な役割を受け持ち、アジアサッカー界と交流している彼を知らない人間はいなかった。
AFC会員国の主要人物が彼と交流を交わすのは当然だ。
これはFIFA執行委員選挙で大きな役割を果たした。
人心というのは、同じ条件なら少しでも身近な方へ傾くはずである。
さらに田嶋副会長は得票のためせっせと動いた。
彼はAFC会員国のほとんどを訪れ、得票活動をした。
彼は自身を支持することを頼んだ。
高い認知度と積極的な選挙活動が雰囲気に乗って田嶋副会長側に傾かせた。
そして彼の望み通りの結果に終わった。
チョン・モンギュ会長も静かながらも幅広い歩みで自身を知らせて支持を訴えた。
だがアジアサッカー界に身を置いている期間の差は大きかった。
2012年に韓国プロサッカー連盟総裁を引き受けてアジアサッカーの舞台に登場したチョン・モンギュ会長の支持勢力は弱かった。
これは大韓サッカー協会会長を引き受けて以降も大きく変わらなかった。
チョン・モンギュ会長は今から始める段階であるためだ。
だがチョン・モンギュ会長はAFC執行委員として、中央の舞台での活動の基盤を用意した。
AFC執行委員の活動を土台に、FIFA執行委員に挑戦できる道を整えることになった。
そして田嶋副会長が見せた歩みは良い参考となる。
チョン・モンギュ会長は、今後4年間の時間を通じて自身の立場をアジアサッカー界で厚く積めば、田嶋副会長のように厚い人的ネットワークと支持勢力を作れるはずだ。
【関連記事】
・韓国ネチズン反応…チョン・モンギュKFA会長がFIFA理事選で落選、田嶋JFA副会長は当選
![]() | 知識ゼロからの人脈術 弘兼 憲史 幻冬舎 売り上げランキング : 135643 Amazonで詳しく見る |