[サッカーピープル] 日本派GKオ・スンフン「第2のキム・ジンヒョンに挑戦」
スポーツ東亜




※要旨

Kリーグクラシック(1部リーグ)に昇格した大田シチズンのチョ・ジンホ監督は、プロサッカー最高の舞台で生き残るためには最前線に劣らずしっかりとした裏門が必要だと判断した。
そこでGKを補強した。
太田の招請を受けたのはオ・スンフンだ。

国内ファンには少し馴染みのない名前だが、オ・スンフンは実際は"検証された資源"である。
湖南大3年だった2010年に徳島ヴォルティスに入団した後、5年間日本で活躍して着実に地位を固めてきた。
徳島で3年、京都サンガで2年プレーした。
特に京都ではほぼ完全な主戦としてゴールの責任を負った。

だが変化が必要だった。
挑戦が切実だった。
現状に安住してこれ以上"まあまあな"選手とだけ記憶されたくなかった。
オ・スンフンの舞台はJ1リーグでもないJ2リーグだった。
悩んだ末に最終的にKリーグ入団を模索し、大田と縁がつながった。
新しい同僚たちとともに日本・鹿児島で冬季練習に参加中の彼は、「すべて新しく始めるとき」と意味を与えた。


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今は笑って話すが、日本生活の初期は酷かった。
周りに挨拶することさえ恐ろしかった。
泣きっ面に蜂で、"Kリーグドラフトに参加せず海外に出れば、3年間国内に戻ることができない"という規定の期限が5年に改正された。
途方に暮れた。
このとき、徳島で同じ釜の飯を食べた先輩(安山警察庁)の助けが大きかった。
後輩が早く適応できるように、まったく韓国語を言わなかった。
徹底的に日本語で対話した。
口と耳が開かれると日本選手も少しずつ心を開いた。

コーチングスタッフの助けもあった。
プロデビュー戦の2010年10月、福岡との水中戦でオ・スンフンは4失点した。
「なぜ大学生を投入して恥をかいたのか」という徳島ファンの野次が胸に打ち込まれた。
だが美濃部監督は次の試合も彼を出場させ、満足な結果を出した。

京都時代に親しくなった国家代表GKキム・ジンヒョンも癒やしであり刺激だった。
太極マークを付けてプレーする彼と会い、自分もいつか同じところに立ちたいと思った。
「ジンヒョン兄さんのように代表チームで実力の検証を受けたかった。兄さんがサブから始めて今のところに立つまでの過程を側で見て学んだ。私も日本で多くのことを感じたが、また別の自分を探さなければならなかった。チャレンジ(2部リーグ)では意味がなかった。当然クラシックのチームを望み、そうなった。もう真価を見せることだけが残った」

もちろん大田が最も有力な"降格候補"という周囲の予想を知らないわけではない。
だがそこにより一層大きな魅力を感じた。
反転の醍醐味だ。
鉄壁の防御でチームの勝利に貢献できれば、それよりもスカッとすることはできないと考えている。
オ・スンフンは「とても幸福だ。我が国で我が国の選手たちと同じ空間で一緒に呼吸するということが、これほどありがたいのかと新たに感じている。厳しかった昔を記憶し、初心を失わないGKとして残りたい」と拳を握った。



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