「祖父・父・母・姉がスポーツ選手・・・私も遺伝的に手を上手く使えるみたいだ」
中央日報




※一部要約

先月31日、オーストラリアで終わったアジアカップで最も顕著な活躍を見せた韓国選手を挙げるなら、GKキム・ジンヒョンが最初に数えられる。
彼はチョン・ソンニョン、キム・スンギュとの激しい守護神争いを経て主戦の席を奪った。
そして要所ごとに光るファインプレーで韓国のアジアカップ優勝を導いた。
GLから4強戦まで4試合無失点を記録すると、すぐにシュティーリケ監督は「韓国にこんなGKがいるとは知らなかった」と賞賛を惜しまなかった。
彼の活躍のおかげで、韓国代表チームで最も弱かったポジションが最も安定感のある席に変貌したという評価が出てきた。
ファンはキム・ジンヒョンに神を意味する"ガッ(God)ジンヒョン"というニックネームが付いた。
所属チームから休暇を貰って国内に留まっているキム・ジンヒョンに6日会い、アジアカップを終えた所感を聞いてみた。


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─決勝戦が終わってから悔しくて寝られなかったと聞いた。

「去年12月中旬の済州島現地練習から1ヶ月半ほど代表のチームメイトとともに生活をした。実際に準優勝ですごく残念だった。決勝で準備したことさえやれば勝てると思っていたが、結果はそうではなかった。私のサッカー人生で最も残念な瞬間だった。それでもシュティーリケ監督様が私を抱いて"良かった"と言って下さって嬉しかった」


キム・ジンヒョンはアジアカップで5試合に出場し、4試合で無失点を記録した。
キム・ジンヒョンは「4試合連続で1ゴールも許さなかったのは、私の人生で初めての出来事だった」と打ち明けた。
セーブ(直接のファインプレー)も15回も記録した。
キム・ジンヒョンは「足がつっても最後まで走った同僚の助けのおかげだ。DFだけでなく積極的に守備に加担したFWもありがたかった」と語った。





─アジアカップで自分が挙げる最高のファインプレーは。

「GL3次戦のオーストラリア戦で後半25分にネイサン・バーンズのシュートを防いだものだ。この選手はペナルティボックス内に恐ろしいスピードで入ってくると、あっという間にシュートを放った。シュートテンポもすごく速かったが、落ち着いて対処できなければ止められないところだった」


─8強戦と決勝戦で延長戦を行った。もしPK戦まで行ったらどうだっただろうか。

「PK戦は自信だ。どれだけ自分自身を信じられるかにかかっていた。PK戦をしていればかなり震えていただろうが、そのような状況に備えていたのも事実だった。勝ち負けにこだわるより、同僚を信じて堂々とやっていただろう」


キム・ジンヒョンの家はスポーツ一家である。
キム・ジンヒョンの叔父は1988年のソウルオリンピック男子ハンドボールで銀メダルを取ったシン・ヨンソク氏だ。
キム・ジンヒョンは「祖父がサッカー、父・母はバスケットボール・バレーボール、姉はハンドボール、叔母は柔道選手をやっていた」と語った。


─GKをすることになった理由は。

「幼い頃からサッカーとバスケが好きだった。小学校のときから毎年10センチずつ伸びるほど背が高かった。小学5年生のときサッカー部の監督様の目に入り、単純に背が高いという理由だけでGKを引き受けた。父はバスケ、母はバレー選手出身なので遺伝的に手を上手く使えるみたいだ(笑)」


─最も大変だった時期は。

「高校1年のときサッカーを辞めようとした。技量が上がらずにサッカーがつまらなく感じた。そのときの高校の恩師だったキム・ハクチョル監督様が止めてくれた。監督様とともにボールを足でやる技術を学んだ。そのときからビルドアップの能力を育てた」


─アジアカップをキッカケに代表チームの主戦GKに上がったが。

「違う。私は相変わらず"ナンバー3"GKだと思っている。アジアカップの活躍に点数をつけるなら、私は10点満点で2~3点のレベルだと思う。まだ直さなければならないことが多い。ソンニョン兄さんやスンギュとの競争はまだ終わってない。GKとしての特別な秘訣はない。ただ飛んできたボールをすべて防がなければならないというのが私の信条だ。後にサッカーファンから"GKは無条件にキム・ジンヒョン"という言葉を聞くときまでさらに熱心にプレーする」



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