"ユン・ジョンファン株式会社"、韓・日関係を飛び越えた義理!
日刊スポーツ




※要旨

サガン鳥栖の事情に精通している関係者が11日、一枚の写真を送ってきた。
サガン鳥栖の選手団がある温泉で"ユン・ジョンファン株式会社"というプラカードをかけて撮った団体写真である。
この関係者は「シーズンを終えた後、サガン鳥栖の選手がユン・ジョンファン蔚山現代監督に感謝の気持を込めて撮った写真」として、「株式会社は日本式でユン監督が作ったチームという意味に解釈することができる」と説明した。

ユン監督は電話通話で「日本の弟子が写真を送ってくれた。シーズン途中にチームを去ったが、これまでに積み上げた情は忘れてなかった」として、「ある日本選手は"監督様がすごく懐かしい。一緒にやれなくて申し訳ない"というメッセージまで送ってきた。弟子がありがたいし友情に再び感動した」と語った。
続けて「本当に私の弟や子供のような選手たちだった。情がかなり入った」として、「練習のときは常に一緒に走っていたのでなおさらのようだ。私が作ったチームを去るときはあまりにも大変だった」と当時を思い出した。


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8月にサガン鳥栖はユン監督を突然追い出した。
Jリーグの首位を疾走しているときだった。
2010年にユン監督はサガン鳥栖の指揮棒を取ってからジワジワとチームを引き上げてきた。
1997年に創立してから2部リーグを転々としていたサガン鳥栖には、1部のチームから捨てられた選手が集まっていた。

ユン監督は過酷な練習で自信を植えつけた。
勝つサッカーをしながら敗北意識も取り除いた。
きつい体力練習に初めて接した日本選手はユン監督を"鬼"と呼んで強く反発した。
だが1シーズンで1部昇格に成功すると、すぐにユン監督を認めて忠誠まで誓った。

実際にFW豊田陽平は、Jリーグや中国など様々なクラブから3倍を越える年俸を提示されたが「ユン監督がゴミのようだった私を選手にした。彼を残すことはできない」としてサガン鳥栖に残った。
豊田は今シーズン15ゴールを決めて得点2位に上がった。
ユン監督は4年以上、主軸選手のほとんどを抱えていた。

ユン監督を追い出した後、サガン鳥栖は「監督が特定の選手を偏愛している。クラブの未来のためにユン・ジョンファンを送り出した」と語った。
だが写真では選手団全員が明るい表情をしている。
ユン監督が去ってからサガン鳥栖はグラつき、5位でシーズンを終えた。

優勝したガンバ大阪とは勝ち点差3しかなかった。
ユン監督は「今シーズン、Jリーグの他のクラブは戦力が弱かった。私たちは長期間足並みを揃え、組織的でより強かった」として、「優勝できるチャンスだったが終止符を打つことができなかった」と物足りなさをあらわした。



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