[Kリーグメディアデー] 「2002年のPK戦を思い出した」…"カーリング-イ・サンファ"に感動したKリーガー
スポーツソウル
※一部要約
「スポーツが国民をこうして幸せにできるというのを感じた」
25日に閉幕した2018平昌冬季オリンピックは、Kリーグの監督と選手にも多くの感動と共感を抱かせた。
スポーツは国民を一つにまとめられるということが確認されただけに、Kリーグでもそのような役割を果たすと口を揃えた。
その中でも日本を準決勝で退けて銀メダルを握った女子カーリングが最大のイシューだった。
ソ・ジョンウォン水原監督は「夜に行われたショートトラックやカーリングなどの主な試合を選手と一緒に見た。"ヨンミ~、ヨンミ~"と叫ぶ姿が印象的だった」として、「運動している人間としてスポーツが国民を幸せにできるという点を改めて感じた。国民が苦しい状況の中、スポーツでストレスを解消する姿を見た。気をもみ、歓呼し、感動して涙を流す姿を見て、体育人の一人として責任を感じた」と伝えた。
ファン・ソンホンソウル監督も「カーリングの準決勝が最も記憶に残っている。日本キャンプのときに団長からカーリングの人気について話をちょっと聞いていたが、韓国に帰ってから見た試合が韓日戦だった。(スキップのキム・ウンジョンが)ものすごい叫び声や負担の中で、最後のショットを投げ、乗り越えたことにすごく感動した」と語った。
ファン監督は「2002年の巻日ワールドカップ8強戦のスペイン戦でのPK戦のときと同じ負担や感動だったみたいだ」と付け加えた。
スピードスケートも人気だった。
江原のイ・グノは「オリンピックを熱心に見た。"ヨンミ~"も思い出すが、最高の瞬間はイ・サンファと小平奈緒のスピードスケート女子500メートルじゃなかったかと思う。イ・サンファが泣いて私も胸がジーンとした。CF(※コマーシャル・フィルム)の1シーンみたいだった」と明かした。
"エースウェイ"二十の青春が夢を育むところ、Jグリーン堺
スポーツ東亜
※一部要約
日本の10余りの大学は今年始め、エースウェイ(Aceway・代表ナム・ギム)に韓国有望株のスカウトを助けて欲しいという意向を伝えた。
すでに日本の主要大学のコーチングスタッフやスカウトが国内大会の現場を訪れて回っていることがわかった。
国内のU-18(サンウ高)およびU-22(ソウルデジタル大学)のクラブを運営しているエースウェイが、着実に国内のアマチュア選手の日本サッカー留学を手助けしているためである。
そのため日本Jリーグクラブの入団を目的に、大阪堺をホームにしたエースウェイジャパン(Aceway Japan)を設立した。
エースウェイジャパンはJリーグの様々なクラブの入団テストを支援し、日本体育大学で学べる機会を提供する。
出帆3年目を迎えたエースウェイジャパンの2018シーズンの日程も本格化した。
21日、高校サッカー部で活動していた20歳の青春たちが現地に出発した。
ひとまず1次支援は締め切られたが、エースウェイジャパンは技量が確認された資源は募集時期に束縛されることなく、一定の検証作業を経て追加選抜する計画である。
明日のスターを夢見る青年が希望を膨らませているところがある。
Jグリーン堺だ。
大阪近隣の堺市が直接運営しているここでは、総合サッカータウンの形態で構成されていて、人工と天然芝を合わせて全16のグラウンドを保有している。
悪天候に備えて丸い屋根が設置された人工芝のフットサル場は別。
代表選任委員会を28日開催、U-23代表監督を選ぶ
ニュース1
※一部要約
大韓サッカー協会代表監督選任委員会が28日午前からマラソン会議に突入する。
現在空席のU-23代表監督を選任するための席である。
大韓サッカー協会は27日午後、「明日午前10時からU-23代表監督を選ぶための選任小委員会を開催する」と明かした。
監督が選任されれば、この日の午前3時にキム・パンゴン委員長の記者会見が予定されている。
大韓サッカー協会代表監督選任委員会は6日、選任小委員会を開催してキム・ポンギル監督との契約を解除した。
キム監督の当初の任期は8月のジャカルタアジア大会までだった。
大会が刻々と迫り、これ以上空席でいることはできない状況である。
キム・パンゴン委員長は「候補者の選定は短期トーナメントなどの結果、サッカー哲学や現代サッカーに対する知識など、候補とのインタビューを総合的に評価して2月末までに決める」と伝えたことがあった。
"先発"ラメラ、評点5点…10分プレーしたソン・フンミンは6点
インターフットボール
※一部要約
トッテナム・ホットスパーは25日、ロンドンにあるセルハースト・パークで行われたEPL28ラウンドのクリスタルパレスとの試合で1-0の勝利をおさめた。
これでトッテナムは1試合少ないチェルシーを抜いて4位に上がった。
ソン・フンミンは再びベンチに座った。
最近のポチェッティーノ監督はソン・フンミンを交代資源として活用している。
ハリー・ケインの次に多くのゴールを決めているソン・フンミンにとってはやや惜しい状況である。
1、2回振るわなかった試合の後は、いつもベンチを座ることになる冷酷な現実だ。
今回の対戦で先発として出たラメラと異なる姿である。
ラメラは残念な活躍でも先発メンバーにしばしば名前を上げる。
今回の対戦でもラメラは残念な活躍を繰り広げた。
サイドに配置されたラメラはわずか一回のシュートも試みることができないまま、後半20分にモウラと交代させられた。
ソン・フンミンは後半35分にデンベレと交代して競技場を踏んだ。
ソン・フンミンもやはりシュートはなかったが、特有の活発な動きでサイドからトッテナムの攻撃に力を加えた。
その後ケインの得点が炸裂し、トッテナムは辛うじてパレスを下して勝ち点3を手にした。
試合後に英国メディア"スカイスポーツ"は、ラメラに評点5を与えた。
トッテナムのチーム内で最も低い評点である。
だがソン・フンミンは6点を受けた。
トッテナムで最も高い点数を受けた選手はデービスで評点8を受けた。
ドルトムント、日MF中島の獲得に関心…移籍金265億
インターフットボール
※一部要約
ボルシア・ドルトムントが日本MF中島翔哉の獲得に関心を持っている。
ポルトガル"ア・ボラ"は25日、「今シーズンの中島はポルティモネンセで非常に印象的な活躍を繰り広げている」として、「そのような状況でブンデスリーガのドルトムントとシュツットガルトが彼に関心を持たないわけにはいかなかった」と伝えた。
中島は東京ヴェルディユースチームを経て、2012年にブロの舞台でデビューした。
その間に日本の各級代表を経て頭角を現し、2014年にFC東京へ移籍することになった。
2016年のAFC U-23チャンピオンシップに参加して日本を優勝に導き、大会最優秀選手に選ばれて注目を集めた。
そして2017年8月にFC東京を去ってポルトガルのポルティモネンセにレンタル移籍した。