「どこどこのチャン・ヒョンスではなく、ただのチャン・ヒョンスとして記憶されたい」
フットボールリスト
※一部要約
チャン・ヒョンス(いわてグルージャ盛岡)はプロの舞台にデビューした後、ずっと"どこのチャン・ヒョンス"と呼ばれた。
ワールドカップまで経験した代表出身のチャン・ヒョンス(アル・ヒラル)がいたので"水原のチャン・ヒョンス"や"富川のチャン・ヒョンス"、"Jリーガーのチャン・ヒョンス"など所属チームが前についてこそ説明できる選手だった。
チャン・ヒョンスは現在アル・ヒラルでプレーするチャン・ヒョンスと直接的な縁もある。
2人は小学校のときに先輩後輩の間柄だった。
フットボールリストとのインタビューを行ったチャン・ヒョンスは「我々は1歳違いだった。当時はヒョンス兄が"クンチャン"、私は"チャクチャン"と呼ばれていた。大きいチャン・ヒョンスと小さいチャン・ヒョンスという意味だった。名前が同じでヒョンス兄が私を特別に気遣ってくれたことを覚えている」とエピソードを紹介した。
成人になってからは坡州サッカー代表トレーニングセンター(NFC)で再会した。
チャン・ヒョンスは「2014年にトゥーロンカップを準備するU21代表に招集されたことがあった。成人代表も坡州NFCに来ていたときだった。そのときヒョンス兄と最後に連絡した。兄が海外で長くプレーしていて、会ったり連絡することはほとんどなかった」と説明した。
チャン・ヒョンスは「いつも"どこどこのチャン・ヒョンス"と呼ばれてきた。皆が知っている通り、ヒョンス兄は私よりはるかに有名な選手だろう」として、「サッカーファンの方々もただのチャン・ヒョンスなら、私ではなくヒョンス兄と認知される。すべて理解している。名前が同じで紛らわしいのは当然である。今は私もただのチャン・ヒョンスとして記憶されたい。チャン・ヒョンスという名前を言えば私が浮かんでくるように。なのでサッカーをもっと上手くやりたい」として笑った。
仁川、フランス・日本でプレーした代表出身FWイ・ヨンジェ獲得
ニュース1
※一部要約
Kリーグ1の仁川ユナイテッドが海外の舞台でプレーしていた代表出身FWイ・ヨンジェを獲得したと27日に明かした。
浦項スティーラーズユース出身のイ・ヨンジェは、2007年に大韓サッカー協会の優秀選手海外留学プログラムを通じてイングランドのワトフォードFCとユース契約を結んだ。
その後、2009年にフランスのFCナントに行った彼は、フランス3部リーグのレッドスターFCを経て2014年に日本へ場を移した。
Vファーレン長崎、京都サンガFC、ファジアーノ岡山など海外だけで活躍してきたイ・ヨンジェは、今年初めてKリーグの舞台に入ることになった。
イ・ヨンジェは年代別代表を経て2014年に仁川アジア大会で金メダル獲得に力を加え、Aマッチ通算4試合で1ゴールを決めた。
還暦眺める三浦、4部リーグで現役延長
MHNスポーツ
※一部要約
還暦を眺める三浦知良が現役生活を続ける。
日本フットボールリーグ(JFL)の鈴鹿ポイントゲッターズは11日、三浦の獲得を発表した。
これで三浦は現役生活を続ける。
ただ完全なプロリーグでは見られない。
JFLは日本最上位リーグのJリーグ1をはじめとしてJリーグ2、Jリーグ3の下に位置するリーグだ。
JFL初期にはアマチュアと実業チームが主を成しており、徐々にセミプロ形態に発展していった。
現在もプロと見るのが難しいリーグである。
三浦は昨シーズンまで横浜FCでプレーし、チームは2部リーグに降格した。
三浦は2005年からプレーしていたが、現実的な戦力ではなく象徴的な価値として走った。
横浜FCは地域のライバルの横浜F.マリノスに人気・成績・経済力ですべて押され、Jリーグで代表的なスモールマーケットであり不人気チームだ。
だが日本サッカーを象徴する三浦を連れてきて様々な広告やスポンサーなどを誘致した。
かつて三浦が全盛期だった時代の香りを忘れられないファンも多いからである。
三浦がプレーする試合時間も長くて20分を越えなかった。
そのため現地でも無理やりな記録作りという批判があった。
今回の移籍でレベルの低い4部リーグに移籍するが、三浦の年齢を見れば飛躍的に試合時間が増えるとはみられない。
[単独] 仁川、キム・ヒョン去った空席に"代表出身FW"イ・ヨンジェ"獲得"
スポーツ朝鮮
※一部要約
仁川ユナイテッドが攻撃の補強に成功した。
Kリーグの移籍市場に詳しい関係者はスポーツ朝鮮に「仁川が代表出身FWイ・ヨンジェ獲得に成功した。近いうちに発表があるだろう」と伝えた。
イ・ヨンジェは自己隔離を終えてからサインをする予定だ。
昨シーズンに良い活躍を繰り広げたキム・ヒョンを惜しくも逃した仁川は、代わりにイ・ヨンジェの輸血に成功して最前方に重みを加えた。
当初、仁川はキム・ヒョンを引き止めることに総力を上げていた。
昨シーズンに大きな期待をせずに獲得したキム・ヒョンはチョ・ソンファン監督の信頼の中で多くの機会を貰って復活した。
29試合に出て7ゴールを決めた。
長髪でプレースタイルも似ており、"ヒョンラタン"という異名まで得た。
昨シーズンを最後に契約が満了したキム・ヒョンに向けてラブコールが続いた。
市場に多くない長身のターゲットマンに向けて多くのチームが求愛を送った。
仁川はキム・ヒョンを引き止めるためにかなり力を入れたが、キム・ヒョンの最終的な選択は水原FCだった。