[ACLレビュー] "デヤン2ゴール"ソウル、W.シドニーを3-2で下して起死回生
インターフットボール




※一部要約

ファン・ソンホン監督が指揮するFCソウルが、遠征でウェスタン・シドニーを下して起死回生した。

ソウルは11日、オーストラリア・ニューサウスウェールズのキャンベルタウンスタジアムで行われたAFCチャンピオンズリーグF組4次戦でイ・ソクヒョン、デヤンの連続ゴールによってシドニーに3-2の勝利をおさめた。
3連敗の後で初勝利を申告し、勝ち点3で3位に跳躍して反転の口火を切った。


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Jリーグ進出"190センチ"GKイ・ユノ、「ノイアー&太極マークが最終目標」
STNスポーツ




※一部要約

190センチの長身GKイ・ユノが日本プロサッカーJリーグのベガルタ仙台に入団した。

ベガルタ仙台は23日、公式HPでイ・ユノの公式入団の便りを伝えた。
翌日イ・ユノは公式記者会見を行い、Jリーグを選んだ背景と今後の目標、覚悟などを明かした。
1999年3月23日生まれのイ・ユノは190センチ88キロのガッシリとしたGKの体格を備えた人材である。

国内ではあまり知られていないイ・ユノがKリーグの代わりにJリーグをプロ初の舞台として選んだ。
公式入団記者会見に出たイ・ユノは「ベガルタ仙台が私をちゃんと見てくれたことに感謝する。若さを前面に出してチームの役に立てるよう努力する」と入団の所感を伝えた。

続けて「自分の身長は190センチだが、動きは遅くないと思う。大きな身長を活かして空中のボールに強いのが大きな武器」として、「ドイツ代表GKマヌエル・ノイアーが目標」と力強く自信をあらわした。

現在Jリーグにはクォン・スンテ(鹿島アントラーズ)、チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ)、キム・ジンヒョン(セレッソ大阪)、キム・スンギュ(ヴィッセル神戸)ら多くの代表守門将が進出している。

イ・ユノは「代表をずっと夢見ている。韓国代表GKが日本で成長しているという認識がある」として、「最終目標はチームで主戦に跳躍してから太極マークを付けること」と覚悟を固めた。



亜のプレミアリーグを夢見るJリーグの"親東南アジア戦略"
STNスポーツ




※一部要約

日本プロサッカーJリーグが隠れている東南アジアのファンと金を確保するため、中長期的に親東南アジア戦略を着実に実行、加速化させている。
45億のアジア大陸で約7.5%(約6億人)の東南アジア史上を確保し、Jリーグを"アジアのサッカーハブ"にするため、"野心"溢れる作業の真っ最中だ。

Jリーグの計画は2010年から本格的に始まった。
2010南アフリカワールドカップ以降にタイや台湾、フィリピンの公営放送を中心にJリーグを録画中継、あるいはハイライトを編成して送り出した。
日本プロサッカー連盟の主導で東南アジア市場に向けて信号弾を撃った。
その後はJリーグ所属の各クラブが大規模な弾丸舞台でバックアップした。
各クラブは主要な東南アジアの国のプロチームと姉妹提携などを通じてリーグと相互の発展を図ってきた。
1部リーグだけでなくJ2リーグも開拓市場に飛び込んだ。
年が過ぎるほど市場規模は大きくなるなど、拡大・多様性も確保した。
ミャンマー、シンガポール、カンボジアなどのいわゆるサッカー後進国と呼ばれる国を入れる"包容政策"も目についた。
Jリーグ・東南アジア間の親睦はさらに強化され、専門性も深まった。
Jリーグはプロサッカーの運営、管理、マーケティングなどの運営ノウハウを惜しみなく渡し、相手選手が相手国のリーグでプレーできるようにする制度や環境も再整備する努力を惜しまなかった。


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[チョン・ジョンフンのビルドアップ] ザスパ草津のチェ・ジュンギ、彼が直面した日本サッカーと偏見
ヘラルド経済




※一部要約

青年の失業問題は日が進むに連れて深刻化している。
サッカー界も同じである。
ドラフト制度がなくなってからは失業率がさらに上がった。
プロの敷居の前に立った選手は、就職のためKリーグだけでなく様々な国に視野を広げている。

延世大を卒業したCBチェ・ジュンギもその中の一人。
彼は韓国を去って新たな挑戦に出る。
10日、J2リーグのザスパクサツ群馬はクラブのHPでチェ・ジュンギを獲得したと公式発表した。
チームに合流したのは2月だったが、学校側の移籍同意書発行が遅れたため発表が遅れた。

チェ・ジュンギは最初から海外に目を向けていたわけではなかった。
昨シーズン序盤にKリーグクラブからオファーが来たが、複雑な問題により決裂した。
なのでUリーグのキングオブキング戦が終わった直後に、エージェントを通して日本へ渡った。

だがスタートから多くの苦労を経験した。
初めて入ったクラブでは日本選手のよそ者扱いで葛藤を生んだ。
結局そこを去って新たなクラブを探すため歩き回った。
二つ目に足を踏み入れたクラブが、現在身を置いているJ2リーグのザスパクサツ群馬。
ザスパの雰囲気は前のクラブとは正反対だった。
ブラジル、韓国国籍のコーチがいたので外国人に対して好意的だった。
それとともに森下仁志監督が韓国人に対して良い感情を持っていた。

チェ・ジュンギは「監督様がよく自分の選手時代のことを話します。ホン・ミョンボ監督様についての記憶を出し、"韓国選手は闘魂、闘志が優れている"と肯定的な評価をしています」と語った。
ザスパはチェ・ジュンギが適応するには最適な環境だった。



50歳の三浦、31年目で終わりを知らない挑戦のアイコン
スポーツ朝鮮




※一部要約

1967年生まれの三浦知良は2017シーズンが始まった現在までプロ選手のユニフォームを着ている。
彼の現所属は日本J2の横浜FCである。
ポジションはFW。
1986年からクラブ生活をスタート、今年で31年続けている。

三浦は年齢的にプロサッカー選手の全盛期を越えて"還暦"まで経た。
だが今年1月に現所属チームの横浜FCと1年の再契約をして再び1シーズンプレーできるようになった。

三浦は今シーズンの開幕戦が行われた2月26日に50回目の誕生日を迎えた。
松本山雅とのホーム試合を終えた彼は、記者会見で取材陣が用意したバラの花束とケーキをプレゼントされた。
イタリアのサッカースター、アレッサンドロ・デル・ピエーロは自身のブログで三浦の誕生日とサッカーへの情熱に祝福のメッセージを残したりもした。
三浦は3月5日のVファーレン長崎戦でも先発出場、50歳7日でイングランド1部最高齢出場記録(50歳5日、スタンリー・マシューズ)まで飛び越えた。

三浦は去年まで10年を超えて1シーズンで5ゴール以上を上回れずにいる。
1シーズン3ゴールが最多だった。
負傷で引退の危機に追い込まれていた2014シーズンには2試合の出場で無得点を記録したりもした。
2016シーズンには20試合出場で2得点した。
だが三浦は若い後輩と相変わらずプロの舞台を走っている。
なので三浦はアジアサッカーを超えて世界が認める"挑戦"のアイコンとして通じている。

三浦が歩んできたサッカー人生は限りない挑戦の連続だった。
彼は日本を超えてアジアのサッカー選手が歩んでこなかった道を切り開いた。

高校時代の1982年に一人でブラジルサッカー留学に行った。
ブラジルでプロ選手になるためだった。
彼はサンパウロのアトレティコ・ジュベントス・クラブと幼少年契約した。
最初の成人契約は1986年にサントスとした。
その後パルメイラス、コリチーバを転々とした。
長期留学を終えて1990年に日本に戻った。



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