イ・チョンスが明かした「私がスペインを早くに去った理由」
スターニュース




※一部要約

「スンホに耐えろと言った」

15年ぶりに自身の最初の海外進出チームであるスペインのレアル・ソシエダを訪れたイ・チョンスが、当時自分がなぜ帰ってくるしかなかったかを告白した。

マムズタッチの後援で"イ・チョンスの根本ツアー"をレアル・ソシエダのホームであるサン・セバスチャンで行った彼は、スペインを去る前に選手時代を振り返った。

イ・チョンスは2003年、韓国サッカー選手として初めてスペインのプリメーラリーガに進出したが、2004-2005シーズンのヌマンシアレンタル生活を含めて、2年間で正規リーグ28試合出場の無得点に留まり、2005年の夏に蔚山へ戻った。
韓国復帰新年、蔚山のKリーグ優勝を導いてMVPにまでなった。



今になりお詫びします…イ・チョンス"15年ぶり"に頭を下げる、なぜ?
スポーツソウル




※一部要約

イ・チョンスが15年ぶりに謝罪した。

イ・チョンスは"シュートフォーラブ(※小児がん患者を支援するためのキャンペーン)"メンバーのババンバやマネージャーとともに、2003年に入団して韓国初のラ・リーガ選手として活躍したレアル・ソシエダを訪れている。
マムズタッチの後援で行われている"イ・チョンスの根本ツアー"がタイトルである。
特に22日にはホームのアノエタを訪問、レアル・ソシエダとセルタ・デ・ビーゴのラ・リーガの試合をVIP席で観戦した。

彼は試合前、アノエタのあちこちを回って感慨に浸った。
競技場の壁には彼が2003年9月17日にUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグに出場したときの写真がかかっていて、心を和ませた。
ロッカールームで自分が体を解していた場所、ロッカーの傍に座ってポーズをとる時間も持った。
そしてこれまでできなかった謝罪もした。






[SPO in 東京、ルポ] 幕が上がった東アジアカップ、東京の温度
スポTVニュース



0:41 2017/12/08
※一部要約

[ハン・ジュン記者] 東京の12月は韓国の11月の晩秋くらいの天候だと言っていたのだが。
6日夕方、東京成田空港第2ターミナルの北側ゲートから冷たい空気が押し寄せてくると、すぐにあちこちから「サムイ(寒い)」とうい日本が漏れてきた。

代表選手は南端に位置する比較的温かい蔚山での招集練習でも、詰めの日程は寒さと戦っていた。
東京に渡る前にソウルの気温も氷点下に下がっていたので、東京が"寒くない"という表現は間違いではない。
それでも体温は相対的であり、コートを羽織ると暑く感じるくらい長時間室内にいた後で迎えた東京の夜の空気は冷たかった。

選手支給用の旅行カバンをカートに乗せ、選手団のバスへ向かった選手の手にも力が入っていた。
「東京は韓国よりあまり寒くない」という主将チャン・ヒョンスは、実際は少し寒そうだった。
保温性が十分でないジップアップだけをひょいと着て空港の外へ出たためだろう。
最近韓国で流行っている"ロングパディング"で武装する必要まではないが、コートくらいは着ないと風を避けられない天候だ。

国際サッカー連盟がクラブチームに選手選出義務規定を適応する"カレンダー"に入ってない東アジアカップ(E-1フットボールチャンピオンシップ)もそうである。
負ければクビが飛ぶ断頭台マッチではないが、備えなしで出れば厳しくやっつけられることもある。
甘く見れば酷い目に遭うこともある。

代表の指揮棒を取ってからずっと試験台に上がっているシン・テヨン監督はそのため、本戦参加4ヶ国の中で情報を得にくい北韓を除けば、最も早い時期に招集練習を始めた。
11月27日に蔚山で始め、12月5日まで長々と9日。
中国が12月1日、日本が12月4日に招集したので組織力では上回るだろう。
日本と比較すればワールドカップ本戦に出場する選手の比重がはるかに高く、ヨーロッパ派が多くない中国も新鋭選手を多く入れている。



「防弾少年団を知らない」…ワールドカップオールスター独DFの屈辱
MKスポーツ




※一部要約

防弾少年団を知らないければスパイなのか。
5年連続で世界的なDFと評価されたドイツプロサッカーの最上級選手がクラブ職員に叱られたほどである。

マッツ・フンメルスは2013年からFIFA国際サッカー選手協会(FIFPro)のワールド11投票で、CB部門のトップ8に選ばれた。
2014年にはCB4位の中に入ったこともある。

ブンデスリーガ直近2シーズンのベスト11でもあるフンメルスは、自身のSNSをつうじて防弾少年団のオンライン投票に参加して欲しいというドイツ語のメッセージを受けた。
当該の利用者は2016年10月からバイエルン・ミュンヘン、特にフンメルス個人のファンとしてオンライン活動をしている。



[インタビュー] キム・セユン元サッカー代表チーム技術分析官、「分析専門家の育成も韓国サッカー発展に必須」
スポーツ東亜




※一部要約

日本サッカーは2017年に大きな躍進の機会を迎えた。
英国のスポーツ中継業者のパフォームが日本Jリーグに年間2500億、10年間で2兆5000億ウォンを投資することに決めたのである。
暮らしが良くなったJリーグは、アジアクォーターを既存の1枚から2枚に拡大し、それに対して韓国選手の日本進出の機会も広がった。

ところが単に"選手"だけに焦点を合わせる必要はない。
クラブのフロント進出も次第に活発になる傾向だ。
ベガルタ仙台でキム・ヨンサムスカウト、ガンバ大阪でイ・チャンヨプフィジカルコーチが活動中の中、韓国人スタッフにも関心がかなりある。

大学チームだけで400余りに達する日本のアマチュアサッカーシステムも興味深い。
基本的にプロ入団を目的にするが、"選手"以外の進路教育も活発である。
早期に指導者ライセンスを取得でき、その他に戦力分析やフィジカル専門家などで生きていけるように助ける。

国内の18歳以下(サンウ高)、22歳以下(ソウルデジタル大学)のクラブを運営してきたエースウェイ(Aceway・代表ナム・ギム)は日本大阪に"Aceway Japan"を設立、選手~指導者をはじめとする様々なサッカー人の育成に乗り出している。
プロ進出に失敗した高校卒業者を対象に1年間の練習と語学を併行し、もう一つのチャンスを提供して脚光を浴びている。

中心にはキム・セユン"Aceway Japan"強化部長がいる。
Kリーグクラシックの済州ユナイテッドで技術分析官として活動した彼は、2008年から2011年まで大韓サッカー協会所属で主要代表戦力分析官として2010南アフリカワールドカップ~2010広州アジア大会~2011カタールアジアカップなど、メジャーな国際大会の現場を歩き回った。
その後KリーグチャレンジのソウルイーランドFCの戦力分析官としてずっと経験を積んだ。

キム部長は自分の専攻分野を十分に活かし、所属選手に映像化された多様な分析資料を伝える一方、将来の戦力分析官を夢見る学生にも最高水準の教育を手助けしている。
彼の言葉を借りて、サッカーの技術分析官の主な活動や現実、そしてビジョンなど様々な話を解いてみる。



Page Top

ブログパーツ アクセスランキング