韓他種目を口にした中、「帰化サッカー選手を恥ずかしがるな」
ベストイレブン




※一部要約

中国サッカー界の最近の話題は断然"帰化"である。
自国選手の限界を痛感し、認めた中国は、マルチェロ・リッピ監督の強い要請で、より優れている外国選手を一人二人と代表に収集している。

その結果、アーセナルユース出身のニコ、長年中国スーパーリーグ(CSL)で活躍してきたエウケソンが中国代表のユニフォームを着ることになった。
彼らは2022FIFAカタールワールドカップ2次予選から中国のためにプレーするという。
そのため中国は看板FWのウー・レイとニコ、エウケソンが作り出す新たなシナジーに期待している。

中国メディア<新浪スポーツ>は自国の帰化政策を眺める韓国ネチズンの視線を記事化し、外部の論調がどうであれ、彼らは彼らだけの行く道を進めば良いと強調した。
他種目を持ち出して韓国を批判したりもした。

<新浪スポーツ>は「帰化選手を恥じる必要はない。韓国バスケも中国バスケに勝つため、アメリカの大学から選手を発掘している」として、「日本のラグビー代表もチームの3分の1くらいが帰化人だ」と、サッカーではない他種目の事例に言及した。

サッカーの発展という名目の下、投資に投資を繰り返している中国は結局、最後の手段である帰化というカードまで出した。
万が一、帰化カードを発動させても特別な反転を成し遂げられなければ、特にワールドカップ本戦進出に失敗すれば、その衝撃は非常に大きくなる見通しだ。


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シン・ウィソンからセシーニャまで…韓国サッカーの帰化事例と挑戦史
スポーツ京郷




※一部要約

韓国サッカーでは帰化選手が太極マークを付けてグラウンドを走った歴史がまだないが、その試み自体がなかったわけではない。

韓国サッカー初の帰化選手は、タジキスタン出身のGKシン・ウィソンである。
過去にヴァレリー・サリチェフという名前でKリーグを号令した彼は、2000年に韓国に帰化してシン・ウィソンと改名した。
その後はロシアのデニス・ラクチオノフ(イ・ソンナム)やボスニア・ヘルツェゴビナのヤセンコ・サビトヴィッチ(イ・サビク)、セルビア出身のラディボエ・マニッチ(マ・ニサン)が帰化の隊列に合流した。
残念ながらこれらの選手は、国内でKリーグの外国人選手という軛から脱することが目的だったため、サッカー代表抜擢にまで領域は広げられなかった。
マ・ニサンは個人的事情で2005年に韓国国籍を放棄して母国へ帰った。

逆に太極戦士を夢見る外国人選手は、帰化が取り上げられるたびに様々な壁にぶつかった。
2002年の韓日ワールドカップを控え、セルビア出身ゴールゲッターのサーシャ・ドラクリッチと、ブラジル出身DFのマシエウの帰化が議論されたことがあったが、フース・ヒディンク元監督が固辞して失敗に終わった。
10年後の2012年にはジェナン・ラドンチッチ(モンテネグロ)とエニーニョ(ブラジル)がチェ・ガンヒ元監督の希望で帰化を推進したが、大韓体育会の特別帰化審査を通過できなかった。





最近ではブラジル出身のロペス(全北)とセシーニャ(大邸)が太極マークに挑戦状を出した。
両選手はどちらもまだ可能性を打診している段階だが、過去の事例とは違い、選手本人が積極的に望んでいるという点が異なる。
ロペスはSNSに韓国サッカー代表のユニフォームを着た自分のカリカチュアを上げ、「韓国帰化とサッカー代表の挑戦が肯定的なモチベーションになる」と語った。
セシーニャもやはり「韓国でずっと暮らしたい」として、「(帰化が)現実になるなら、何よりも嬉しい」として、帰化についての意思を明かした。

ロペスとセシーニャはそれぞれ2020年と2021年には国内5年居住の資格を満たせるという点で、帰化の可能性も高い。
ただし彼らが帰化しても、太極マークを付けるためにはパウロ・ベント監督のお墨付きを得なければならないという点で、初の帰化出身代表の誕生までには時間がさらに必要な見通しだ。




"国籍より成績"アジアサッカーに飛来した帰化の風
スポーツ京郷




※一部要約

2022年カタールワールドカップ2次予選を1ヶ月後に控えたアジアでは帰化の風が激しく吹いている。

ベトナムとフィリピンが混血や帰化選手を迎えて東南アジアで意味のある成績を出し、ワールドカップ開催国のカタールは最初から帰化選手6人を中心に、今年はじめのアジアカップで初めて頂点に上がった。

"サッカー崛起"を叫ぶ中国も、純血を放棄して帰化政策に転じた。
中国はAFCに予備名簿(60人)を提出したが、ブラジル出身のエウケソンがその名簿に入った。
中国はすでに混血選手の李可(キプロス)が中国のユニフォームを着たなか、事実上の"傭兵"まで連れてきて手強い戦力を構築したという評価を受けている。
中国スーパーリーグの強豪チームが守備とGKを自国選手がして、攻撃は外国人選手が担うのと事実上同じ形である。
2006年のドイツワールドカップでイタリアを優勝に導いたマルチェロ・リッピ中国監督の指導力もさらに伸ばすことができる。

アジアサッカーに吹く帰化の風は、ワールドカップという夢の舞台を望む各国代表と選手の利害関係が一致したため可能だった。

2002韓日ワールドカップ以降の4回のワールドカップ本戦の舞台は、アジアでは韓国(4回)、日本(4回)、オーストラリア(4回)、イラン(3回)、北韓(1回)、サウジアラビア(1回)らが独占し、残りの国は外部の輸血で突破口を見出しているのだ。
どのみち人種を基準として国籍を規定する種族敵民族主義が限界に達した状況なので、外国人選手の帰化に大きな負担もない。
FIFAは5年以上居住した選手であれば、わずか1回に限って新たな国を代表できるように許諾している。
ヨーロッパに目を向けても、フランスやドイツのような強豪でさえ帰化選手を外せないのが実情だ。

選手もワールドカップでプレーさえできるなら、帰化を敬遠する理由がない。
エウケソンに続いて中国帰化が有力なブラジル出身のリカルド・グラールは今後、アジアクォーターの適用で身代金も上げることができる。
中国で活動しているあるエージェントは「来年に中国スーパーリーグがアジアクォーターを復活させれば、エウケソンとグラールの身代金は金の価格に変わるだろう」と語った。

だがアジアの帰化の風が直ちに効果としてあらわれるのかは未知数である。
キム・テギルスポーツ京郷解説委員は「サッカーは選手の技量も重要だが、ワンチームとして一つになる組織力も欠かせない」として、「帰化選手はその部分で問題を起こす恐れがある」と語った。
過去にチェ・ガンヒ元監督がエニーニョの帰化を推進して諦めたのも、特別帰化が失敗に終わっただけでなく、帰化の効果に確信がなかったためだった。

カタールも帰化選手の活躍で成績を出したが、その裏には少なくない試行錯誤があった。
一時は帰化選手の比率を60%にまで上げたカタールは、その選手の科学的結合に問題が生じると、有望株を早期に帰化させてから自国に同化させる方策に方向を変えたのだ。

1989年にブラジル出身のラモス瑠偉を帰化させてこの政策の先頭走者だった日本が、最近では帰化政策を放棄した背景でもある。
帰化政策を積極的に進めている中国がワールドカップ本戦行きの夢を叶えれば帰化の風はさらに強まるだろうが、その逆になれば即座におさまることもあり得るということだ。
その行方を予め確認できるワールドカップ2次予選は、9月5日に始まる。



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