村井チェアマン、Jリーグ外国籍選手OB会設立を明言。ジーコ会長、1200人超が対象

 節目のリーグ開幕25周年を迎えるにあたり、挨拶に立った村井満チェアマンは「この25年間Jリーグを牽引してきたのは、Jリーグのビジョンだと考えています」と述べる。そのビジョンとは「日本サッカーの水準の向上」「地域社会における豊かなスポーツ文化の振興」「国際社会への貢献、交流」の3つである。

 その中でも特に「国際社会への貢献、交流」において、村井チェアマンは「この25年間でJリーグに来た外国籍選手が1200人を超えております」と明かし、外国籍選手のOB会を組織するプランを明かした。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180215-00256310-footballc-socc




Jリーグ"歴代外国人選手の会"組織の理由は
蹴球ジャーナル




※一部要約

パク・ジェリムのJリーグアンテナ

発足25周年を迎えたJリーグが意味のある事業を始めた。
過去に日本でプレーした外国人選手の"OB会"の結成だ。

日本メディア<フットボールチャネル>によると、村井満Jリーグ議長は15日のJリーグ開幕記者会見で、歴代の外国人選手と協力を推進中だと明かした。

1993年に発足したJリーグはコインブラ・ジーコ、カルロス・ドゥンガ、ギャリー・リネカー、ミカエル・ラウドルップ、ドラガン・ストイコビッチら世界的スタープレーヤーが活躍するなど、去年までに約1200人の外国人選手が日本の舞台で走った。

外国人OB会の結成は単なる"思い出の喚起"に終わらない。
Jリーグ広報大使で優れた外国人選手を日本に呼び込む役割も果たすとみられる。
Jリーグでプレーし、引退後にサッカー界の様々な方面で働く彼らの人脈を活用するという意味である。


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村井議長は「Jリーグ出身の外国サッカー人は、日本がどういう国だったか、サッカーはどうだったかなどを各自国に紹介することができる。世界の各チーム、色んな選手とJリーグの交流も可能である」とOB会の組織を試みる目的を明かした。

初代会長はジーコが有力だ。
ブラジル代表選手時代に"白いペレ"と呼ばれ、3回のワールドカップ(1978、1982、1986年)に出場した彼は、1991年から4年間鹿島アントラーズでプレーした。
引退後に日本代表監督として2004アジアカップ優勝、2006ドイツワールドカップ進出などの成果を上げた。

ジーコはドイツワールドカップのグループリーグ脱落で代表の指揮棒を置いた後も、日本サッカー界との友好的な関係を維持してきた。
去年末の慈善試合のとき、村井議長をブラジルに招いたこともあった。
村井会長は「「Jリーグは相変わらずジーコに学ぶことが多い」として、OB会長を引き受けることを期待した。

Jリーグより10年早く発足したKリーグも、35年間で数多くの外国人選手が経てきた。
1985年にラッキー金星所属でKリーグ得点王(12ゴール)とアシスト王(6アシスト)を席巻したピヤポン、1996年に浦項製鉄のユニフォームを着て外国人初の"30(ゴール)-30(アシスト)クラブ"加入者になったラデなど優れた活躍をした選手もいる。

ピヤポンとラデは引退後に各クラブの招待で韓国を訪れ、オールドファンの郷愁を刺激した。
また浦項や水原三星などで活躍し、韓国人に帰化したボスニア出身のイ・サビクは、エージェントとしてKリーグとずっと関係を結んでいる。
それに加えてプロサッカー連盟の次元でもKリーガー出身の外国サッカー人のネットワークを活用すれば、リーグの発展に大いに役立つだろう。



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