[パク・サンギョンのJサッカー] "97回"日王杯、FAカップに投げかける話頭
スポーツ朝鮮




※一部要約

97回日王杯の主人はユン・ジョンファン監督とA代表守門将キム・ジンヒョンのセレッソ大阪だった。

セレッソは横浜Fマリノス相手に延長の接戦の末に逆転勝ちして優勝トロフィーを掲げた。
今年J2から昇格したセレッソはリーグカップに続いて日王杯まで持ち上げ、1995年のプロ転向から22年続いた"無冠の恨(※ハン)"をスッキリと晴らした。

日王杯は1921年の日本サッカー協会(JFA)創設と同時に始まった。
100年の歩みは順調ではなかった。
初大会では地域予選の優勝チームが決戦で棄権する笑えないことが起きた。
イングランドサッカー協会が創設を記念して寄贈したトロフィーは、1945年の太平洋戦争当時、古鉄不足に苦しめられていた旧日本軍に"強制供出"させられ溶鉱炉に溶けた。
1971年までプロ、大学上位のそれぞれ4チームだけの参加で"中途半端"という批判を聞かなければならなかった。
だが昭和日王の試合観戦をキッカケに"日王杯"とうい名称がつき、興行のために"ショウガツ(正月・1月1日)に東京の国立競技場で決勝戦開催"というようなアイディアを絞り出すなど、様々な努力で最終的に100年を見据える誇らしいトーナメント大会を作った。


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韓国サッカーの歴史もいつの間にか100年の歴史を走っている。
だが韓国サッカーの歴史と伝統を象徴するほどの大会は見られない。
1996年から始まったFAカップ、悠久の歴史を象徴するには不十分に見える。
大会方式が変わることが常であり、空っぽの観客席はもう"興行"という単語が色褪せてしまう。
"ACL出場のための近道"という笑えないレッテルまでついて回っている。
見窄らしいだけの大会について、"韓国サッカー最高権威の大会"というタイトルをつけることすら容易ではない。

"歴史の破片"も依然として散らばっている。
1921年に開催された"全朝鮮サッカー大会"や1935年の京城サッカーチームの日王杯優勝、1936年の宝城専門学校(現高麗大)の準優勝など、韓国サッカーを代表するだけの事件は多かったが、それをきちんと一ヶ所に集められなかった。
1946年に朝鮮サッカー協会が創設し、2000年まで命脈を受け継いできた全国サッカー選手権もやはり、2001年にFAカップに"統合"されたが、これまでの歴史が分離されているなど散在している姿である。





韓国サッカーの歴史をもう少し大きな器であらわすことができないだろうか。
これまで続いてきたFAカップのシステムは、変化と改正を経てある程度構成を整えたが、相変わらず"サッカー人だけの祭り"に終わっているという評価が多い。
頻繁な変化によって興行の動力を失い、意義を探すのが難しかった。
大会の意義を拡大改編して規定や賞金を補完するなどの外枠を広げれば、失った権威や散らばった歴史を集める突破口にすることもできる。
明らかな事実は、誇らしい韓国サッカーの歴史的意義が込められなければならないという事実だ。
京平サッカー(※京城と平壌)、統一サッカーなど、私たちが作った歴史を一席に盛り込む土台にすることもできる。

日王杯の97回の歴史も結局は"記憶の切れ端"から出発した。
"全日本サッカー選手権"から始まったが明治神宮大会、東西対抗戦、NHKトロフィーなど各種大会と合併、分離を続けてきた。
JFAはそのような流れをすべて日王杯の一部に包容して歴史を作り、自ら最上位の大会という権威を作り出すことに成功した。

始めれば半分以上終ったも同然。
最高権威のFAカップを作るための試みは今からでも遅くない。


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