[現地新年インタビュー] "ダブル"ユン・ジョンファン監督「日本型指導者?私の夢は韓国代表の指令塔」
スポーツソウル




※一部要約

ユン・ジョンファン日本Jリーグセレッソ大阪監督は、2017年に国内外のプロサッカー指導者の中で最も熱い関心を集めた。
2部から1部に昇格したセレッソの指揮棒を手にした彼は、就任初年度にルヴァンカップ続いて、1日に行われた日王杯決勝戦で血戦の末に横浜マリノスに2-1で逆転勝ちして優勝カップを掲げ、"ダブル(二冠王)"神話を作った。
正規リーグでも3位を占めてアジアチャンピオンズリーグ進出権を早くに取るなど、当初クラブが掲げていた"1部残留"の目標を大きく上回った。
ユン監督は先月のJリーグ授賞式で韓国人初の"今年の監督賞"を受賞し、指導者人生の転換点を迎えた。
日本サッカー界に"ユン・ジョンファン症候群"が激しく吹いた。

彼は2006年にJリーグに進出、サガン鳥栖で選手として活躍し、2008年から首席コーチに変身して指導者デビューをした。
2011年にサガン鳥栖の正式監督初年度にチームの1部昇格を導いた。
翌年に首位までなるなど、日本で"オニ(鬼神)"と言われて常勝疾走した。
そんな中で2015年にKリーグクラシックの蔚山現代の指揮棒を手にして国内にカムバックした。
就任初年度に正規リーグ下位スプリットに押し出され、翌年は4位を占めたが、ファンの期待を満たすことができず、苦心の末にセレッソのラブコールを受けてJリーグにUターンした。
完璧に"災い転じて福となす"になった。
セレッソはユン監督が2000~2002年に主戦MFでプレーしたチームである。
誰よりもチーム文化をよく知っていて、適応が易しかった。
クラブもやはりユン監督が持つ韓国的なリーダーシップと指導方法を組み合わせようと考えた。
2017年は"ウィンウィン"に帰結した。
スポーツソウルは最近、日王杯決勝を前に大阪の舞洲スポーツアイランド内のクラブ事務所でユン監督と会ってインタビューした。
彼が振り返った2017年はもちろん、2018戊戌年の誓いを虚心坦懐に聞いた。

「1年でこれだけ成功するとは予想できなかっただろう」と記者がすぐ尋ねた。
ユン監督は「もちろん」と笑い、「ただし能力と潜在力のある選手がかなりいるということを(就任前から)確認していた。(クラブが)信じて任せればチームをしっかり作る自信はあった」と語った。
日本メディアとJリーグ関係者がユン監督を最も認めているのは、セレッソ選手団の精神構造を変えたところにあった。
以前とは違って主要な局面で克服する力ができ、"勝利のDNA"が植え付けられたということである。
ユン監督は練習場から雰囲気を180度変えたことに秘訣があると強調した。
彼は「以前のブラジル監督体制では練習からチームがあまりに自由奔放だった」として、「そういうチームは競技場で良いときは限りなく良いが、一度揺れたら手の施しようもなく崩れる」と語った。
セレッソはかなり前からクラブユース出身などの20台序盤の若い選手が主力として成長した。
チーム内の中心となる選手が足りなかった。
若い雰囲気で楽しんでボールは蹴るが、やや"遊んで"いたというのがユン監督の説明である。
彼は「練習場も競技場のような雰囲気に変えた。抑圧ではない規則や規律を作って行った」として、「一部の選手は練習のとき保護装備をつけずにボールを蹴っていた。そういうことから指摘して引き締めた」と語った。
サッカー選手にとって練習場と競技場は職場、仕事先という点を強調し、"プロ意識"を強調した。
代わりに練習場の外では"近所のおじさん"のように心置きなく過ごした。
日本語も上手いユン監督だったので、疎通は最初から無理がなかった。
セレッソの選手はそうして少しずつユン監督を受け入れた。


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セレッソのチーム精神を強固に確立することになったのは、"スターの扱い"に目覚めたユン監督の経験も一役買った。
どのチームに行っても韓国の指導方法に不満を持つ選手はいる。
自国人ではなく韓国人監督が指揮棒を手にしたので、セレッソの看板級選手の態度も手強かった。
だが鳥栖、蔚山での記憶を思い浮かべた。
ユン監督は鳥栖時代に"主砲"豊田陽平と衝突したことがあった。
豊田が練習中にDFの足に躓いたが、ユン監督は問題なしと判断して試合をそのまま進めた。
豊田は口でホイッスルの音を出して「なぜファールなのに試合を止めないのか」と言った。
ユン監督は「実際の試合で審判が見落としてもそのまま続けなければならない」として、「受け入れられないなら君が監督をしろ」とホイッスルを投げたことがあった。
看板級選手により強く積極的な試合の態度を引き出そうとする意図だった。
これはすぐ競技場で結果としてあらわれた。
豊田はユン監督と会った初年度の2011年に、38試合23ゴールで2部得点王になるなど、反転のドラマを作った。
彼はすぐユン監督に頭を下げて近づいた。
一方、鳥栖よりスター選手が並んでいた蔚山では過酷な試練だった。
ただでさえKリーグに再適応しなければならなかった彼は、主力選手中心に作られたチーム文化を変えようとしたが、苦難を経験した。
一種の"駆け引き"が必要だと感じた。
徹底して指導者も選手も、プロとは運命共同体から始まらなければならないことをさらに感じた。

ユン監督はセレッソで不誠実な姿勢を見せたFW柿谷曜一朗を、リーグ中盤に出場メンバーから外した。
彼は「柿谷はチームの中心だった。前までは競技力が良くなくても無条件にプレーしていた。ところがいきなりメンバーから外れたので、選手が驚いていた。誰であっても練習場から全力を尽くさなければならないという信号を送ったわけだ」と語った。
そこにユン監督はルヴァンカップでユースチームの高校選手を2人もデビューさせて優勝まで手にするなど、次世代メンバーを稼働させても成果を出し、ベテラン選手も彼に従った。
また、山口蛍や杉本健勇を攻撃的ポジションに変更して成果を出すなど、用兵術も好成績の原動力になった。





国内ファンの間からは"ユン監督が日本の年代別代表監督を引き受けるのではないか"という話がしばしば出てくる。
異例的に日本サッカー界で強い信頼を受けており、有望株もかなりよく知っているためである。
ユン監督は「(日本代表監督をすれば)国内で逆賊と言わるのではないか」と笑った。
彼は「私について"日本によく合った監督"という話がある。だがKリーグではチェ・ガンヒ全北監督を除けば、長くしている方がいなくないか」と反問した。
それととともに「蔚山のときは8年ぶりにKリーグに初めて行ったのだ。選手を把握するには時間が必要である。そこで私を評価するときは、まるでKリーグ10年目の監督を論じているみたいだった」と語った。
それとともに「再び(Kリーグで)機会があるなら挑戦してみたい気持ちはある」として、「ただし韓国と日本の指導者文化はかなり違う。韓国は短期間で成果を出せなければ監督が死ぬ。成果を出しても主力選手の半分以上が翌シーズンの前に交代する」と指摘した。
Kリーグチームのほとんどが哲学なしに動いていることに物足りなさが濃い。
彼は「チームのサッカー色や文化が明確であれば、それに合った指導者を連れてくれば良い。そうじゃなくて監督を信じて選んだのなら、時間的に余裕を置いてこそ発展することができる」として、「鳥栖を引き受けたときもチーム哲学はなかった。当時は戦術からチームが進もうとしている方向、文化を作ることに集中した。セレッソは今のチーム文化に私のような人間が必要だったので連れてきた」と強調した。
また、「初期にそういうことをしっかり見積もってこそ、後にクラブは監督や選手、その他に金を使っても、明確で効率的に投資するキッカケを作れる」と語った。

「私の夢は後々の韓国代表監督」ときっぱり言ったユン監督は「そのような機会を得るには、プロで様々な角度から過程を踏まなければならない」と語った。
それとともに「指導者は結果も重要だが、自分のサッカーノウハウと方法を後輩(選手)に伝えなければならない義務もある。2018年も自分の夢に向かってそのような過程を誠実に踏んでいきたい」と笑った。


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