[パク・サンギョンのJサッカー] 韓-日メッシはなぜ別の道を歩むことになったのか
スポーツ朝鮮




※一部要約

しばらく韓日サッカー界は自国の"メッシ"で浮き立っていた時期があった。
両選手ともFCバルセロナユース所属という共通分母があった。
イ・スンウのゴールのニュースが伝えられるたびに、韓国では"韓国のメッシ"を期待して笑いの花が咲いた。
日本も同じ。
わずか10歳の年齢でスペインに渡った"日本のメッシ"久保建英は日本サッカー界の未来そのものだった。
FIFAが"18歳以下選手の海外移籍規定違反"でバルセロナに鉄槌を下した2015年3月前までの風景である。

韓日2人のメッシの現在は正反対だ。
イタリア・セリエAのエラス・ヴェローナで主戦競争をしているイ・スンウとは違い、久保は22日の広島戦の後半にプロ申告式を行った。
プロデビューの年齢だけを問うなら、久保はイ・スンウより3年早かったが、出発点の重量感は雲泥の差である。

"運"が切り離した結果物である。
イ・スンウは"年齢"が得になった。
"開店休業"の期間が短かった。
満18歳になった2016年からバルセロナユースで活躍を再開した。
この時期にイ・スンウは青少年代表だけでなく非公式ユース大会、国内のプロ-大学チームの練習に参加して懸命に耐えた。
バルセロナもやはり個人トレーナーとコーチを派遣して助けるなど、積極的に動いた。
同年代の他の"バルサユース"だったチャン・ギョルヒも同じようなコースを踏んだ。


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だが久保はあまりに幼かった。
スペイン永住権を取得しても、懲戒の発行でチーム登録が不可能だった。
満18歳になる2019年6月まで耐えるのも事実上難しかった。
バルセロナが助けたくても脱出口のない事情だった。
スペイン日刊紙のムンドデポルティーボは「久保はプレーできない状況に耐えられなかった。彼の両親はバルセロナ所属として選手生活を続ける可能性を模索したが、最終的に脱出を決心した」と状況を説明した。

イ・スンウは"挑戦者"である。
バルセロナでのデビューを望んでいたが、運命の女神が妬んだ。
スペインではなくイタリア・セリエA、"弱体"と評価されるエラスの状況はすべてイ・スンウにとって新しい風景だ。
"バルセロナユース出身"という盾はもうない。
一日一日が生存のかかった崖っぷちの争いである。

久保に対する評価は半々だ。
技量の面では同級の選手以上という評価がほとんどだが、まだ磨き上げなければならない部分が多いという評価である。
6月に出場したFIFA U-20ワールドカップでも鋭いキック能力や広いパスの視野を誇り、印象的な動きを見せた。
だが10月にインドで行われたFIFA U-17ワールドカップでは"成長の停滞"があらわれた。
キックの鋭さが鈍り、相手のプレスの対応、体力がすべて落ちた。
同時代に体力的に似ていて、バルセロナの懲戒で非公式戦にしか出場していなかったイ・スンウやチャン・ギョルヒと比べても、良い姿を見せたと評価するのは難しかった。

安間貴義東京監督は久保のデビュー戦の後、「状況判断やドリブル、積極性も期待以上」と評価した。
しかし「周囲との関係が良くならなければならない。同僚の信頼が増し、自分が望むタイミングに合わせてボールを受けられるよう、積極性ももう少し必要」と指摘した。
個人の技量は同級の選手と比べて良い方だが、弱点と指摘されたフィジカルや組織力では依然として"未熟な選手"というレッテルをはがせなかったという視線が伺える。

グラウンドの変化は激しい。
出発点は違ったとしても最終目的地まで違うという保障はない。
"プロ"という道の上で再会した韓日メッシの活躍像が注目される理由である。



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