「最初は行きたくなかったが…"モチカタ"で日本行きを選びました」
オーマイニュース




※一部要約

自己啓発のベストセラー<夢見る屋根裏部屋>のイ・ジソン著者は"R=VD(Realization= Vivid Dream)"を強調している。
夢は叶えられるという確信を持ち、目標に精進すれば実現するという話だ。
MFキム・ミンテ(23、コンサドーレ札幌)もこの公式を繰り返し語っている。
より高いところへ進むため、絶えず努力しながらである。


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シニル小-陵谷中-富平高を経たキム・ミンテは2012年光云大に入学した。
高校時代の疲労骨折ですぐには主戦でプレーできなかった。
キム・ミンテは「精神的にすごく大変だったが、(イ・)フグォン兄さん(城南FC)と(キム・)ナムチュン兄さん(尚州尚武)のような先輩が慰めてくれて、気を引き締めることができた」と、同僚の助けでスランプを克服できたと語った。

負傷から復帰したキム・ミンテはその後、主戦MFとして起用され中盤の一軸を担った。
3年生だった2014年、光云大の史上初のUリーグキングオブキング戦優勝に力を加えて傍点も打った。
国内外のプロチームが最高級MFに成長した彼を連れて行こうとした。
その中でJ1リーグ所属のベガルタ仙台が最も積極的だった。

インフラの良い日本からラブコールが来たが、元々キム・ミンテは日本行きに消極的だった。
いや、正確には行きたくなかった。
当時を思い出した彼は「国内の有望株が日本へたくさん進出した時期だった。ほとんどが失敗を味わって戻ったことが多く、日本に行きたい気がしなかった」と打ち明けた。

「それでも雰囲気を一度でも感じてこい」という周囲のアドバイスを聞いたキム・ミンテは、やむを得ず日本のテストを見に行った。
"本当に軽い気持ち"で仙台行きの飛行機に乗った彼は、すぐ日本サッカー特有の緻密さにハマった。

「些細な癖の一つ一つを直して教えていた。例えば日本ではボールを掴む方法を"モチカタ"と言う。MFがボールを扱う方法を詳しく分類して指導する。そのときから仙台に入団することを決心した」


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2014年末に仙台入団を決めたキム・ミンテは、冬季練習の前に右膝の負傷で体を作れなかった。
一日でも早く技量を見せなければならないと焦りそうなものだが、大学時代にスランプを克服した経験を思い出して静かにチャンスを待った。

キム・ミンテは2015年5月にリーグの強豪浦和レッズ相手に、プロデビュー戦を行った。
開幕5連敗に陥っていた仙台は、雰囲気の刷新の次元で彼を先発出場させ、待ってましたとばかりにキム・ミンテはデビューゴールを決めて縦横無尽の大活躍をして存在感を知らしめた。

デビュー戦後、キム・ミンテはリーグで6試合連続出場、3ゴールを記録して主戦に背伸びした。
シーズン後に彼が出した成績表は17試合4ゴール。
シーズン始めの負傷の空白を考慮すれば、成功裏にJリーグに無事着した彼だった。

キム・ミンテは去年のブラジルリオオリンピックの代表に抜擢され、グループリーグ2試合(フィジー、メキシコ)を消化した。
実は彼はオリンピック発表当時、予備メンバーに分類されていてブラジル行きを断言できなかった。
だがソン・ジュフン(アルビレックス新潟)が大会前に足の指を骨折して落馬し、劇的に合流することができた。

生涯でたった一度のオリンピックをプレーできるという事実にすごく喜んだが、一方では負傷した同僚の代わりという点で気持ちは楽ではなかった。
そのときソン・ジュフンが先にキム・ミンテに電話をかけてきた。


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「ジュフンは"お前が代わりに行くことになって安心した"と激励した。ジュフンの脱落でオリンピックに行く微妙な立場だったが、ずっと胸の中では19人(ソン・ジュフンを含めた)が一緒にプレーしていると考えた」

惜しくもオリンピックに行けなかった友人のため、キム・ミンテは小さなイベントを用意した。
ゴールセレモニーでソン・ジュフンのユニフォームを広げて見せようとすることだった。
ドイツ戦のファン・ヒチャンの先制ゴールでソン・ジュフンのユニフォームが現れたのもそのような理由だった。

「元々はフィジー戦のときするつもりだった。ところが私がうっかり宿舎にジュフンのユニフォームを置いてきて、次の試合のドイツ戦でジュフンのためセレモニーをした。弱いチームのフィジーより、強いチームのドイツ相手に繰り広げたセレモニーだったので、結果的にはより強烈にメッセージ-を伝えられた(笑)」

リオオリンピックを終えて仙台に戻ったキム・ミンテにはプレーする席がなかった。
大会期間の空白で、チーム内の主戦競争で遅れを取ったためである。
キム・ミンテは「2016年はリオオリンピックにすごく気を使っていた。所属チームでの立場を確固たるものにしなければならなかったが、そうはできなかった」と語った。

突破口を見つけるため、彼は札幌に巣を移した。
オリンピックの同僚ク・ソンユン(GK)の存在も一役買った。
心機一転した彼は、今シーズンの開幕戦を皮切りに10試合連続出場をして、順調に適応した。
収穫もあった。
所属チームが3バックを使い、CBでも試合に出てマルチ資源としての存在感を誇示した。


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しかし7月初めに足首の負傷で戦列を離脱する悪材料が訪れた。
上手くいっているときにした負傷だったので、かなり気に障ったし悔しかった。
キム・ミンテは「足首の負傷からコンディションがかなり落ちた。ちょうど復帰したばかりなので、一日でも早くコンディションを回復し、再び主戦の席を取り戻す」と誓った。

インタビューでずっとキム・ミンテは「不足している点が多い」という言葉を口癖のように繰り返した。
海外のプロ生活からオリンピック出場まで満ち足りたキャリアだが、まだ飽き足らない様子だった。
彼がそれだけ不足している点を補完しようとするのには理由があった。
高校時代に交流戦で行ったサンチャゴ・ベルナベウ(レアル・マドリードのホーム)の芝をもう一度踏みたいからである。

「個人的にレアル・マドリードで一度は絶対にプレーしてみたい。他の人が実現の可能性は低いと言っても、夢は大きく持ったほうが良いと思う。それでこそ最大限の目標値に近づけるのではないだろうか。現在に満足することなく、地道に精進すれば代表にも抜擢されると信じている。もちろんそれだけもっと努力しなければならないのもわかっている。そうなれば夢だけと感じていたレアル入団にも近づくのではないだろうか」



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