"天性GK"ク・ソンユンがJリーガーとして生きていく方法
オーマイニュース




※一部要約

2016リオオリンピック代表出身のク・ソンユンは、韓国のゴールを守る次世代GKである。
ロシア-モロッコとの親善試合には出場できなかったが、A代表に抜擢されて今後の期待感を高めた。
日本J1ではクォン・スンテ(鹿島アントラーズ)、キム・ジンヒョン(セレッソ大阪)、キム・スンギュ(ヴィッセル神戸)、チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ)とともに大活躍し、韓国人GKの地位を上げている。

彼らの中でクォン・スンテ、キム・スンギュ、チョン・ソンリョンはKリーグの活躍を足掛かりに、巨額の移籍金を受けて傭兵として入団した。
日本でプロデビューして成功したのはキム・ジンヒョンとク・ソンユンだけである。
ク・ソンユンは2009年にデビューしたキム・ジンヒョン以降、実に久しぶりにJリーグで成功裏に花を咲かせたケースである。

浦項のチョンリム小でサッカーを始めたク・ソンユンのスタートは格別だった。
多くのGKが幼い頃にフィールドプレーヤーとして入門してGKに転向するのとは違い、ク・ソンユンはサッカーは学んだときからGKで始めた。

「ある日、サッカー部のGKの先輩が練習しているところで、友人らとボールを蹴ってました。そのとき私がGKをしていたのですが、シュートを防ぐのを見て先輩が褒めてました(笑)」

大型GKの可能性(?)を認めたGKの先輩は、サッカー部の監督を訪ねてク・ソンユンのポジションをGKに推薦した。
監督はク・ソンユンのプレーを観察し、肯定的に評価して彼にゴールを任せた。

「近所でサッカーをするとき、友人はGKをしたくなったが、私はそうじゃありませんでした。GKは特別な存在だと思います。フィールドプレーヤーと違う色のユニフォームを着て、手を使えるという点に大きな魅力を感じました。好セーブしたときにピリッとするのも言葉で言い表せません」


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ク・ソンユンは故郷を離れ、高校サッカーでもかなりの強豪に数えられる在鉉高に入学した。
入学後、背が高くて新入生にもかかわらず主戦でゴールを守っていたところ、これを偶然見守ったセレッソ大阪スカウトのレーダー網にかかってサッカー人生の転換を迎えた。

「元々他の選手を視察しに来たことを知ってました。ところが運良く私がプレーした姿を見て、高評価をつけられました。そうして思いもしなかった日本の舞台で挑戦することになったのです」

1年のときから彼の潜在力を注視していたセレッソは結局、ク・ソンユンが3年になった2012年に正式契約を結んだ。
一部のメディアから彼が入団テストを受けて契約したと伝えられたが、事実とは違う。
セレッソは獲得前からク・ソンユンの潜在力を認め、テストなしで正式契約を結んだ。

膨らんだ夢を抱いてセレッソに着いたク・ソンユンには、バラ色の未来が予想された。
所属チームのGKコーチも練習時の彼のプレーを見て、賞賛を止めなかった。
だが試練は思ったよりも早く訪れた。
高校時代に怪我をした左膝半月板の軟骨の負傷が再発したのである。

「クラブに入団して1ヶ月で膝の負傷が再発しました。必死にリハビリをして2013年8月のタイキャンプを前に復帰しました。ところが呆れたことに、練習に出発する日に再び負傷しました」

一度ではなく二度。
それも復帰してすぐ再び訪れた負傷は、成人してもいない彼に大きな挫折をもたらした。
さらにク・ソンユンが負傷の真っ最中のときは、韓国の有望株らがJリーグで失敗を味わって1人2人国内に帰っていた時期だった。

「体も痛いが、何より精神的に難しい時期でした。私のように日本の舞台に挑戦した人が帰るニュースを見ると、焦りが押し寄せてきました」

若い年齢で始めた異国の生活で、負傷まで重なって厳しい時間を過ごした。
それでもク・ソンユンは歯を食いしばって起き上がった。
都合の合わない良心が日本を訪れ、体と心を痛めている息子のために真心を注いでいるのを見ると、一日もじっとしていられなかった。

「両親が心配する姿を見てハッと気が付きました。今振り返ると、韓国に帰らずセレッソで最後まで堪えたのが良かったようです。そういう厳しい時期があったからこそ、今の私があると思います」





長いリハビリを終えてコンディションを回復したク・ソンユンに、選択のときが訪れた。
今でもそうだが、当時もセレッソの主戦GKは代表の先輩キム・ジンヒョンだった。
セレッソがク・ソンユンの潜在力を高く評価していても、現実的にキム・ジンヒョンをベンチに座らせるのは容易ではなかった。

「ジンヒョン兄さんは、日本に来たとき私が最も頼りにした人です。私が来てすぐに負傷して大変だったとき、すごく慰めてくれました。しかしフィールドではジンヒョン兄さんの存在感があまりにも大きかった。私が試合でプレーするには、選択をしなければなりませんでした」

結局ク・ソンユンは2015年にセレッソと相互契約解除した後、当時J2所属のコンサドーレ札幌に入団した。
札幌は彼を主戦に指名し、2015シーズンのJ2栃木SCとの開幕戦に先発出場させた。
日本の舞台で3年目に味わうプロデビュー戦であり、札幌の最年少GKデビュー(20歳260日)だった。

デビューシーズンだけで33試合に出場したク・ソンユンは、その後名実ともに札幌の守門将にそびえ立った。
2016シーズンも33試合に出場、22失点で1試合当たりの最低失点率(0.67)を記録した。
優れた活躍を繰り広げたク・ソンユンは所属チームの昇格を牽引し、その年の活躍が認められてJ2ベストイレブンにも選ばれた。

「冬季練習で名古屋との練習試合に投入されたのですが、その試合で監督が気に入ったようです。冷静に言ってセレッソ時代は存在感がありませんでした。なので札幌で失敗したらサッカーを辞めるという切実さを持って試合に出ました。すべてを投じる気持ちで臨んだのが当たったようです」





所属チームでの大活躍は、自然と代表の招集につながった。
ク・ソンユンは去年、ブラジルで行われた2016リオオリンピックで3試合に先発出場し、主戦として活躍した。
その中で8強のホンジュラス戦の0-1の惜敗は濃い未練として残っている。

「オリンピックもそうだが、代表の試合は太極旗をつけてプレーするだけに、リーグの試合とは次元が違います。使命感を持ってオリンピックという大舞台を走って本当に意義深かった。ただし、思ったより早く大会を締め切って、実力をすべて見せられなかったという未練は相変わらずあります」

未練はあるが、国際舞台を経験したク・ソンユンはさらに堅固になった。
今シーズンも彼は札幌の確固たる主戦門番である。
チームの戦力が弱く、昨シーズンに比べて失点(40)は増えたが、リーグ30ラウンド基準で29試合に先発出場するほど、チームは相変わらず彼を信頼している。

現在、札幌はJ1で9勝7分け14敗で13位を記録中だ。
J1残留のためには、残り試合でできるだけ勝ち点を稼がなければならない。
失点が即チームの敗北につながりかねない席であるだけに、ク・ソンユンの肩は軽くない。

「チームが残留できるよう、私が後ろからガッチリ後押しすることが最大の目標です。代表の欲はないのかという質問もかなりありますが、意識しないつもりです。後悔せずに1試合1試合最善を尽くせば、チャンスを与えられるのではと思います」

9回の好セーブをしても、一度ミスすれば非難を受けるのがGKである。
なのでGKは難しい。
GKからサッカーを始めたク・ソンユンも大きな責任を担っている。
若い頃から日本で過酷な競争をしてきた彼なので、それはなおさらよく知っているだろう。
今日もク・ソンユンは自分の両手でチームを守るという責任感を抱いてグローブをはめる。


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