「一番の間違いは飲酒運転…自分自身がすごく哀れ」
中央SUNDAY




※一部要約

カン・スイルはソウルのカン氏の始祖である。
駐韓アメリカ軍だった父親はカン・スイルが赤ん坊のときにアメリカへ帰った。
彼は下働きで自分の世話をしていた母親が寝付くと、すぐに気を引き締めてサッカーに邁進した。
東豆川~仁川の往復6時間を電車と地下鉄で行き来して3週間プロテストを受けた。
昼にパン一個を食べて運動したこともあった。
そうしてプロサッカーの仁川ユナイテッドに練習生として入団した。

2008年2月に仁川のグアムキャンプで会ったカン・スイルは、"今シーズンに11試合で4ゴール決めて、2010南アフリカワールドカップの代表選手になる"という目標をホワイトボードに書いた。
パワーに優れ柔軟なFWに成長したカン・スイルは2015年6月、シュティーリケ関東の招集を受けて夢に描いた代表となった。
だがAマッチデビュー戦の前日、カン・スイルは"ドーピング陽性反応が出た"という通知を受けた。
ヒゲを生やすために発毛剤を塗り、それで禁止薬品の成分が検出されたのだ。
代表が滞在していたマレーシアから1人で帰国したカン・スイルの前には、さらに険しい時間が待っていた。
彼は5つの期間からそれぞれ異なる懲戒処分を受けた。
カン・スイルはスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したが、最終的にFIFAが定めた2年の資格停止を受け入れなければならなかった。
懲戒期間に飲酒運転で摘発され、「まだしっかりしてない」という声も聞かれた。

カン・スイルは現在、日本プロサッカーJ2のザスパクサツ群馬所属である。
カン・スイルは資格停止期間が終わった後、2回目の出場試合(5月17日)でゴールを決めた。
次の試合はアシスト、その次の試合はまたゴールを記録した。
そんな中でアキレス腱の負傷が訪れた。
今は練習と治療を併行している。
その渦中に"カン・スイルは所属チームの済州ユナイテッドの同意なしに移籍した"として、彼を"蕩児"扱いする記事が出た。

先月末、カン・スイルが練習している群馬県前橋を訪れた。
東京から北に2時間のところだった。
カン・スイルは「私を見に訪れたのですか?」と喜んだ。
練習を見守ってから一緒に昼食を食べた。
彼は自分の生涯を小説に書けばよく売れそうだと苦笑いした。


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─"ザスパ(The Spa)草津"は温泉で有名な草津の地元温泉の従事者が作ったチームだと言う。

「そう聞きました。"銭湯の垢すり屋が作ったチーム"という話があったが、今は全員プロ選手です。ホームも草津から前橋に移しました。財政が劣悪で好成績を出せないが、雰囲気は本当に良いです」
(このチームの1年の予算は55億ウォンくらいで、同じJ2所属の名古屋グランパス(600億ウォン)の10%にも満たない)


─どうやってここまで来ることになったのか。

「懲戒期間はまたサッカーができるという希望だけを持って耐えました。ところが入団テストをあるチームでは今日明日と連絡を先送りし、もう本当に大変だと思っていたところに群馬からオファーが来たのです。すぐ1月に荷物をまとめてこっちに来ました」


─2年休んでいたが復帰して3試合連続で攻撃ポイントを上げたが。

「それだけ切迫していたということでしょう。またサッカーができるということだけでも幸せで感謝しました。ところが一度も痛くなかった体が痛みはじめて、チームはずっと負けて…。さらに元所属チームの済州との問題がスッキリと解決されず、常に負担と不安がありました。私の目標はまた代表になることだが、私がこのような目標を持ってもいいのかと思って。自分がひっきりなしに崩れ落ちる感じがして本当に大変です」


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昼食を取って病院の治療を受けるため東京へ行く車に乗った。
運転はザスパのコーチ兼通訳のイム・ホチョルコーチがした。

「カン・スイルをめぐって多くのことがあった。これは本当に間違いだったと思うことを一つだけ話してみなさい」と言った。
即答が出た。
「飲酒(運転)です」

カン・スイルが言葉を繋いだ。
「ドーピングは本当に話にもならないことでした。(発毛剤)何かを塗って…。ところが飲酒運転は本当に間違ったことでした。それによって無知でした失敗も過ちに変わって、これまで積み重ねたすべてのことが崩れたので。最初は怖くなって友人が運転したと嘘をついたが、後でバレたらことがもっと大きくなりそうなので、現場で自分がしたと告白しました。なのに記事には"追求の末に自白した"と出ました」


─それだけ後悔することをなぜしたのか。

「客気でしょう。ドーピングが炸裂した後、プロサッカー連盟から15試合出場停止の懲戒が下り、クラブも独自の懲戒をしました。懲戒をすべて受けて復帰したのに、サッカー協会からまた6ヶ月の懲戒を下しました。ところがAFCから"どうして6ヶ月なんだ。1年は与えないと"と出てきて、FIFAからは"どうして1年なんだ。2年の停止を与えなければならない"と言いました。まったく重心を取ることができず、私がどうしてこんなにまで苦しむのかと自暴自棄の心情でした」


─これは本当に悔しいというのは何か。

「悔しいというより自分自身がすごく哀れです。何もかも持っている人が奪われたのなら悔しいだろうが、私は何もないので。何かを成し遂げた時期にすべてを失い、両親にも仕えないといけないのにまだ結婚もできないし。若くない年齢で何かをまたしてみようとあくせくしているのが哀れです」


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─苦しい時期をそれでもよく耐えた力は何か。

「両親でしょう。代表に選ばれたとき、20歳は若返ったように健康になりました。実際、私自身も代表に選ばれてワールドカップ予選に行けるというのが信じられなかったが、両親はさぞかしすごかったでしょう。その人を再び幸せにしなければならないという考えしかありませんでした」


─一時は多文化家庭の子供たちの希望だったが。

「今でもその子供たちに一番申し訳ありません。私のロールモデルがハインズ・ウォード(黒人混血のアメフトスター)で、自分もその子供たちに希望を与えたかったのに…。それでも多文化の子供たちの招待イベントは着実に開いてます。去年も80人を招待してサッカー大会とクリニックをしました。私たちの集まり(アミティエ)の選手が会費を集め、私も飛び回ってスポンサーを受けました」


車が東京都内に入った。
憎くても可愛くてもカン・スイルを覚えている人に一言と言った。
彼は「何かを悟ってから変えようとしてもすでに遅いです。ところが人々は経験してみないと変われません。私のような人間は事件事故の標本だが、私のように後悔せずに用心を重ねて生きてほしいですね」

カン・スイルが言葉を繋いだ。
「多くの期待と愛を受けた選手として、失望させて申し訳ありません。済州のクラブにも申し訳ない気持ちです。しかし私も人として生きなければならず、私がした選択に揺らぐことはあっても後悔はありません。再び立ち上がるでしょう」

カン・スイルと別れて数時間後にカトク(※カカオトーク)が来た。
一緒に撮った写真、そしてメッセージがあった。
"絶対また上がってきます。絶対です!!"


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