命を救った奇跡、オ・ジェソクが作った"希望の讃歌"
スポーツ朝鮮

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手術を成功裏に終えたオ・ジェソクと現地キャンプ場所の沖縄を訪れたパク・ソヒョンさん(中)と婚約者のキム・ボムジュンさん


※一部要約

「私の人生に希望と光を与えてくれた方です」

嵐が吹き荒れた2016年11月。
乾いた枯れ木の枝よりも痩せた体を引きずり、パク・ソヒョンさん(36)は日本行きの飛行機に身を乗せた。
元気がなかった。
当時、彼女の人生、未来は暗澹とした灰色だった。
窓の外から目に映った空や東海は、最後の"青い記憶"になりそうだった。
パク・ソヒョンさんは珍しい難病"肺高血圧症"の患者だった。

2~3年、長くて4~5年と言われた。
パク・ソヒョンさんはちょうどその時期だった。
藁をも掴まなければならなかった。
"諦めるな"という周囲の声すら力が抜けたとき。
胸に残っていた最後の"希望"が"絶望"に変わっていった。
「どうしよう・・・。本当に死が迫ってきた」

自暴自棄の状態で大阪国立循環器病院に入院した。
5回の手術を受ける予定だった。
最初の手術を前に、担当医が「今日一日の通訳をする韓国人が一人来る」と言った。
ただの学生くらいに思っていた。

パクさんの前に現れた通訳はオ・ジェソク(27、ガンバ大阪)だった。

「ありがたい留学生だと思った。サッカー選手なのも知らず、本人も明かさなかった」

縁の始まりだった。

サッカーで忙しいオ・ジェソクが、どうして病院まで来ることになったのか。
偶然だった。

担当医と一緒になることがあった。
常連の焼肉屋が同じだった。
パク・ソヒョンさんの事情は担当医の口から焼肉屋の店長の声に乗り、オ・ジェソクの心を揺さぶった。


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患者が退屈かと思いオ・ジェソクが韓国の放送を入れて渡したタブレットPC


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病魔と戦うには食事が基本である。
日本食が口に合わないかと思って韓国料理も空輸した。
オ・ジェソクは自分の母親に電話をかけ、韓国料理の空輸を頼んだ。
家族よりももっと真心がこもっていた。
パク・ソヒョンさんは「何だか、最初から次元の違う"善良さ"を感じた。境地が違った。生まれて初めて見た有名選手が、自分を紹介することもなく、自分の仕事みたいに私のすべてのことを用意した」と言った。

切実さが天に届いた。
オ・ジェソクを通じて絶望から希望を見つけたパク・ソヒョンさんの状態は、急速に好転した。
パク・ソヒョンさんは「正常な人の心電図の数値は15~18くらいである。日本に来たとき、私は600だった。血管の90%以上が詰まっていると言われた。ところが5回の手術をすべて受け、今は30くらいに下がった」と言った。
続けて「オ・ジェソク選手はどの言葉でどう表現すべきかわからない。私の人生の希望を取り戻してくれた。そして光があることを再び教えてくれた方」と言った。
いつの間にか声が湿っていた。

奇跡という言葉以外に適切な表現がない。
この疾患で手術を受けた患者は、短い距離をゆっくりと歩くことでも祝福である。
パク・ソヒョンさんはゆっくり走ることができた。
空前絶後のことだった。

パク・ソヒョンさんは新たな人生を得た。
彼女は来年、2~3回の仕上げの手術を受けた後、8年交際した婚約者と夫婦の契りを結ぶ。
オ・ジェソクは"二人"の生、未来のある家庭を救った。

当のオ・ジェソクは淡々としていた。
すべきことをしただけだという。
彼は「回復して本当に嬉しい。苦しくて大変な方々に、微力ではあるが力になれて良かった。私だけでなく、多くの方々が韓国人患者のために腕まくりをしているのを見てジーンとした」として、「ソヒョン姉さんの第2の人生、幸福で良いことだけでいっぱいになることを心より願っている」と言った。


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