[単独] イ・ジョンス、水原と"電撃別離"・・・「すべてのことが私のせいという自己恥辱感」
日刊スポーツ




※一部要約

イ・ジョンスが水原三星と"電撃別離"を決心した。

"ベテラン"CBのイ・ジョンスは2006年から2008年まで水原でプレーし、2008シーズンに優勝を導くなど、水原の全盛期をともに過ごした。
2009年日本Jリーグの京都サンガに去ってから、鹿島アントラーズを経て2010年にカタールスターリーグのアル・サッドに移籍した。
アル・サッドの最古参として良い姿を見せた彼は、昨シーズンに現役最後の炎を燃やす覚悟で水原行きを決めた。

実家チームへの懐かしさと水原への愛情が作った選択だった。
2016シーズンにそうして望んで水原の青いユニフォームを再び着たイ・ジョンスは、FAカップ優勝の主役として活躍するなど、所期の成果を上げた。

だが2017シーズンに"最悪の状況"にぶつかった。

水原はKリーグクラシック6ラウンドが終わった現在、1勝もおさめられないチームに転落した。
怒った水原ファンがソ・ジョンウォン監督の退陣を叫ぶ状況まで起きた。

イ・ジョンスは17日、日刊スポーツに「これまで水原と私を応援してきたサポーターズに感謝しつつも、申し訳なさをお伝えする。光州戦が終わってから水原を去ることを決心した」と明かした。

イ・ジョンスは「水原は長く愛してきたチームだ。今でも私の胸中には水原が最も大きく残っている」として、「だがチームの成績が良くない。すべてのことが私のせいだという気がする。自己恥辱感に捕らわれ、一日一日があまりにも気が重かった」と別れの理由を打ち明けた。

性急な決断ではない。
悩みに悩んで下した結論である。

イ・ジョンスは「水原のために私は何をすべきかじっくりと考えた。反転のためにすべての努力もしてみた。だが状況は好転しなかった」として、「私が水原に好影響を与えられないと自ら判断を下した。これ以上、今の席は無意味であると感じた」と吐露した。

水原を去るイ・ジョンスは当分、どのような計画もない。
確かなのはこの先Kリーグで選手生活をしないという点である。
水原以外のKリーグは、彼にとって意味がない。
今回の選択は水原と別れると同時に、Kリーグとも別れを告げたのだ。


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[Kリーグ] イ・ジョンス、引退を決心・・・水原三星「会って話をしてみる」
NEWSIS




※一部要約

クラブはイ・ジョンスと話をして解決するという立場だが、選手が気持ちを曲げなければ引退の手順に入るものとみられる。

クラブ関係者は「最近のチーム成績が良くない部分に責任を痛感している。選手本人は体の状態も良くない状況で、若い選手にチャンスを与える気持ちが大きい状況で、このような決心をしたようだ」として、「まだ契約期間が残っているので、話を通じて選手の声を聞いてみる」と語った。

イ・ジョンスは2002年に安養LG(現FCソウル)でプロに入門し、2004~2005年まで仁川ユナイテッドでプレーして2006年に水原へ移籍した。

昨シーズンは27試合に出場して3ゴールを決め、今シーズンは小さな負傷などが理由で3試合しか出場できていない。
Kリーグの通算記録は168試合で9ゴール4アシストを上げている。




"引退宣言"イ・ジョンス、水原「ビール缶も飛んできた」・・・話をする
OSEN




※一部要約

水原のクラブ関係者は「まず選手の立場を聞いていないのは事実。だが問題は単に選手だけにあるのではない。熱心にしようとしている中で、ことが上手く解決できなくて負担が大きくなってしまった」として、「そういう瞬間にビール缶が飛んで、悪口が出てきて負担が大きくなったようだ。その状況で様々な困難が絡まり、引退を決心したようだ」と語った。

光州戦には出場しなかったが、ファンに挨拶するために出てきたイ・ジョンスは、深刻な人格冒涜に遭ったことがわかった。
本格的に露見したわけではないが、ビール缶まで飛んできたことが明らかとなった。
したがって、水原で選手生活の有終の美を飾ろうとしていたイ・ジョンスの計画は、早まる可能性が高くなった。

水原の関係者は「すべてのことは会って話をしてみないとわからない。決まっていることはない。選手の気持ちを変えるよりは、一旦話を聞いてみなければならないだろう」と強調した。



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