[人サイド] 15年目のキム・ジンギュが語る昇格、楽しみ、そして妻
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※一部要約

あまり知られていないがキム・ジンギュはこの2年間で多くのことを経験した。
2016シーズンを前にFCソウルと別れたときは引退を考慮したりもした。
他チームから来た良いオファーも断ったほど心が弱っていた。
そのときキム・ジンギュを安心させた人物が妻のキム・ヒョヒさん(当時ガールフレンド)だった。
妻は「いくら貰ったとしても好きなことをするのが良いのではないか」とキム・ジンギュを再起させた。
パタヤ(タイ)とファジアーノ岡山(日本)で両極端の生活をしたキム・ジンギュは、2017シーズンを前に苦心の末に大田のユニフォームを着た。


─去年12月に結婚した。既婚者になってキャンプに来た。

そう。ワイフを家に置いてこなければならないと。それは本当にそうだった。子供を早く作らなければならないという気がした。どうしても一人より二人のほうが良いんじゃないだろうか?ワイフは孤独なことが多い。


─大田移籍は意外だった。岡山で順調に過ごしていたのではないか?

実際日本にまた行こうとしていた。だがイ・ヨンイク監督様が電話してきて"やってみよう"とおっしゃった。それで"はい"と言った。生きていて義理のようなことを守らないようにしていたが、約束を破ることはできなかった。韓国に戻ったら監督様と一緒にすることを約束した。韓国でも私を望むチームはあった。だが大田よりも後に来たオファーだった。(オファーしたチームが)クラシックだったとしても行くのは・・・。


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─パタヤと岡山でプレー。両チームとも良かったのか?

岡山は良かった。パタヤは(※引退を引き止めた)ガールフレンドのために急に移ったチームである。私はシーズン中の生活パターンは決めてある。そのパターンが外れたら不安に思うタイプだ。パタヤではそれがなかった。選手もプロマインドがちょっと低かった。運動の時間も破ることが多かった。ワイフも試合を見て"ここにいては駄目なようだ"と言っていた。スポーツをしていた人ではないが、外から3年以上サッカーを見ているとよくわかる部分もある。環境があまり良くないので、サッカーができる環境を探したほうが良いと言った。そんな中で岡山に移籍した。岡山に行ったのは本当に正しかったようだ。型のあるチームに行った。そのときの監督様にサッカーをよく習った。基本的な部分を再び学び、多くのことを感じた。私は守備をするときゾーンを使うスタイルだが、マンツーマンもしっかりと学んだ。選手とも親しく過ごした。お茶をしてゴルフも一緒に行った。本当に楽しかった。


─Kリーグでは負担が大きいのでその楽しさがより大きく見えたのではないだろうか?

ソウルでは成績にすべてのことが合わされていた。ソウルでは1試合の負けで連敗したかのような雰囲気になった。それと話せないが、(主将として)考えることが多かった。





─ソウルを去ってパタヤと岡山を経て、再び大田に来た。負担はかなり減ったか?

まだちょっとある。そのときだけはなくても、今はチームが成績を出さなければならない。チームには経験豊富な選手も多くない。古参が一つにして選手を率いなければならない。チャレンジの試合を見ると守備の安定が最重要だという気がする。攻撃はどうにかゴールを決めることができる。守備さえ安定させたら勝算はあるだろう。


─Kリーグに復帰してすぐキャプテンマークを再び付けた。

そうなった(笑)。監督様はストレスを与えない方だ。大きな枠組みだけを作って"お前たちがやってみろ。一緒に解決してみろ"のようにおっしゃる方である。プロ15年目だがこんな監督様は初めてだ。監督1年目なのに余裕がある。どんな監督でも1年目のときはこのようにできない。成績の圧迫を受けざるを得ないのに、それを選手に見せない。ご自身が抱えて行こうとしている。"選手は試合をしなければならない。練習だけをしなければならない"という哲学が強い。


─だから楽しくサッカーをしているのか?

楽しい。監督がそういう雰囲気を作っている。練習そのものが楽しい。練習のときだけギッとしている。他の部分はプロの扱いをしてくれる。選手の体は選手が一番よくわかっているということだ。実際にもそうである。



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