ヨーロッパの舞台を踏んだキム・ジェウ「アジア出身の先入観を破る自信を得た」
スポーツソウル




※一部要約

"シン・テヨン号"のDFであるキム・ジェウ(19・SVホルン)はサッカー人生で忘れられない時間を過ごしている。
彼は去年1月、スポーツソウルの高校有望株企画シリーズの"明日に向かって走れ"で6人目の主人公として扱われた選手である。
キム・ジェウは去年1月にはU-20代表チーム乗船とヨーロッパ進出を漠然とした夢だけに考えていた。
だがわずか1年で彼の望みは現実になった。
彼は高校生としては異例の去年8月にオーストリア2部リーグのホルンに入団してヨーロッパの舞台を踏み、去年12月と先月にU-20代表チームの済州島とポルトガルのキャンプに合流して太極マークを付けた。
10代で夢を叶えたキム・ジェウとU-20代表チームのキャンプ地であるポルトガル・トロイアで会い、彼のヨーロッパ生活を尋ねてみた。

キム・ジェウのヨーロッパ進出は突然実現した。
去年8月にホルンの関係者が韓国を訪れてキム・ジェウの活躍像を直接見守ってから入団オファーをし、彼はホルンのラブコールを聞いて2週でオーストリアに発った。
彼は「入団オファーを受けてかなり悩んだ。だがどうせ行かなければならない道なら早くやってみようという考えでオーストリア行きを決めた。急に事が進んで友人にちゃんと挨拶できずに行ったくらいだった」と記憶を思い出した。
去年8月にチームに合流したキム・ジェウは、10月に就労ビザが発行されたことで翌日にデビュー戦を行った。
高校でFWからDFにポジションを転向した彼は、ずっとCBの選手としてやってきた。
だがホルンではSBに変身した。
彼は190センチ台の長身なのでSBへの転向は異彩を放った。
彼は「チームに合流したとき、監督がSBへの転向を希望した。新たな挑戦をしてみたかった」として、「私たちのチームの両SBは190センチ台だ。CBの中には207センチの同僚もいる」と言って笑った。


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キム・ジェウはホルン入団後2ヶ月間で8試合を消化して、初めてのヨーロッパの舞台で軟着陸に成功した。
最大の所得はより高いところへ行くことができるという自信を得たことだ。
彼は「試合をやってみて確信した。1部リーグの選手ともやってみたが、十分やってみるだけのことはあった。アジアのDFは弱いという先入観を破れるくらいに自信ができた」と語った。

ホームのホルンは人口3000人ほどの小さな村である。
韓国人を見つけるのが難しい地域だ。
キム・ジェウは若い年齢で不慣れなヨーロッパで一人暮らしをしているが、それでも勇ましく乗り越えている。
キム・ジェウは「私はチームの末っ子だ。監督も私に感心するほどである。同僚があれこれ気を使ってくれて上手く過ごしている」としつつも、「早くチームに溶け込んではいるが、それでも人恋しいのが最も難しい点である。気楽に些細な話まで打ち明けられる友人が必要だという考えをよくしている」と語った。
ホルンは日本のサッカースター本田圭佑がクラブオーナーのチームである。
オーストリア進出後に本田と会うこともあった。
彼は「本田はホルンに長くいてほしいと言いつつ、良い成果を出してほしいという話をした」と伝えた。
ホルンはクラブの特性上、日本人のクラブ職員が多く、日本人選手もチーム内で5人になる。
キム・ジェウにとっては日本人が多いクラブの特徴はメリットになっている。
彼は「日本の職員が多いからか、これまで人種差別を感じたことがたった一度もない。ありがたく思っている部分」と言った。

キム・ジェウがヨーロッパ進出の夢を育むことになった決定的なキッカケは、2015年12月の永登浦工高のドイツキャンプだった。
当時のキャンプは先輩のパク・インヒョクがドイツ・ホッフェンハイムと契約して発生した移籍補償金で推進された。
このとき初めてヨーロッパサッカーを経験したキム・ジェウは夢を育んでいくことになった。
キム・ジェウも自分と同じ道を歩んでいる後輩のために、契約金の一部である5000万ウォンを永登浦工高に寄付する度量の大きな決定を下したりもした。
彼は「私は誰が見ても本当にサッカーが下手な選手だった。そういうことをすべて無視して地道に自分が進むべき道だけをしっかり走ってきた。着実に努力したことがヨーロッパ進出の最大の力となった」と強調した。


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