キム・ジンス、「私も優勝セレモニーをする」
OSEN




※一部要約

今シーズン全北現代のユニフォームを着ることになったキム・ジンスが優勝への強い欲を見せた。

キム・ジンスは満25歳に過ぎないが経験豊富だ。
日本Jリーグとドイツ・ブンデスリーガでプレーして様々な経験をした。
そのため全北はキム・ジンス獲得を躊躇しなかった。
ホッフェンハイムで立場が狭くなって1年余りまともにプレーできなかったにもかかわらず、全北がキム・ジンスを選んだ理由である。

全北のユニフォームを着ることになったキム・ジンスは優勝への強い欲を見せた。
彼は「全北に来たので最善を尽くして準備し、優勝できるよう努力するつもりだ。全北はとても魅力的なチームなので私は選んだ。色々と計算したことはなかった」と語った。

キム・ジンスは2017年の個人目標も優勝に設定した。
彼は「全北は優勝できるチームだ。全北が去年優勝してセレモニーをするのを見た。私もチームが優勝したらセレモニーをする」と目標を明かした。

キム・ジンスは今年、背番号22が刻まれたユニフォームを着ることになった。
22番はキム・ジンスが選んだ番号である。

これについてキム・ジンスは「2014ブラジルワールドカップ23人のリストに入ったときの背番号が22だった」として、「本当に切実だったし、ワールドカップに出るため熱心にやった記憶が浮かんできた。全北でもそのように切実にするつもりなので22番を選ぶことになった」と答えた。


スポンサーリンク
楽天





独3チームのオファーを断ったキム・ジンス、「全北選択、後悔はない」
OSEN




※一部要約

「全北現代を選んだことについて後悔はない」

キム・ジンスは今年Kリーグの舞台にデビューする。
2012年に日本Jリーグのアルビレックス新潟に入団してプロの舞台に足を踏み入れたキム・ジンスは、2014年7月にドイツ・ブンデスリーガのホッフェンハイムに移籍して2シーズンを過ごした。
ホッフェンハイムの初期に印象的な競技力を披露したキム・ジンスだったが、最近1年間は出場機会を得られず冬の移籍市場で全北に移籍した。

ヨーロッパのビッグリーグで現役でプレーしている選手がKリーグに移籍するのは容易ではない選択である。
ヨーロッパの舞台でずっとプレーしたいという欲があるのは当然のことだからだ。
キム・ジンスは否定しなかった。
彼は「多くの方々が私に期待していたのは事実だ。なので選択するのは難しかった。だがもう私の人生で全北が需要なチームになったというのが事実である」と語った。

実はキム・ジンスに移籍のオファーをしたヨーロッパのクラブは多数あった。
キム・ジンス側の関係者によると、ブンデスリーガだけで3クラブが移籍をオファーした。
これについてキム・ジンスは「事実だ。家族と個人の目標など、すべての部分についてどういう状況なのかを判断し、全北を選んだ。全北を選んだことについて後悔はない。私が行かないと言ったのだ」と答えた。

キム・ジンスは残念な思いを残した過去に縛られてなかった。
彼は「経験をしたと思う。厳しかったが大きな経験をした」として、「ヨーロッパの舞台はまた行きたいところだ。誰にとってもそうである。それから韓国に来たことが失敗だと言われても、私はそうは考えてない。韓国でプレーするのは初めてだ。私にとっては挑戦である。最善を尽くす」と覚悟を固めた。

それではキム・ジンスがヨーロッパのクラブのオファーを振り払って全北を選んだ大きな理由は何なのか。
キム・ジンスは故郷と全北のチェ・ガンヒ監督に言及した。
彼は「10歳くらいまで全州に住んでいた。故郷のチームという事実と監督様が私を望んでいると聞いて全北を選んだ。全北が望んでいるということ自体が光栄である。もちろん決定的だったのは自分の気持ちだっただろう。(ドイツで)大変じゃなかったと言えば嘘である。大変な部分はあった」と明かした。

ブンデスリーガから全北に来たが、主戦競争は避けられない。
全北の左SBには正規リーグ3回優勝とACL1回優勝に力を加えたパク・ウォンジェがいる。
キム・ジンスも同意した。
彼は「全北のスカッドは厚くてレベルが高いと聞いている。自分でも見た。ウォンジェ兄さんとの競争は当たり前だ。善意の競争を通じて勝つために努力するだろう」と語った。


【関連記事】
ホッフェンハイムSBキム・ジンスの全北現代移籍が決定「Kリーグで最初のチームは全北だと思っていた」



Page Top

ブログパーツ アクセスランキング
    Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...