[インタビュー] キム・ミヌの日本での7年そして水原での1年
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※一部要約

「キム・ミヌ選手が私たちのチームにいたとき、サガン鳥栖はJ2リーグにいた。厳しい時期を共に経験した。キム・ミヌ選手と共にサガン鳥栖も成功した。キム・ミヌはサガン鳥栖ファンから最も多くの愛を受けた選手だった」(竹原稔サガン鳥栖代表理事)

12日午後、京畿道華城にある水原三星のクラブハウスで、2017シーズンの水原三星の初めてのメディアデイ行事があった。
9日に国内で招集練習を始めた水原は、13日のスペイン・マラガ合宿に発つ前にソ・ジョンオン監督と新任コーチングスタッフ、そしてイ・ジョクセンをはじめとする主要選手のインタビューの席を用意した。

2010年に日本クラブのサガン鳥栖でプロキャリアを始め、去年までの7年間でJリーグとサガン鳥栖だけでプレーしていたキム・ミヌにとっては、水原入団後の初イベントはなおさら気楽だっただろう。
この席には自分の前所属チームの代表理事と職員がいたためである。

この日、水原は22日に予定されている川崎フロンターレとの"2017AFCチャンピオンズリーグ"初戦を控えた18日に、サガン鳥栖とのプレシーズン親善試合で最後の手入れを行うことで合意した。
水原はキム・ミヌ獲得でサガン鳥栖と縁を結び、今回のプレシーズンマッチ以降も、ユースの段階から様々な分野で交流することを約束した。

シュティーリケ監督就任後の最初のAマッチで得点をした主人公のキム・ミヌは、軍の問題でサガン鳥栖を去りKリーグの舞台に挑戦することになった。
キム・ミヌは幼い頃から夢のチームだった水原に来たという点で、馴染みのサガン鳥栖を去った惜しさを消し、新たな挑戦に出る。
水原での挑戦は"2015東アジアカップ"以降、招集を受けられずにいる代表チーム復帰の門を開ける機会にすることもできる。


─デビュー後、7年を日本で過ごした。Kリーグは初めての挑戦である。

まずこのような水原三星という良いクラブに入ることになって光栄だ。幼い頃から好きなチームである。ソ・ジョンウォン監督様も青少年代表チームで共にした。互いによく知っている。そうした部分も水原に来ることになった大きな理由だ。大いに役立つだろう。期待でワクワクしている。去年のFAカップ決勝戦をインターネットで見た。(Kリーグについて)周りの人たちにも尋ねた。上手く合いそうだと言っていた。とりあえずその部分は私が今からやること次第である。早く適応できるよう努力しなければならないだろう。


─日本で安定して上手くやっていたが、国内ファンには活躍があまり知られてない。

日本で活躍していて、できるだけ大韓民国の選手として恥ずかしくないようにすごく努力した。自分なりに一生懸命やった。サガン鳥栖からも良い待遇をして、尊重していた。なのでこのような席まで来られたと思っている。7年間の日本生活はやりがいがあった。


─涙を流してサガン鳥栖ファンと別れた。

幸せな選手だということを再び感じた席だった。惜しさが残る。それでもキム・ミヌという選手を日本で良いイメージとして残してくることができたという点で、満ち足りたと思っている。


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─日本で7年過ごして成長した部分があるなら?

自分のことを判断するのは恥ずかしいが、周りに尋ねると若い頃は猪突的なプレーしかしてなかったというが、最近はチームメイトをどう活用するべきか、そういう部分で上達したという話を聞いた。


─以前に他チームのオファーもあったはずだが、サガン鳥栖に7年いた理由は?

オファーは一度あった。だがサガン鳥栖は私を尊重し、待遇した。サガン鳥栖で一度優勝したいというのが目標だった。私が成長するためにはトロフィーを一度は持ち上げなければと思った。なのでずっと残った。


─去年、外国人として主将を引き受けた。Jリーグでは歴代3人目(ホン・ミョンボ、チョン・ウヨン、キム・ミヌ)に主将を引き受けた韓国選手だった。

サッカーに対するストレスはなかった。ただ主将は重要な地位で、前に出て話さなければならない。日本では特にそういうのが多い。どうやって話すのかが一番ストレスだった。最初は心配が多かった。チームメイトやコーチングスタッフが後ろでよく助けてくれた。サッカー人生をしていて良い経験をしたようだ。


─日本に行く前、ヨーロッパ進出が失敗に終わっていた。

オランダのチーム(PSVアイントホーフェン)から来いと言われたが、上手く合わなかった。監督様に申し上げることなく行ったのも私の失敗で、今でも申し訳ないと思っている。すべての部分が上手く合わず、食い違ったようだ。(その後)なぜJ2リーグに行くのかという話もかなりあった。日本でもっと結果を出さなければならない、何かを示さなければならないという圧迫感が自分でも知らないうちに多かったようだ。そういう部分がサガン鳥栖1年目で大変な部分だった。


─7年もプレーしたが、若い年齢で初めてのプロ生活を日本でしていて難しい点が多かっただろう。

最初の1年間は言葉も練習もすべての面で難しかった。ユン・ジョンファン監督様にかなり助けられたが、それでも1年目はすごく大変だった。日本は近いところだが、傭兵という負担もあった。結局オーバートレーニングのせいで甲状腺亢進症にかかった。その当時は"選手を諦めなければならないのか"という気がするほど厳しかった。私がなぜ苦しいのかわからなかった。シーズン後に病院へ行って甲状腺亢進症だということを知った。そのときは運動場を一周も走れなかった。なぜそうなのかわからないので、ストレスが多かった。周りに韓国人の先輩もいたが、話せない部分が多かった。一人でかなり病んでいた。


─どうやって克服したのか?

まだ若くこれからしなければならないことがさらに多いと考え、ここで落ちてはいけないという考えで歯を食いしばった。シーズン後の休息期間に病院へ行った。現地練習も休んで安定を求めた。私はまだ若くて治療が早かったようだ。その峠を越えてより良い選手に成長したみたいだ。2年経って生活が楽になり、選手との生活も上手くいき、プレーも楽になってもうちょっと自信を持つようになった。


─日本選手との関係はどうだったのか?

教師もなしに一人で日本語の勉強をした。宿舎生活をしていて、隣の部屋の兄さんたちを訪ねて教えてもらうこともあった。スターバックスにも一緒に行って勉強したり。今でもサガン鳥栖にいる22番の池田圭選手、この兄さんが外国人選手をよく世話してくれた。先にご飯も食べようと言ってくれて。私が勉強して、最も多く学んだ兄さんだ。かなり訪ねて、スターバックスにも一緒にたくさん行った兄さんである。かなり支えとなり、助けを多く受けた兄さんだ。そういう兄さんたちと親しくなって話もしながら(日本生活が)良くなった。


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─鳥栖は日本の都市の中で馴染みの薄いところである。どんな街なのか?

本当に田舎だ。車でまわれば一時間もかからずにすべて見て回れる。鳥栖の人々がよく世話をして歓迎してくれた。都市のサッカーチームが一つなので、応援をすごくしてくれて、後ろで助けてくれる方が多かった。サッカーをしやすい街だった。福岡に車に乗って30分なのでよく行っていた。


─外国生活がサッカー以外で人生に残した意味は?

日本で7年間生活し、日本語を学ぶことができたのは、サッカーだけでなく人生に大切なことである。金に変えられないことを多く受けたと思う。今後も日本語の勉強はもっとしたい。忘れないようにしたい。悔やまれる部分はもうちょっと色んな街を、時間のあるときに旅行したかったという気持ちである。それができずとても残念だ。もっと多くのところを見たかったという思いがあったが、そういう後悔が残っている。


─サガン鳥栖で特に韓国人選手が多かった理由は?

代表理事様が韓国選手を好んでいた。日本選手と違う韓国選手の特徴を好んでいた。サガン鳥栖はJリーグの他チームとは違っていた。より多く走り、ロングボールも多く、フィジカル的にも強かった。日本のチームの中でそういうチームは私たちしかいなかった。そういう部分が上手く通じたようだ。なので韓国に上手く適応できると考え、信じている。


─昨シーズンは初めてヨーロッパの監督と働いた。イタリア出身のフィッカデンティ監督としていて新しかった点は?

日本でプロデビューしてからこれまで左サイドのラインだけでプレーしていた。イタリアの監督様が来て、右サイドのMFをした。また、主将を初めてさせてくれた。監督様がイタリアの方だったので細かく指導してくれた。守備ラインや体の姿勢、ポジションなど一つ一つすべて指導した。そういう部分が大きく違っていた。戦術練習もかなりたくさんした。最初は良くなかったが、後半期に結果が出始めた。


─水原に来て周りから助言を受けたことはあるのか?


(オ・)ジェソクがまず水原に行ったら応援歌から覚えろと。そういう話をしていた。私が応援歌を間違って歌うから早く覚えておけと(笑)。それでも上手く適応して上手く合うはずだと言っていた。なので安心した。結局は私がどうするかにかかっているので努力しなければならない。(キム・)ボギョンは私が水原に来たので"怖いな~"ということを言っていた。私はただ笑って過ごした。


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─日本ではファンサービスが良いことで有名だった。

ファンサービスはいつでもOKだ。しかしそれよりも選手は競技場内で見せなければならない。競技場でできるだけ水原三星が勝てるように努力するのが私のするべき仕事である。そういう部分をまず考えて集中している。


─サガン鳥栖とすぐにプレシーズンで対決する。移籍してすぐサガン鳥栖へ他チームのユニフォームを着て行くことになった。

意義深いだろう。良いことであるようだが、他のユニフォームを着て行くのは妙な気持ちのようだ。こういう機会を作っていただいた水原三星とサガン鳥栖のクラブの方々に感謝を伝えたい。できるだけ良い試合をできるよう準備しなければならないだろう。


─水原は糊塗シーズンACLに出る。様々な面で期待が大きい状況である。目標は?

優勝だ。サガン鳥栖でも数年前から優勝したいという思いが続いていた。個人的にも努力したが一人の考えではできないのがサッカーである。水原はもっと優勝しなければならないし、できるチームだと思う。優勝のチャンスはサガン鳥栖より多いだろう。もちろん簡単ではないだろうが、その目標のためできるだけしっかり準備する。


─個人的な目標は?

個人的な目標も優勝にしたい。個人の記録よりチームで優勝することが切実だ。どんな大会でもしたいが、できるならリーグ優勝がさらに良いだろう。


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─最初の公式戦が川崎とのACLの試合だ。水原の選手の中では誰よりも馴染みの相手だろう。

今は監督が変わってどうなるかわからないが、去年までは本当にパスの多いチーム、短く短く相手陣営まで持っていけるチーム、パスや技術的にレベルの高いチームである。難しいチームだ。(Q.昨シーズンはゴールを味わったチームじゃないか?)そう。ゴールを決めた。私個人はこのチームと良い記憶が多い。怖さや恐れはない。かなり主導権を握って試合をするチームなので難しいこともある。たくさん走り、相手より強くやれば十分勝つことができる。


─代表チームに戻って2018ロシアワールドカップに出たいという夢もないか?

チャンスがあれば行きたいが、ひとまず選手は所得チームで上手くやって結果を出さなければならない。このチームで見せるために努力するのが私のすべきことだ。それをしていれば代表チームという結果もついてくる。


─水原ファンに覚悟を伝えるなら?

初めてKリーグでプレーすることになった。みなさんの応援がすごく必要である。その応援に応えられるよう競技場内で最善を尽くす。よろしくお願いします。


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