"キャプテン"キム・ミヌ「初めての腕章・・・"ハッピーエンド"を夢見て」
蹴球ジャーナル




※一部要約

サガン鳥栖が2016年、グラウンドで選手を導く新たな"キャプテン"を発表した。
主人公は2010年に鳥栖でプロデビュー、7回目のシーズンを迎えた韓国人選手キム・ミヌ。
2001年の柏レイソルのホン・ミョンボ、去年のヴィッセル神戸のチョン・ウヨンに続き、歴代3人目のJリーグ韓国人主将が誕生した瞬間だった。


─おめでとう。主将任命の便りを初めて聞いたのはいつか?

17日の新任指令塔マッシモ・フィッカデンティ監督様との選手団顔合わせと初練習の日だった。
監督様が私を個別に呼び、新シーズンの主将を引き受けないかと尋ねた。
少し悩んでから"する"と言った。
選手生活をしていて、必ず一回は主将をやってみたかった。
なので去年のA代表チーム招集のとき、(チョン・)ウヨンに主将の生活はどうなのかと聞いたりもしたし。
もちろん当時も、私がウヨンに続いてJリーグ韓国人主将になるとはまったく考えられなかった。


─以前に主将経験はなかったのか?

そうだ。
学生時代も正式に主将はしたことない。
実際、多くの人の前で話すことには慣れてない。
日本で7年暮らしてるのでコミュニケーションには問題がない。
だが人前に立ったら韓国語でも吃る方で・・・(笑)。


─どんな主将になりたいか?

代表チームの前・現職キャプテンのパク・チソン選手やキ・ソンヨン選手のように、その名前だけでも重みのある主将になりたい。
両選手はどちらも実力で認められているので、同じ言葉でもより大きな影響力を持つ。
フィッカデンティ監督様は「目つきだけでもチームの雰囲気を変えられる主将にならなければならない」と助言された。
あーだこーだという言葉ではなく、行動によってグラウンド内外で模範となるリーダーになる。


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─同僚の反応は?

(チェ)・ソングン、(ペク・)ソンドン、(チェ・)ソングンが私をからかうのに忙しい。
いつも"キム主将"、"キムキャプテン"とつけてふざけてる。
日本人選手も加勢(?)した。
谷口博之は私より5歳上だが、わざわざ"ミヌさん"と尊称を使って尊敬語にする。
練習後も「オツカレサマデシタ」と誇張した挨拶をするので、私もまるで自分が先輩のように肩を叩いてやり返した(笑)。


─鳥栖のチームの雰囲気は本当に良さそうだ。

正しい。
本当に家族みたいな雰囲気だ。
ベテラン選手もみんな優しく、若い選手と満遍なく上手くやっている。
2012年から去年まで藤田直之が主将を引き受けていたときも、同僚の助けをかなり受けていた。
鳥栖は主将が率先して単独でチームを導いていくというより、選手団全員が力を合わせて進むという感じだ。
今年も選手がたくさん助けてくれると信じている。


─そんなチームでJリーグ通算200試合出場(現在J1、J2合わせて183試合出場)を控えている。

もうそんなに多くの試合に出場してるのか。
7年という時間はふわっと過ぎていった。
その間に多くのことがあった。
背番号(10番)を除いてすべてのことが全部変わったみたいだ。
チームは2011年にクラブ初のJ1昇格を達成したし、翌年から5シーズンも1部リーグに残って活躍中である。
個人的にも選手団の末っ子から中堅になった。
年齢ではちょうど中間だが、鳥栖のキャリアでは全体の三指に入った。
嬉しいことも、残念なことも多かった。


─今年が馴染みのチーム鳥栖での最後の時間になる可能性が高いのだが(軍未了のキム・ミヌは、尚武に入隊するため来年Kリーグでの活躍が必要である)。

様々な面で特別で意味のある一年になりそうだ。
まず去年の物足りなさを掃かなければならない。
チームが不振(リーグ12位)だったし、自分も攻撃ポイント(33試合2ゴール)があまりにも少なかった。
シーズン終盤の負傷で手術まで受けたし・・・。
まずは今シーズンの開幕戦出撃を目標に、熱心にリハビリ中だ。
無事に復帰し、攻撃ポイント10以上を記録して鳥栖の初優勝をともにしたい。
最後の瞬間、笑って別れられることを願っている。


─A代表チームの夢は?

選手なら誰でも太極マークを切実に望んでいる。
自分だけのスタイルを守り、堂々と代表チームの一員になりたい。
所属チームで良い姿を見せることが、代表チームに入る最速の道だと思う。





サガン鳥栖は2014年のシーズン中にユン・ジョンファン監督を更迭し、翌年に森下仁志監督を選任した。
だがユン監督在任期間のような好成績を出せなかった。
鳥栖は去年、リーグ前後半期合わせて12位に終わり、日王杯も8強に留まった。
結局森下監督は1年で指揮棒を下ろした。
その後鳥栖はドイツの名将フェリックス・マガト監督らと接触した。

最終的な選択はマッシモ・フィッカデンティ監督だった。
最近の2年間、FC東京で指揮棒を取ったフィッカデンティ監督は去年、東京の歴代最高勝ち点で前後半期合わせて4位を記録し、指導力を証明した。
東京は2016ACL進出権も取った。

キム・ミヌは17日の選手顔合わせで、フィッカデンティ監督と挨拶を交わした。
キム・ミヌは「監督様はまるで映画俳優のようだった。ちょっと悪党スタイル?」と笑い、第一印象を伝えた。
続けて「韓国人のユン・ジョンファン監督様と日本人の森下仁志監督様と過ごし、初めてイタリアの監督様と一緒にすることになったが、多くのことを学びたい」と言った。

疲労骨折の手術後、リハビリ中のキム・ミヌは「監督様は練習場だけでなくリハビリセンターにまで訪れ、わざわざ選手と話して親しくなろうと努力していた」として、指令塔の細やかな配慮に頭を下げた。
続けて「新たな監督様とともに、必ずサガン鳥栖初の優勝カップとACLチケットを取る」と誓った。



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