[インタビュー] キム・スンギュ「日本移籍、挑戦の終わりではなく始まり」」
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※一部要約

10年間着たユニフォームを脱いで別のユニフォームを着るというのは容易なことではない。
主戦競争から押し出されたわけではなく、自分の選択なら尚更そうである。
現代中学と現代高校を経て蔚山現代だけで10年プレーしたキム・スンギュは、2016シーズンを前にJリーグのヴィッセル神戸に移籍した。

キム・スンギュは韓国年齢で27歳。
馴染みのものを捨てて挑戦を選んだ。
昨シーズンのJリーグで13位に留まった神戸は、2016シーズンに結果を出すためキム・スンギュを獲得しようとした。
これはキム・スンギュの風と合致した。
キム・スンギュは新たな挑戦を夢見ていたし、神戸が自分に聞かせた計画を気に入った。

蔚山に留まることもできた。
キム・スンギュにとってはむしろより楽な選択でもあった。
キム・スンギュはすでにチームでも安定した地位を保持していたし、代表チームでもキム・ジンヒョンとともに競争体制を構築していた。
そのような状況で、あえて何も保障されておらず、予想も難しい海外移籍を選んだ理由はただ一つだ。
キム・スンギュは手遅れになる前により大きな舞台に出て行きたかった。

Jリーグ移籍は終わりではなく始まりである。
Kリーグからヨーロッパに出て行った選手はいないが、Jリーグの活躍を基にヨーロッパの舞台に出て行った選手はいる。
川島永嗣は最近では競技力が落ちたという評価を受けているが、かつてはベルギーの舞台で最高という評価を受けたこともある。
キム・スンギュは遠くを眺めている。

キム・スンギュはまだ蔚山の方が馴染んでいる。
キム・スンギュに会ったところは個人トレーニングを専門にする体育館だったが、キム・スンギュは蔚山現代のロゴが刻まれた上下を着ていた。
"蔚山のロゴが写真に出ても構わないのか"と悩んでいると、キム・スンギュが言った。
「大丈夫だ。蔚山のロゴが出るように撮って欲しい」と笑った。
キム・スンギュは今、蔚山と神戸の間のどこかにいる。


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─10年ぶりに他のチームへ移籍する。実際は過去にガンバ大阪へ移籍することもできたが。

ガンバと契約を結んだことはなかった。
2013年にガンバから公式の獲得提案書を送られ、クラブは代替者を見つけたら送ると約束した。
結局代替者を見つけられず移籍できなかった。
今回も実際は容易ではないと思っていた。
クラブは代替者を獲得できてない状況でも移籍を許した。
難しい決断を下した蔚山に感謝する。


─10年間プレーしたチームだ。実際に移籍が決まったときの気持ちはどうだったのか?

本当に不思議だった。
イベントのために蔚山に行った。
クラブハウスに行って自分の部屋に行ったが、私の部屋がなくなってた(笑)。
サウナに荷物を置いて用事をこなした。
気持ちが本当に妙だった。
(質問:蔚山と対決したら気持ちはどうだと思うか?)不思議だろう。
蔚山に遠征で来たら本当に変な気持ちになるだろう。
ずっとホームで使っていた競技場だ。
(キム・)シヌク兄さんとの対決も容易ではないだろう。
ずっと同じチームなので幸いだと思ってたのに、相手として会ったら本当に嫌だろう(笑)。


─移籍を決めるのも容易ではなかっただろう。最大の動機は何か?

一つのチームで10年間いたので、楽になる感じを受けた。
すべてのことが馴染んでるというか。
別の環境の中で緊張感を持って試合をしたくて選択した。
自ら刺激を与えたかった。
私の選択を後悔しないよう、行ってからしっかりプレーしなければならない。
神戸は去年、中位だった。
成績を出すために私を獲得した。
私がチームに役立ち、神戸が2017シーズンのACL進出権を取ったら良いだろう。


─GKは最も長くプレーできるポジションだ。さらに日本ではヨーロッパに進出したGKもいる。

これが終わりだと思ってない。
始まりだ。
そこでもより大きな挑戦のために努力するだろう。
ヨーロッパ移籍の夢も続ける。


─神戸の話をしよう。神戸はなぜキム・スンギュを獲得したのか。

強化部長とあまり仔細にではないが話をした。
チームが進むべき方向に私が必要だと言った。
もちろん成績を出そうと思う意思が最も大きかったみたいだ。
そういう部分が気に入った。


─Jリーグに対するロマンのある選手がいた。それは移籍に影響を及ぼしたか?

そういうのはない。
(キム・)ミヌ、(オ・)ジェソクのような選手に、若いときから合宿をしてすごく(Jリーグの)話を多く聞いた。
Kリーグと特に異なることはないようだ。
(質問:するとその選手らは日本生活についての助言もしたのか?)特別な話はしなかった。
かなり違うということだけ話した。
ジェソクはすごく親しい友人だが、神戸に近いガンバ大阪でプレーしていて頼もしくはある。
移籍が決まってかなり喜んでいた。





─昨シーズンまで神戸でプレーしていたチョン・ウヨンとは交錯することになった。

一緒にプレーすることができていた。
ウヨン兄さんも突然移籍して残念だと言ってた。
チームのスタイルも詳しい部分については話を多く聞くことはできなかった。
生活とかの部分についての助言だけ聞いた。
ウヨン兄さんは気楽に過ごしていたと言っていた。
住むところを決めたのだが、ウヨン兄さんが住んでいた家で生活することにした。
運動場も近くて良いと言っていた(笑)。
車もウヨン兄さんが乗っていた車に乗る。


─神戸の試合を少しは見たか?

ハイライトを少し見た。
だがビルドアップの部分はちゃんと出てなかった。
攻撃なら攻撃、守備なら守備のように分かれている映像だった。
日本のチームはほとんど似ている。
対決するときGKを注意深く見るが、GKからビルドアップをする。
チームが望む部分を上手くやらなければならないだろう。
チームの成績が良くてこそ、私も良いということもある。
生活的な部分に気を使い、適応を上手くしなければならない。


─偶然にも代表チームで争うキム・ジンヒョンと近いところに移籍した。そしてイ・ボムヨンやチョン・ソンリョンとも一緒に日本でプレーする。

ジンヒョン兄さん、ソンリョン兄さんとは通話できなかった。
ボムヨン兄さんとは電話をしたが、軍隊の話だけした。
私が軍事訓練を受けた後、すぐに繋いでボムヨン兄さんが入所した。
「軍隊で何が必要なのか?」という話しかしてない(笑)。
ジンヒョン兄さんはいなかったが、Kリーグでも一緒に競争したので特に違うことはないだろう。


─神戸入団が確定した後、神戸のファンフォーラムでキム・ジンヒョンへの期待が込められた文章が多く上がっていた。一方、"GKが日本語をできなかったらどうするのか"という憂慮もあった。

競技場で急なときは元々言葉がちゃんと聞こえない。
それでも重要なことは早く学ぶつもりだ。
ジェソクは"右、左、前、後"を覚えるだけでも半分はいけると言ってた(笑)。
言語も早く習得しなければならない。


─番号は決まったのか?

希望の番号だけ言った。
18番を望むと言った。
小学校のときからつけている番号だ。
昨シーズンだけ除いてずっとつけていた番号で愛着がある。


─"2015オーストラリアアジアカップ"では競争に困難を経験したが。

あまりプレーできず、むしろさらに歯を食いしばって競争した。
その後少しずつ良くなることができた原動力になったようだ。
試合であまりプレーできなかったが、プレーしたのに劣らないくらい多くのことを学んだ。


─シュティーリケ監督が就任してから、代表チームでもビルドアップを重要に考えている。GKの競争でキム・ジンヒョンが最初少しリードしていたのも同じ理由ではないか?今回の移籍で代表チームについての憂慮もあるのか?

蔚山と代表チームのスタイルは完全に異なっていて、適応に困り切ることはあった。
日本で競争するなら、そのような部分では良いみたいだ。
代表チームの競争でも良い影響を受けることができそうだ。
引き続き熱心にやるしかない。
日本ではまだ私がどういう活躍を繰り広げるのか分からない。
私も気になる。
これからがまた始まりだ。



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