[インタビュー] キム・ナミル「引退?することも、しないこともある」
スポータルコリア




※一部要約

キム・ナミルは京都と1年契約を結んだ。
12月が終わると京都の契約は満了する。
自分の将来について悩まなければならない時期だ。
彼は様々な状況を描きながら、静かにときを待っている。

現在、京都に留まっているキム・ナミルは、24日の"スポータルコリア"との電話インタビューで「引退することもあるし、しないこともある。今は待つしかない。」と明かした。


─23日の水戸ホーリーホック戦を最後に今シーズンの日程が終わりました。屈曲の激しい1年だったが、どんな気がしますか。

毎年そうです。
最近の数年はずっと底まで落ちて行って、再び上がってきます。
順調ではないが、しっかり勝ち抜いているようです。


─7月に和田昌裕監督が更迭されたことが屈曲の原因に見えます。和田監督がいなくなって3ヶ月ほどエントリーから除外されました。主席コーチをした後、後任監督になった石丸清隆監督が若い選手を好み、チーム内の年配の選手を除いたからだと聞きました。

(その方は)主席コーチから監督になったが、指導者生活を10年ほどしていたようです。
ユースチームからしていたが、プロチームの監督は数年しかしてなかったようです。
年長の選手と生活したのは初めてだと言ってました。
後で聞いた話だが、どのように対処すれば良いのか分からなかったようです。
チームには若い選手が多いので、若い選手で自ら何かやってみようとしたのでしょう。
結論的にはそれが上手く行かず、再びベテランを起用して考えもかなり変わったようです。
最初は意見の差異もあって距離も感じられたが、今は疎通もしていて大丈夫です。
監督様が変わって難しい状況になったが、私は当たり前だと思いました。
監督が変われば選手構成も変わります。
私はそれを受け入れなければならず、そうでなければ自分だけが難しくなります。
間違いなく機会は来ると思っていたし、最後は上手く終えたようです。


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─監督が変わって2軍に降りました。2軍で3ヶ月ほど練習だけをしていたのは簡単ではない時間だったようですが。

考えの違いでしょう。
以前もこうした問題はしばしばあったと言います。
2軍の試合でプレーするのをある選手は拒否したと聞いたが、私はそんなに気を使いませんでした。
私がここで終わることができても、次の韓国選手が来ることもあるので、私が良いイメージを残せば次に来る韓国選手の印象も良くなるので、コーチングスタッフの望み通りすべてやりました。


─6月に負傷もしませんでしたか?

和田監督様がいたときだったが、大分トリニータ遠征試合でしました。
当時は足首を負傷して3週間くらい休んだが、無理をしました。
監督様が更迭されるという話があって、何試合か無理にプレーしました。
その状況で監督が変わりました。
(その後3ヶ月プレーできなかったが)それが上手くいきました。
すごく暑かったんです。
生まれて暑いと思ったのは今回が初めてでした。
立ってるだけで暑くて、41度まで上がってサウナだと思いました。
そのとき3ヶ月休んで上手く行ったと思ったし、それでむしろ上手く終えられたようです。
そうでなければ最後が良くなかったでしょう。


─1年ぶりにゴールを決めました。14日の栃木SC遠征試合で1-0で勝ったときに決勝ゴールを決めましたが?

予想もできなかったが、ボールが私の足に来て当てました(笑)。
難しい状況で役割を上手く果たせなかったが、終わりが良かったです。
ところが家族の反応は淡々としてました。
遠征試合だったからなのか(笑)。





─今シーズンの京都は昇格のためにキム・ナミル、ファン・ジンソン選手を獲得しました。日本代表出身FW大黒将志も連れて来ました。だが成績は22チーム中17位で辛うじて3部リーグ降格を免れました。成績が出なかった原因を取り上げるなら?

色んなことが多かったです。
期待していた選手が期待以下で良くなかったし、内部的にもことが少しありました。
妙にチームが全体的にこじれたことも多かったんです。
チームにいるGK3人が全員負傷して他のGKを慌てて連れてきたし、中枢になるべき選手も不足してました。


─全体的に見ると多事多難だった1年のようです。それでも仕上げが良かったので満足ではないですか?

必ずしもそうではありません。
すごく惜しい点が多く、不足していた点も多かった。
私があまりにJ2リーグを低く見ていたのかという気もしました。
実際にやってみると、J1リーグと差はあまりないと見ました。
考えが間違っていたようです。
常に残念でした。
終わりは悪くなかったが、最初からそうできなかったことに対する失望もあって。


─どの点が最も残念でしたか?

去年、全北にいたときもそうだったが、体が上がってきた時期に負傷しました。
去年もそうだったし今年もそうだった。
大分遠征の試合は上昇の勢いだったのに、試合開始15分で足首を負傷したのです。
そのとき体が上がってきそうだったのに、負傷して元に戻りました。
歳のことがあるので回復も遅く、今シーズンの分岐点になった試合と見ることができます。


─京都との契約は1年であることが分かってます。

京都とは今年だけの契約です。


─京都と再契約するのですか?

まだ見ています。
監督様が(去就問題が)決まってこそ、選手構成をするので待たなければなりません。
とりあえず色々と考えているが、まずは日本国内の他チームを調べてみてます。
もちろん引退することもあるし、しないこともあります。
今は待つしかありませんね。
あまりに遅れたら、ある瞬間に決定を下さなければなりません。


─その部分のために帰国も遅れてます。

(息子)ソウの休暇のためにも、12月中旬まではここにいなければなりません。
ソウは外国人学校に通っているので、たいして困難な点はなかったようです。
せめてもの慰めになりました。
子供が適応できずに苦しんでいたら、もっと大変だったでしょう。
今は休みの前まで待ってみます。


─全北から再びオファーが来たらどうしますか?チェ・ポギョンが軍に入隊して守備型MFの不在が予想されるのですが?

私がどうして全北を出ようと思ったかといえば、去年のACLの広州恒大戦(2014年3月18日)でした。
当時は1-3で負けたが、その試合が終わった後に出て行かなければと思いました。
自分自身に無気力な感じを受けました。
全北がACLで優勝するためには、他のポジションも重要だが、私がここにいたら優勝できないという気がしたのです。
そのとき初めてそういう考えを持ったし、私ではなく自分よりもっと強い選手が来れば優勝の可能性がさらに大きくなるだろうと思いました。
私の錯覚かもしれないが、私が先にチェ・ガンヒ監督様に出て行くと話しました。
もう遠くから応援するだけです。


─チェ・ガンヒ監督様が求愛を送ったら、考えを変えることはありますか?

チェ・ガンヒ監督様がそんなことをされることはないでしょう(笑)。


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