[アフターストーリー] イ・チョンス引退のロールモデル、中田
日刊スポーツ




※一部要約

イ・チョンスは5日、JTBCのニュースルームで現役引退を宣言した。
グラウンドの内外で波乱万丈な風雲児生活を送ったイ・チョンスは、ユニフォームを脱いで解説委員に変身し、ボールの代わりにマイクを持つ予定だ。

"全国区のスター"イ・チョンスの引退宣言は静かな衝撃波を起こした。
2002年の韓日ワールドカップの英雄の末っ子、2005年にKリーグを席巻した"詐欺ユニット"、そして2006年のトーゴ戦の幻想FKゴールの主人公・・・イ・チョンスは一気にポータルサイトのリアルタイム検索語の1位に上がった。
多くの人々が彼の引退のニュースに驚き、同時に彼を追憶した。

イ・チョンスの引退にはロールモデルがいた。
日本サッカーの英雄中田英寿だ。
中田はセリエAで最も成功した日本選手であり、歴代ヨーロッパ派のアジア選手の中でも断然最高の指折りの選手である。
トッテナムに移籍したソン・フンミンが記録を更新するまで、アジア選手では最高の身代金を記録した選手であり、U-17ワールドカップとU-20ワールドカップ、オリンピック、コンフェデレーションズカップ、そしてワールドカップなど、すべての年代別世界大会で日本選手では、唯一すべてゴールを決めた選手だった。


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1990年代後半から200年代中盤まで、日本サッカー最高のスターだった中田は、29歳の年齢で突然引退を宣言し、日本サッカー界を衝撃に陥れた。
全盛期を謳歌する年齢で引退宣言をするほどの負傷があったわけでもなかった。
引退を宣言する席で「サッカーだけが人生のすべてではない。人生には多くの道がある」と理由を明かし、記者会見場を騒然とさせた。

イ・チョンスは「中田が好きだったが突然引退した。どうしても好きだった選手が突然引退して、ずっと記憶に残っていた。引退する時点を考えたとき、ロールモデルといえばやはり中田だろう」と説明した。
ほぼ同時期にアジア選手では最高の席に上がった中田が、サッカーで達成したすべてのことを放棄して一般人に戻り第2の人生を送っていることが、イ・チョンスには強烈な記憶として残っていた。

「最高の席にいると、どうしても続けたくてその場を長く維持したくなるのではないか。全盛期ではなく最高の席にいたわけでもないが、今シーズンはチームの成績も良かったし、幸福に引退したかった。クラブからはもっとやってみようと言われたが、あれこれと考えて、少しでも長く記憶されるために引退を決めた。仁川に来て多くのことを感じたし、3年間は多くのことを学んだ時間だった。私が好きで始めたスポーツなので、終わりもそうすることが正しいと思えた。サッカーはやめてもこれから仁川とできることがあると思う。ファンがいつも"イ・チョンスはここにいるんだね"と思えるように」





中田は自分の言葉通り、引退後に世界を歩き回って社会貢献的な活動に力を注いだ。
日本に戻ってからはモデル兼実業家として活発に活動し、FIFA広報大使の席にも上がった。
イ・チョンスもロールモデルの中田くらい、したいことが多い。
普段から関心があった放送や解説はもちろん、自分がしてきた挑戦と挫折から得た世界各国でのサッカーの経験を、将来の弟子に伝えたいという指導者の夢、故郷仁川から受けた愛をお返ししたいという気持ちで考えている幼少年サッカーへの支援まで。
今は2歳の娘ジュウンの"オムツ代"を稼がなければならないと笑っているが、グラウンドを去ったイ・チョンスは明らかに中田に劣らないよう活発な活動で第2の人生を満喫するだろう。


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